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赤い真円で太陽を表現する例としては、古くは[[中国の歴史|中国史]]上の[[漢]]時代の[[帛画]]にある(上記の日像幢と同様、内側に黒い烏を配するもの)。日本では[[法隆寺]]の[[玉虫厨子]]背面の[[須弥山]]図に、赤い真円の日象が確認できる。これは平安時代の[[密教]]図像などにも見出される表現であり、大陸から[[仏教]]とともにもたらされた意匠であろうと推測される。
 
[[ファイル:Atakebune3.jpg|200pxthumb|right|thumb|220px|[[九鬼嘉隆]]が造船した日本丸を中心に九鬼水軍の陣容を描いている。]]
 
日本で「白地赤丸」が日章旗として用いるようになった経緯は諸説あり正確には不明である。
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{{Quotation|大船製造については、異国船に紛れざるよう、日本国総船印は白地日の丸幟相用い候よう仰せいだされ候。かつ、公儀御船は白絹布交の吹き流し中柱へ相立て、帆の儀は白地中黒に仰せ付られ候。}}
 
[[ファイル:AsahiMaru1856.jpg|200pxthumb|right|thumb|220px|[[旭日丸]]を描いた絵(1856年制作)]]
 
島津斉彬は[[鹿児島城]]内から見た[[桜島]]から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。また薩摩藩から洋式軍艦「[[昇平丸]]」を幕府へ献上するため、1855年1月([[安政]]2年2月)江戸へ回航された際、日の丸が船尾部に掲揚された<ref>吉野真保編『嘉永明治年間録 四巻』安政二年二月薩州ニ於テ製造ノ船琉砲船江戸海ニ着ス琉砲船長十五間檣三本出し共裾黒の帆標帆三段ふ掛け中程ふ裾黒の吹流し付艫の方日の丸並轡の紋船標小織布交の吹貫を立つ</ref>。これが日の丸を日本の船旗として掲揚した第一号とされる<ref name="松本健一『「日の丸・君が代」の話』"/><ref>暉峻康隆『日の丸・君が代の成り立ち』28頁参照</ref>。