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}}
'''忠犬ハチ公'''(ちゅうけんハチこう)は、[[日本]]の[[Wikt:忠犬|忠犬]]。[[東京]]・[[渋谷駅]]まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたって通い続けて飼い主の帰りを待ったという[[犬]]である逸話を残す
 
== 概要 ==
犬種は[[秋田犬]](あきたいぬ)で、[[性別]]はオス。名前は'''ハチ'''。'''ハチ公'''の[[称]]でも呼ば知らている。
 
ハチが飼い主を待ち続けた渋谷駅の出入り口の前にはハチの[[銅像]]が設置されており、この「忠犬ハチ公像」は[[渋谷]]の[[シンボル]]ともなっている。世界的にも観光[[名所]]として有名で、休日にはハチの銅像周辺に[[外国人]]を含む群衆が出来るほどである<ref>{{Cite web|title=「PLAY! DIVERSITY SHIBUYA」一般財団法人 渋谷区観光協会|url=http://play-shibuya.com/|website=一般財団法人 渋谷区観光協会|accessdate=2019-11-26|language=ja}}</ref>{{出典無効|date={{date|2023-03-08}}|title=ちゃんとリンクが貼れてません。ちょっとサイトを除いてみましたが、その記事は削除されてるのか、見当たりませんでした。}}
 
ハチは、飼い主が死去した後も[[駅前]]で帰りを待ち続けた「[[Wikt:忠犬|忠犬]]」として知られる。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれている。特に渋谷駅前のハチ公銅像は、いつしか[[待ち合わせ]]の[[目印]]として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所としては「ハチ公前」などと呼ばれ、広く親しまれている。
 
ハチの飼い主は[[東京府]][[豊多摩郡]][[渋谷町 (東京府)|渋谷町]]大向(現:[[東京都]][[渋谷区]][[松濤]]一丁目)に住んでいた、[[東京大学|東京帝国大学]]の教授である[[上野英三郎]]であった<ref>[{{Cite web |title=ハチ公について知りたい |url=https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/?page_id=233 |website=web.archive.org |date=2014-11-01 |access-date=2023-03-08 |publisher=渋谷区立図書館 |archive-url=https://web.archive.org/web/20180922085802/https://www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/?page_id=233 ハチ公|archive-date=2018-09-22 |quote=東京帝国大学農学部教授上野英三郎ついて知り養われ、彼は犬と食事を共にするほどの愛犬家であっ](渋谷区立図書館ウェブサイト)います。}}</ref><ref>[{{Cite web |title=幸せハチ公 |url=http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/happy.htm |website=web.archive.org |date=2012/05/15 |access-date=2023-03-08 |publisher=www.welcome-shibuya.net |archive-url=https://web.archive.org/web/20170517205754/http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/happy.htm 幸せハチ公(|work=忠犬ハチ公のおはなし)](渋谷まるごとポータルサイト |quote=ハチ公の初代の飼い主、上野英三郎博士は、駒場にある帝国大学(今の東京大学)農学部の先生る渋谷)。 |archive-date=2017-05-17}}</ref><ref>[https://{{Cite web.archive.org/web/20171219183834/ |url=http://www.touyoko-ensen.com/syasen/sibuyaku/ht-txt/sibuyaku06.html |website=web.archive.org |access-date=2023-03-08 |title=約100年前、大正時代の渋谷 |publisher=東横沿線を語る会 |author=岩田忠利 |coauthors=阿部匡宏 |editor=石川佐智子 |date=2013/05/24 |work=写真が語る沿線・渋谷区編)](とうよこ沿線ウェブサイト) |archive-url=https://web.archive.org/web/20171219183834/http://www.touyoko-ensen.com/syasen/sibuyaku/ht-txt/sibuyaku06.html |archive-date=2017-12-19}}</ref>。彼は大変な[[愛犬家]]であり、出かける時には[[渋谷駅]]までハチを伴うことも多かった<ref name=" furusato ">{{Citationsfn|和書|editor=東京にふる里をつくる会|title=渋谷区の歴史|series=東京ふる里文庫11|publisher=名著出版|date=林陸朗1978-09-30|page=260-2}}</ref>。しかしながらハチを飼い始めた翌年にあたる[[1925年]](大正14年)に上野は急死した。
 
