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榎本武揚ら旧幕府海軍を主体とする勢力は、奥羽越列藩同盟からの度重なる参戦要求を無視し、もはや列藩同盟の敗色が濃くなった8月19日になってから、ようやく江戸湾から脱出した。出航が遅れたのは、徳川慶喜への新政府の処置を見届ける必要を感じていたからと説明されている。8月26日、[[仙台藩]]内の[[浦戸諸島]]・寒風沢島ほか([[松島湾]]内)に寄港し、奥羽越列藩同盟軍の残党勢力よび大鳥圭介・[[土方歳三]]等の旧幕府軍の残党勢力、約2,500人を収容、10月12日に[[蝦夷地]]([[北海道]])へと向かった。このとき、仙台藩の精鋭である洋式部隊・[[額兵隊]]も、榎本艦隊に収容された。[[松前藩]](北海道)は奥羽越列藩同盟側に属していたが、7月28日に尊王を掲げた正議隊による政変が発生し、以後は新政府側に帰順していた。10月26日榎本は[[箱館]][[五稜郭]]などの拠点を占領し、12月5日に北海道地域に事実上の権力を成立させた(通称、榎本政権または[[蝦夷共和国]])。
 
榎本らは北方の防衛開拓を名目として、朝廷の下での自らの蝦夷地支配の追認を求める嘆願書を朝廷に提出したが、新政府はこれを認めず派兵した。旧幕府軍は松前、江差などを占領する際に軍事力の要となる[[開陽丸]]を悪天候で座礁沈没させており、海軍兵力の低下は否めず、[[宮古湾海戦]]を挑んだものの敗れた。その後、新政府軍は、[[青森市|青森]]に戦力を築き、旧幕府軍の不意を突いて明治2年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]](1869年[[5月20日]])江差の北、[[乙部町|乙部]]に上陸する。旧幕府軍は[[二股口戦い]]での局地的勝利[[箱館湾海戦]]では新政府軍の[[朝陽丸]]撃沈など激しく抵抗したものの新政府軍の進軍されを止める決定打にはならず[[5月18日 (旧暦)|5月18日]](同[[6月27日]])、土方歳三は戦死し、榎本武揚らは新政府軍に降伏し戊辰戦争は終結した。
 
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