「スタニスラフ・ブーニン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
箇条書きの解消は不自然になるので戻します。
35行目:
}}
 
4歳から母にピアノの手ほどきを受け、その後も英才教育を受ける。そして、17歳で[[ロン=ティボー国際コンクール]](開催地:[[パリ]])で最年少優勝を果たす。翌1984年よりショパン研究家の[[セルゲイ・ドレンスキー]]に師事した<ref>[http://en.chopin.nifc.pl/chopin/persons/detail/id/1305 インターネット・ショパン情報センター]</ref>。[[1985年]][[10月]]に19歳で第11回[[ショパン国際ピアノコンクール]]で優勝したときには、「[[協奏曲]]賞」及び「[[ポロネーズ]]賞」までも同時に受賞した<ref>[http://chopincompetition2015.com/previous-editions/516?tab=details 第11回ショパン国際ピアノコンクール概要]</ref>。この時の[[フレデリック・ショパン|ショパン]]作曲『[[華麗なる円舞曲 (ショパン) |華麗なる円舞曲]]』[[作品番号|作品]]34の第3曲「猫のワルツ」の高速演奏は取り分け有名で、普通は曲目の間では拍手はしないコンクールであるにもかかわらず、演奏が終わるや感激のあまり聴衆が拍手をはじめてしまうほどであった。
 
[[1988年]][[6月]]に[[西ドイツ]]に亡命。ヨーロッパ各地での活動に駆け回ったが、新録音の契約は難航を極めた。[[1989年]]に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]と契約し、その最初のリリースCD「バッハリサイタル」が90年の[[日本ゴールドディスク大賞]]を受賞した。最も得意分野の[[フレデリック・ショパン|ショパン]]のほか、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[ピアノソナタ]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J. S. バッハ]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]とレパートリーを広げていた。
49行目:
「カーテンコールのあとで」松野明子訳、主婦と生活社、[[1990年]]10月
 
* 母は旧ソ連でのピアニストの暮らしを考え、息子をピアニストにしたくなかった。しかし、息子が耳から聞いた音楽譜面なし)をも見ずにピアノで上手く再現したのを見て、息子がその方面に進むことを認めた。
 
* 幼少期に両親は離婚。引き取られた母のアパートでピアノの練習をしたが、近隣住民から騒音苦情があり(練習時間も制約され)大変であった。
 
* その後、演奏力を高め、国外での演奏活動の機会も出てきたが、逃亡(亡命)防止のため、当局関係者が随行したり、権威あるコンクールで優勝すると、今度は当局がプロパガンダに利用しようとしたりと、不自由で制約が多く、意思決定も自分でできない状況にあった。
 
* そのような(旧体制の)母国に見切りをつけ、母とともに西ドイツへ亡命。当局に摘発されれば、厳しい処罰を受ける事は必至であったが、亡命を実現。以後、日本も含めて演奏活動の場を広げた。
 
* 最終章に日本についての詳述があり、日本の聴衆の魅力は芸術への高い見識・理解力がある(この事は日本のコンサートホールで演奏し始めてすぐ分かった)とのこと。ヨーロッパの聴衆は(伝統的にコンサートにくる習慣はあるが)必ずしもそうとも言えないとのこと。
 
* 写真のページには、父スタニスラフ・ネイガウスの写真があるが、息子は父の容姿も強く受け継いでいることが分かる。
 
== ドキュメンタリー ==
72行目:
}}
 
* 公的な場で話す際には、[[ドイツ語]]を用いている。[[日本語]]への通訳が必要な場合は、妻が行っている<ref>Hiroko Aikawa, "Musical Journeys: Bunin finds success and support in 2 homes", Asahi Shimbun (English Website), Dec. 2004.</ref>。日本語も話すことができる<ref>{{Cite web|url= https://www.tv-asahi.co.jp/reading/daimei/1867/ |title= めくるめくブーニン伝説 |website= 題名のない音楽会 |publisher= テレビ朝日 |date= 2010-02-28 |accessdate= 2022-10-22 }}</ref><ref>"世界的ピアニスト「S・ブーニン」都内でリハビリ生活を送る", FRIDAY DIGITAL, 2018年9月16日号.</ref>。
 
* ピアニストの[[辻井伸行]]も影響を受けた。幼少期の辻井は、ブーニンの演奏する[[ポロネーズ第6番 (ショパン)|英雄ポロネーズ]]<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=fUCFQlXeTuc 第11回ショパン国際ピアノコンクール録画2]</ref>が聞こえた時だけ特別な反応(手足をバタバタさせて全身で喜びを表現する)を見せたが、他の演奏家の英雄ポロネーズを聞かせても機嫌が直ることはなかった<ref>「今日の風、なに色?-全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と呼ばれるまで」辻井いつ子著、アスコム出版 2000年9月</ref>。
 
* [[徹子の部屋]]([[2010年]](平成22年)9月15日放映回)に出演した際、[[梅干し]]好きであることを明かした。これがきっかけで、後に[[和歌山県民文化会館]]でのリサイタル(2010年(平成22年)11月13日)の後、和歌山県紀州梅の会から梅干しと梅酒を贈呈された。
 
* 息子もピアニストであり、父親とは違いクラシックではなく[[ジャズ]]の道を歩んだ。モーツァルトの2台ピアノ作品を披露し、親子共演も実現したことがある<ref>「モーツァルトで語りかけるコンサート&ファイントークショー」2005年12月16日 紀尾井ホール、2005年12月21日 日本大学カザルスホール</ref>。
 
== 脚注 ==