上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、[[記事|新聞記事]]に掲載され、人々に感銘を与えたことから「'''忠犬ハチ公'''」と呼ばれるようになった。
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さらに、[[1934年]]([[昭和]]9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除幕式にはハチ自身も参列した。同じく[[1934年]](昭和9年)に[[尋常小学校]]2年生の[[修身]]の[[教科書]]には、「恩ヲ忘レルナ」の話題としてハチの物語が採用された<ref>{{Cite book|和書|publisher=文部省|title=尋常小学修身書:児童用|volume=巻2|year=1934}}</ref>。これを[[ファシズム]]と関連づける見解{{efn|{{Cite book|和書|author=アーロン・スキャブランド|translator=本橋哲也|title=犬の帝国|publisher=[[岩波書店]]|year=2009}}によれば、「一九三〇年代の文脈でみれば、ハチ公の話は複雑に絡み合った不穏とさえ言える意味合いを帯びてくるのである。ハチ公が有名になったのはほかでもない、この犬が愛好家から政府官僚にいたるまで国家の理想を体現するもの、すなわち日本的体質、純血、ひとりの主人への献身、恐れを知らぬ闘士と見なされたからである」といって「日本が経験したファシズムの文化のなかでハチ公が果たした重要な役割」を持っているという。}}があるが、[[1936年]](昭和11年)発行の修身教科書の「恩ヲ忘レルナ」の話題は[[大正時代]]の修身教科書の「[[永田佐吉]]の恩返し」に戻り、[[1938年]](昭和13年)発行の修身教科書の「謝恩」の話題は大正時代の修身教科書の「謝恩」の話題「[[豊臣秀吉|豊臣秀吉おね]]夫妻の恩返し」に戻っており、ハチの物語は二度と修身教科書に採用されなかった<ref>宮坂宥洪監修解題『修身全資料集成』(四季社、2000年)156、192、237、245、305頁</ref>。
 
ハチの銅像は[[第二次世界大戦]]中の金属供出によって破壊されたが、戦後再建され、現在に至るまで渋谷のシンボルとして、また渋谷駅前における待ち合わせの目印となって立像している<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}
 
映画化もされている。日本では[[1987年]]に『[[ハチ公物語]]』(松竹) が公開され、[[2009年]]にはハリウッド映画『[[HACHI 約束の犬]]』で世界的大俳優の[[リチャード・ギア]]が飼い主役となったことで、今やハチは世界の人々に知られる存在となっている。
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=== 上野の死後 ===
ハチを飼い始めて1年余りが経った[[1925年]](大正14年)5月21日、主人・上野は農学部[[教授会]]会議の後に[[脳溢血]]で倒れ、急死してしまう<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}。ハチは、この後3日間は何も食べなかった。同25日には故主・上野の[[通夜]]が行われたが、その日もハチは、ジョンとエスと一緒に上野を渋谷駅まで迎えに行っていたという。
 
その後、ハチは上野の妻、八重の親戚の[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋伝馬町]]の呉服屋へ預けられたが、人懐っこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず、そのため[[浅草]]の高橋千吉宅へと移された。しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中に渋谷へ向かって逸走するなどのことがあるほどだった<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}。さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の住人との間でもめごとが起こり、ハチは再び[[渋谷]]の上野宅へ戻されてしまう。
 
渋谷に戻ったハチは近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうということから、今度は渋谷の隣、豊多摩郡[[代々幡町]]大字[[代々木]]字[[富ケ谷]]に住んでいた上野宅出入りの植木職人で、ハチを幼少時から可愛がっていた小林菊三郎のもとに預けられる<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}
 
ハチが代々木富ケ谷の小林宅に移ったのは、上野が死亡してから2年余りが経った[[1927年]]([[昭和]]2年)秋のことであった。この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。
 
