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;1965年~1989年
[[ニコラエ・チャウシェスク]]が共産党書記長に就任し、国名を[[ルーマニア社会主義共和国]]に改名した1965年以後は、セクリターテの猛威影響は一層強まった。
 
チャウシェスク政権は、ルーマニアの全土に[[盗聴]]器を設置して、民衆を恐怖に陥れた。又、孤児たちに特殊訓練洗脳してセクリターテのメンバーにする一方で、全国の[[小学校]]にも授業時間にセクリターテのメンバーを間諜として送り込み、チャウシェスク政権への不平や不満を政府に報告していた。
 
しかし、[[1978年]]にチャウシェスク大統領の顧問も務めていたルーマニア対外諜報局の[[イオン・ミハイ・パチェパ]]副局長が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に[[亡命]]し、彼から情報を得た西側諸国によりセクリターテの対外諜報網は壊滅状態に陥った。激怒したチャウシェスクはパチェパの暗殺を命じたが失敗に終わった。