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大平、[[鈴木善幸]]、[[中曽根康弘]][[政権]]樹立の大きな原動力となり、総理・[[自由民主党総裁|総裁]]を目指すには、田中派の協力なしでは不可能と言われていた。しかし、この頃から派内で「他派の候補ばかりを担いで自派から総理・総裁を出さないのは士気が下がる」との声が漏れるようになった。田中は、自身の影響力低下を恐れ、また将来の復権を考えていたため、田中派内から自分に取って代わる人間、つまりは[[竹下登]]の総裁選出馬を許さないと考えていたと言われる。しかし、田中の意を体して竹下を抑えつける立場であった[[二階堂進]]会長自身が党内の反中曽根派の使嗾に乗って総裁選出馬の意欲を一時示す([[二階堂擁立構想]])など、自前の総裁候補を出そうという機運が派内に充満した。
 
=== 創政会、経世会の結成 ===
1984年12月18日、[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の[[国際赤坂ビル|日商岩井ビル]]にある[[フランス料理|フランス料理屋]]に竹下、[[梶山静六]]、[[金丸信]]、[[小渕恵三]]、[[羽田孜]]、[[小沢一郎]]、[[遠藤要]]の7人が集まり、次期[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]で竹下擁立を図る計画の話し合いがもたれた{{Sfn|マスコミ研究会|1985|pp=164-165}}{{Sfn|早坂|1991|pp=38-39}}。