ハチは小林にもねんごろに愛育されていたのにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見て、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}。ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。
 
ハチは白い犬だったが、毎日渋谷駅に来ていたため汚れてしまい、さらに当時は犬は「安産の象徴」とされており、身に付けていた胴輪を心ない人から「安産のお守り」としてよく盗まれていたため、野犬と間違われ何度も野犬狩りで捕まった。ハチは逃げるのが遅かったため、簡単に捕まっていたという。
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渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供のいたずらの対象となったりしていた。
 
一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた[[日本犬保存会]]初代会長・[[斎藤弘吉]]は[[1932年]](昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を新聞に寄稿した。これは『[[東京朝日新聞]]』に、「いとしや老犬物語」というタイトルで掲載され、その内容は人々の心を打った。ハチについては翌[[1933年]]([[昭和]]8年)にも新聞報道され、さらに広く知られるようになり<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれ、かわいがられるようになる。
 
ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが駅で寝泊りすることを許すようになった<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}。ハチの晩年を写した写真では左耳が垂れているが、これは生まれつきのものではない。垂れた理由として、野犬に噛み付かれた際の後遺症<ref name="椎名仙卓">{{Cite book |和書 |author=椎名仙卓 |title=大正博物館秘話 |publisher=[[論創社]] |date=2002-03-01 |isbn=9784846002206 |chapter=忠犬ハチ公の剥製は僕がつくった}}</ref>、当時の飼育者が噛まれた傷口を縫う応急処置に失敗した<ref>{{Cite web |url=https://tver.jp/episodes/epabga2fia |title=TVer 水曜日のダウンタウン「本物のハチ公を見たことがある人、まだギリこの世にいる説」 |accessdate=2022年4月7日(木) |publisher=TVer}}</ref>、などの説が存在する。
 
1933年(昭和8年)11月、ハチが世界的な愛犬団体「ポチクラブ」から表彰される。
 
この頃にハチを正面から撮影した写真を上野宅の近所に住んでいた女性が保存しており、2017年に[[白根記念渋谷区郷土博物館・文学館]]へ寄贈。2019年2月~3月開催の新収蔵資料展で公開された<ref>{{Cite news|和書 |title=ハチ公が笑ってる 渋谷区郷土博物館で写真公開」『[[ |newspaper=東京新聞]]』 |date=2019-02-02 |edition=夕刊2019年2月2日(1の一}}</ref>。
 
[[1934年]](昭和9年)、ハチが映画『[[あるぷす大将]]』(監督:[[山本嘉次郎]])に出演する。生前のハチの姿が映像として収められた作品である。
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解剖の結果、ハチの[[心臓]]と[[肝臓]]には大量の[[犬糸状虫|フィラリア]]が[[寄生]]し、それに伴う[[腹水]]が貯留していた。また、[[胃]]の中からは[[焼き鳥]]のものと思われる串が3 - 4本見つかっている。
 
解剖後、ハチの[[剥製]]が作成され、内臓は[[ホルマリン]]に漬けられて保存された。これら臓器については、ホルマリン液交換の度にじっくり観察すると[[腫瘍]]らしきものが見られることが従来から認識されていた。組織標本採取の機会に恵まれた[[2010年]]([[平成]]22年)の暮れから精密検査が行われ、[[犬フィラリア症]]は中程度(決定的致死原因に非ず)であって、心臓に重度の浸潤性[[癌]]が、肺に転移性の癌があることが確認された。この再検査の結果は2011年に発表された<ref>[https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/2011/20110302-1.html{{Cite web |title=新たに判明した忠犬ハチ公の死因について]( {{PDFlink!}} 東京大学大学院農学生命科学研究科 |[httpurl=https://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/byouritopics/HPpict2011/hachiko20110302-1.pdfhtml 記事と写真]|website=www.a.u-tokyo.ac.jp |access-date=2023-03-08}})(東京大学農学生命科学研究科プレスリリース、2011年3月2日)</ref><ref>{{PDFlink|[http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06410/a3.pdf 内田・藤原・佐々木・中山 「新たに判明した忠犬ハチ公の死因に関する病理学的所見」 『日本獣医師会雑誌』 64 (10) : 754 - 758]}}(日本獣医師会、2011年)</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author1=中山裕之 |author2=内田和幸 |title=新たに判明した忠犬ハチ公の死因について |journal=日本獣医史学雑誌 |issue=49 |pages=1-9 |publisher=日本獣医史学会 |year=2012 |url=http://square.umin.ac.jp/jsvh/archives/pdf/49/049001009.pdf}}</ref>。
 
ハチの臓器標本は現在、東京大学農学資料館([[東京大学本郷地区キャンパス#弥生キャンパス|弥生キャンパス]]農正門入ってすぐ右)に展示されており、フィラリアが寄生している様子も観察できる。
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=== 剥製展示===
[[国立科学博物館]]上野本館の[[国立科学博物館#2階北翼_日本人と自然|日本館2階北翼]]に展示されている<ref>[{{Cite web |title=科博について ≫ 科博の活動 ≫ 展示・学習支援 :: 国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo |url=https://www.kahaku.go.jp/about/activity/exhibition/index.html 科博について]|website=www.kahaku.go.jp 国立科学博物館|access-date=2023-03-08}}</ref>。[[2019年]]5月には、[[大館市]]観光交流施設・[[秋田犬の里]]開館のため貸出された<ref>[https://www.kahaku.go.jp/news/2019/03hachi/ 秋田犬(ハチ)の剥製貸出について(2019年3月6日)] 国立科学博物館</ref><ref>[https://akitainunosato.jp/publics/index/48/b466_date=2019-5/#block466 秋田犬の里イベントカレンダー] 秋田犬の里(大館市役所)</ref>。
 
== 銅像 ==
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{{Anchors|忠犬ハチ公像}}
=== 当初 ===
新聞報道によって「'''忠犬ハチ公'''」が広く知られるようになった翌年である[[1933年]]([[昭和]]8年)頃、ハチの美談に感動した[[帝展]]彫刻審査委員も務める彫塑家・[[安藤照]]は、かねてより知り合いであった[[斎藤弘吉]]にハチの銅像を作りたい希望を伝えた。この結果、[[日本犬保存会]]からの依頼によりハチの像が作成されることとなり、上野の死後、[[1927年]](昭和2年)からハチの飼い主となっていた小林菊三郎はモデルとなるハチを連れて代々木富ヶ谷の自宅から[[初台駅|初台]]にある安藤のアトリエまで毎日通った<ref name="naruhodo">2010年9月30日放送、[[テレビ東京]]『[[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]:なるほど再発見!明治〜昭和の写真でめぐる東京散歩』内、安藤士・談</ref>。しかし、安藤がハチ公像を作っている最中、ハチに関する件を全て上野家から託されたと自称する老人が現れ、美術院同人の大内青圃にハチ公木像製作を依頼するための資金集めと称して絵葉書を売り始める事態が発生した。そのため、安藤はそれを阻止する意図でより早く銅像を作らなければならなくなり、ハチが生きているうちに銅像が建てられた経緯がある<ref>[{{Cite web |title=幸せハチ公 |url=http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/happy.htm |website=web.archive.org |date=2012/05/15 |access-date=2023-03-08 |publisher=www.welcome-shibuya.net |archive-url=https://web.archive.org/web/20170517205754/http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/idol2happy.htm |work=忠犬ハチ公のおはなし] |archive-date=2017-05-17}}</ref>。動物の銅像がその存命中に建てられるのは極めて異例である<ref>{{Cite book |和書 |author=渋谷駅 |title=渋谷駅100年史―渋谷駅開業100周年記念 |publisher=日本国有鉄道渋谷駅 |date=1985-03-01 |id={{全国書誌番号|86042361}} |page=84}}</ref>。
 
[[ファイル:One anniversary of Hachiko 19360308 Scan10038.JPG|thumb|200px|ハチ公一周忌の様子。写る銅像は"初代"忠犬ハチ公像。[[安藤照]]作<br />(※:写真は1936年3月8日)]]
[[1934年]](昭和9年)1月には「忠犬ハチ公銅像建設趣意書」が作成され、銅像建設の募金が開始された。日本犬保存会が発起した資金集めには、[[鉄道省|鉄道諸官庁]]も後援した<ref name="furusato"/>{{sfn|林陸朗1978}}
[[ファイル:戦前 ハチ公 除幕式.jpg|右)戦前ハチ公像 除幕式マッチラベル。ラベル蒐集家が、当時独自に製作した物。(左は同時代のカフェのマッチラベル)|サムネイル]]
同年3月10日午後5時から[[神宮外苑]]の日本青年館で、ハチと共に発起人の斎藤弘吉、上野未亡人などが参加した「銅像建設基金募集の夕」が開催され、約3,000人がハチを見ようと集まった<ref>[{{Cite web |title=幸せハチ公 |url=http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/idolhappy.htm  |website=web.archive.org |date=2012/05/15 |access-date=2023-03-08 |publisher=www.welcome-shibuya.net |archive-url=https://web.archive.org/web/20170517205754/http://www.welcome-shibuya.net/history/hachiko/happy.htm |work=忠犬ハチ公のおはなし] |archive-date=2017-05-17}}</ref>。その後、同年4月21日には渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が設置され、盛大に行われた銅像の除幕式にはハチ自身と300人もの著名人が参加した。生存中に自らの像が作成・設置されたハチであったが、除幕式の翌年、[[1935年]](昭和10年)3月8日に死んだ。この際、ハチ公像の周囲は[[花環]]で埋まり、大勢の人々が集まってハチの死を哀れんだ<ref name="shibuyatosho">渋谷図書館郷土資料 『写真集 渋谷の昔と今』(1985年3月31日)</ref>{{Sfn|佐藤|新川|斎藤|1985}}
 
==== 金属供出と保存運動、そして溶解 ====
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しかし、国内の様々な銅像や[[梵鐘]]、庶民の有する細々とした金属製品までが供出される中、渋谷駅前という目立つ場所にあるハチ公像が供出されないのでは他に示しがつかないため、[[1944年]](昭和19年)10月に、戦争が終わるまで別所にて保管するという事で表向きは「撤去」という扱いで決着がついた。
 
同年10月12日、渋谷駅ではハチ公像に[[日本国旗]]の[[たすき]]をかけるなどの「出陣式」が行われた<ref name="shibuyatosho"/>{{Sfn|佐藤|新川|斎藤|1985}}。「戦争が終わるまで別所にて保管する」となっていたハチ公像であったが、[[ポツダム宣言]]受諾を日本国民に伝える[[玉音放送]]の前日、[[1945年]](昭和20年)8月14日に、[[鉄道省]][[東海旅客鉄道浜松工場|浜松工機部]]で溶解されてしまった。溶解されたハチ公像は[[機関車]]の部品となり、[[東海道本線|東海道線]]を走ることになる。
 
なお、[[2006年]](平成18年)6月13日放送の『[[開運!なんでも鑑定団]]』([[テレビ東京]])にて、一般人出演者が初代忠犬ハチ公像の台座部分に使用された[[銘板]]を出品。鑑定士により本物と確認された。
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==== 東大本郷キャンパス ====
[[2015年]](平成27年)3月8日(ハチの80回目の命日)、[[東京大学本郷地区キャンパス]]の農学部キャンパス(弥生キャンパス)に、上野とハチが一対になった銅像が完成している<ref>{{Citation|和書|editor1=一ノ瀬正樹|editor2=正木春彦|title=東大ハチ公物語|publisher=東京大学出版会|year=2015|url=http://www.utp.or.jp/book/b306983.html}}</ref><ref>[https://www.47news.jp/47topics/e/262845.php{{Cite 47トピックス news|和書 |title=「やっと[[上野英三郎|教授]]に会えたね」 [[学大学院農学生命科学研究科・農学部|東大]]キャンパスに新たなハチ公像 |newspaper=共同通信)] -|date=n.d. |edition=47NEWS}}</ref>。
 
== 秋田県大館市の活動 ==
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また、大館駅の構内には[[1989年]]([[平成]]元年)春、「JRハチ公神社」と称する[[神社]]が作られ、[[発泡スチロール]]製の全長・全高ともに約2メートルという大型のハチ公像が設置された。これは大館商工会議所が映画『[[ハチ公物語]]』(1987年公開)を記念して作成したものであった(『[[交通新聞]]』)。後に[[2009年]](平成21年)10月14日、全長85センチメートル、重さ30キログラムの[[青銅]]製(台座・額・由来案内板は[[十和田石]])の「2代目」ハチ公像(高さ85cm、幅40cm、奥行き90cm)に置き換えられ、神社自体も新装となった<ref name="kotsu"/>。
 
「2代目忠犬ハチ公銅像」は、2019年5月8日開館の観光交流施設「[[秋田犬の里]]」に移設された<ref>[{{Cite web |title=施設情報|秋田犬の里(あきたいぬのさと)|大館市観光交流施設 |url=https://akitainunosato.jp/publics/index/49/ 施設情報] |website=大館市観光交流施設「秋田犬の里」 |access-date=2023-03-08 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite news |author=加賀谷直人 |title=秋田)大館駅ハチ公像、秋田犬の里に移設 |newspaper=朝日新聞 |date=2019-02-13 |url=https://digital.asahi.com/articles/ASM284WW5M28UBUB00C.html}}</ref>。秋田犬の里の外観はハチ公が飼い主を待ち続けた時の二代目の渋谷駅である。
 
さらに、[[2003年]](平成15年)10月12日にはハチの生誕80周年を記念し、市内のハチの生家前に石碑が設置された。また、翌[[2004年]](平成16年)10月には、市内の[[秋田犬会館]]前に新たな像、「望郷のハチ公像」が設置された。
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また、ハチの美談を世に知らしめた[[斎藤弘吉]]は、「有名になるといつの世でも[[アンチ|反対派]]が出るもので、ハチが渋谷駅を離れないのは焼き鳥がほしいからだと言いだす者が出た。ハチに限らず犬は焼き鳥が一番の好物で、私も小林君もよく買って与えていたが、そのためにハチが駅にいるようになったものでない…」と、自身の著書の中で異論に反対している<ref name=saito></ref>。
 
== 関連作品 ==
; 映画
* 『[[あるぷす大将]]』 ([[ピー・シー・エル映画製作所|P.C.L.映画製作所]] 配給:東和商事映画部 監督:[[山本嘉次郎]]、[[1934年]]公開) - 渋谷駅前で主人公たちが、ハチの銅像と、焼き鳥屋の前にいるハチ自身に出会うシーンがある。<!--焼き鳥を与える場面がある★焼き鳥屋の前で出あうが焼き鳥をあげる場面はない★-->
* 『[[ハチ公物語]]』 ([[松竹]]、[[1987年]]公開)
* 『[[HACHI 約束の犬]]』 (アメリカ映画、[[2009年]]公開) - 2009年([[平成]]21年)7月7日に映画『[[HACHI 約束の犬]]』の主演[[リチャード・ギア]]が同映画のPRのため渋谷駅前を訪れ、“ハチ公銅像訪問記念セレモニー”において、「ついに初めて本当のハチに会えました。今日は本当に幸せで、光栄な気分です」と語り、ハチ公像の首に花輪をかけた。
* 『[[ハチとパルマの物語]]』 (ロシア映画、[[2021年]]公開予定) - [[ジャーマンシェパード]]のパルマという実在の犬をテーマにした作品。空港で主人を待つパルマは忠犬ハチ公になぞらえられ、秋田犬の登場シーンや秋田県大館市での撮影シーンがある。
; テレビドラマ
* 『あるぷす大将』 - 先述の映画のテレビドラマ化、[[1959年]]に[[TBSテレビ|KRT(現:TBSテレビ)]]、[[1963年]]に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]、[[1964年]]に[[テレビ東京|東京12チャンネル(テレビ東京)]]でと、3回に渡って放送された。
* 『[[伝説の秋田犬 ハチ]]』 ([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[ドラマコンプレックス]]」、2006年放送)
; テレビアニメ
* 『[[ワンサくん]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 第10話「犬の死に方おしえます」。犬仲間のボス格であるクマ([[声優|声]]:[[富山敬]])が、主人が病弱で寝たきりであるために自分も死のうと思い、介護に来たワンサ(声:[[小原乃梨子]])に自分が目標としているハチ公の事を、ミュージカル混じりで教える。総集編である第21話「ワンサくんのミュージカル特集2」でも放送。
* 『[[タイムボカン24]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) - [[2016年]][[11月5日]]放送の「'''渋谷のハチ公'''は蜂だった!」で、アニメとして登場した。
; テレビ番組
* 『[[歴史秘話ヒストリア]]』「きっと会える!大好きな人に 〜ハチ公と渋谷 真実の物語〜」([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]・[[2015年]]9月23日)<ref>[https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/258.html NHK 歴史秘話ヒストリア|バックナンバー] 2015-09-24閲覧</ref>。
* 『[[水曜日のダウンタウン]]』「本物のハチ公見たことがある人まだギリこの世にいる説」([[TBS]]・[[2022年]]4月6日)
; レコード
* 『純情美談 忠犬ハチ公』[[1934年]] キクスイレコード -制作:岸一敏 童謡:国松操、最後にハチの鳴き声が収録されている。2003年、[[バラエティ番組]]『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])で[[バウリンガル]]による翻訳が試みられ、「さみしいよお」という翻訳結果が得られている<ref>{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2004 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 5 |publisher=講談社 }}</ref>。
; アート
* 『ハチ公ファミリー』陶板[[レリーフ]]。原画:[[北原龍太郎]](1932年 - 2013年)、造形:[[ルイ・フランセン]]。ハチ公前広場改名記念として設置された。1990年3月29日除幕<ref>[https://jptca.org/publicart169/ パブリックアート|JR渋谷駅 「ハチ公ファミリー」(北原龍太郎)]日本交通文化協会</ref>。東京都知事優秀賞受賞。
 
== 備考 ==
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{{Reflist|3}}
 
== 関連文献 ==
 
=== 参考文献 ===
* {{Cite book|和書 |title=渋谷区の歴史 |date=1978-09-01 |year=1978 |publisher=名著出版 |pages=260-262 |author=林陸朗 |ref=harv |author-link=林陸朗 |series=東京ふる里文庫 |volume=11 |isbn=978-4626002716 |location=[[大阪府]]、[[日本]]}}
*{{Cite book|和書 |title=渋谷の今と昔 |date=1985-03-31 |year=1985 |publisher=渋谷区立渋谷図書館 |editor=佐藤昇 |editor2-link=新川一男 |editor2-last=新川 |editor2-first=一男 |editor3-first=政雄 |editor3-last=斎藤 |editor3-link=斎藤政雄 |editor-first=昇 |editor-last=佐藤 |ref=harv}}
 
=== 関連文献 ===
* {{Cite book |和書 |author=遠藤秀紀 |authorlink=遠藤秀紀 |title=解剖男 |publisher=講談社 |series=講談社現代新書 |date=2006-02-17 |isbn=9784061498280}}
* {{Cite book |和書 |author=桑井いね |title=おばあさんの知恵袋 |publisher=[[文藝春秋]] |series=文春文庫 |year=1985}}
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* [[フィド]]
* [[:en:List of individual dogs#Faithful after master's death|List of dogs noted for being faithful after their master's death]] - 主人の死後に忠実であった事で有名な犬のリスト{{en icon}}
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=== 関連作品 ===
 
;==== 映画 ====
* 『[[あるぷす大将]]』 ([[ピー・シー・エル映画製作所|P.C.L.映画製作所]] 配給:東和商事映画部 監督:[[山本嘉次郎]]、[[1934年]]公開) - 渋谷駅前で主人公たちが、ハチの銅像と、焼き鳥屋の前にいるハチ自身に出会うシーンがある。<!--焼き鳥を与える場面がある★焼き鳥屋の前で出あうが焼き鳥をあげる場面はない★-->
* 『[[ハチ公物語]]』 ([[松竹]]、[[1987年]]公開)
* 『[[HACHI 約束の犬]]』 (アメリカ映画、[[2009年]]公開) - 2009年([[平成]]21年)7月7日に映画『[[HACHI 約束の犬]]』の主演[[リチャード・ギア]]が同映画のPRのため渋谷駅前を訪れ、“ハチ公銅像訪問記念セレモニー”において、「ついに初めて本当のハチに会えました。今日は本当に幸せで、光栄な気分です」と語り、ハチ公像の首に花輪をかけた。
* 『[[ハチとパルマの物語]]』 (ロシア映画、[[2021年]]公開予定) - [[ジャーマンシェパード]]のパルマという実在の犬をテーマにした作品。空港で主人を待つパルマは忠犬ハチ公になぞらえられ、秋田犬の登場シーンや秋田県大館市での撮影シーンがある。
 
;==== テレビドラマ ====
* 『あるぷす大将』 - 先述の映画のテレビドラマ化、[[1959年]]に[[TBSテレビ|KRT(現:TBSテレビ)]]、[[1963年]]に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]、[[1964年]]に[[テレビ東京|東京12チャンネル(テレビ東京)]]でと、3回に渡って放送された。
* 『[[伝説の秋田犬 ハチ]]』 ([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]「[[ドラマコンプレックス]]」、2006年放送)
 
;==== テレビアニメ ====
* 『[[ワンサくん]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]]) - 第10話「犬の死に方おしえます」。犬仲間のボス格であるクマ([[声優|声]]:[[富山敬]])が、主人が病弱で寝たきりであるために自分も死のうと思い、介護に来たワンサ(声:[[小原乃梨子]])に自分が目標としているハチ公の事を、ミュージカル混じりで教える。総集編である第21話「ワンサくんのミュージカル特集2」でも放送。
* 『[[タイムボカン24]]』([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]) - [[2016年]][[11月5日]]放送の「'''渋谷のハチ公'''は蜂だった!」で、アニメとして登場した。
 
;==== テレビ番組 ====
* 『[[歴史秘話ヒストリア]]』「きっと会える!大好きな人に 〜ハチ公と渋谷 真実の物語〜」([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]・[[2015年]]9月23日)<ref>[https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/258.html NHK 歴史秘話ヒストリア|バックナンバー] 2015-09-24閲覧</ref>。
* 『[[水曜日のダウンタウン]]』「本物のハチ公見たことがある人まだギリこの世にいる説」([[TBS]]・[[2022年]]4月6日)
 
;==== レコード ====
* 『純情美談 忠犬ハチ公』[[1934年]] キクスイレコード -制作:岸一敏 童謡:国松操、最後にハチの鳴き声が収録されている。2003年、[[バラエティ番組]]『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])で[[バウリンガル]]による翻訳が試みられ、「さみしいよお」という翻訳結果が得られている<ref>{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2004 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 5 |publisher=講談社 }}</ref>。
 
;==== アート ====
* 『ハチ公ファミリー』陶板[[レリーフ]]。原画:[[北原龍太郎]](1932年 - 2013年)、造形:[[ルイ・フランセン]]。ハチ公前広場改名記念として設置された。1990年3月29日除幕<ref>[https://jptca.org/publicart169/ パブリックアート|JR渋谷駅 「ハチ公ファミリー」(北原龍太郎)]日本交通文化協会</ref>。東京都知事優秀賞受賞。
 
== 外部リンク ==