「1963年の西鉄ライオンズ」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1962年]]オフ、[[1953年]]に入団以来10年活躍した[[豊田泰光]]内野手が、[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄スワローズ]]へ金銭トレード、西鉄はトレードマネーでアメリカから[[トニー・ロイ]]内野手・[[ジム・バーマ]]内野手・[[ジョージ・ウイルソン (野球)|ジョージ・ウイルソン]]外野手のトリオ外国人を入団させ、シリーズに臨んだ。開幕から5試合で4勝1敗と好スタートを切ったかと思いきや直後に4連敗、1勝を挟み更に4連敗で一気に借金となり、5月中旬にもシーズン2度目の3連勝の直後にシーズン3度目の4連敗を喫するなど、4・5月とも負け越し、5月末時点では17勝22敗の借金5、6月には15、16、22各日時点でシーズン最多の借金7となり、最大で首位・南海に14.5ゲーム差をつけられる。23日からシーズン初の6連勝、7月13日には4月14日以来約3か月ぶりの貯金1、16日、20日には4月13日以来の貯金3としたものの、[[1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]直前の対阪急ダブルヘッダーに連敗し貯金1、その時点で首位・南海に10.5ゲーム差で、オールスター明け6試合で同月末まで1勝5敗、再び借金43まで下がった。だが8月1日の近鉄戦から4連勝すると、11日の近鉄戦ダブルヘッダー2戦目から6連勝するなど同月17勝7敗とし急激に上昇、9月も7日の阪急戦から7連勝、24日の南海戦ダブルヘッダー1戦目から引き分けを挟み5連勝するなど19勝10敗1分で、8、9月だけで貯金19、通算でも貯金16とし、9月29日近鉄戦ダブルヘッダー2戦目から引き分けを挟み9連勝で猛追。12日から4試合を1勝3敗と停滞したものの、10月17日に南海の全日程が終了した時点で、西鉄は残りの[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]戦4試合を「3勝1引き分け」以上の成績で優勝、「3勝1敗」なら南海と同率でプレーオフ、「2勝2敗」以下なら南海の優勝となった。しかし西鉄は近鉄戦4試合を全勝し、同月も13勝3敗2分、通算86勝60敗4分の好成績を挙げて優勝、1956年の7.5ゲーム差、[[1958年]]の11ゲーム差を上回る大逆転優勝となった(「14.5差逆転」は現在も日本記録)。だがこの優勝は西鉄ライオンズは元より、福岡時代のライオンズとしても最後の優勝となった。[[1963年の日本シリーズ|同年の日本シリーズ]]は因縁の[[読売ジャイアンツ]]と5年ぶりの「GL決戦」となったが、第7戦でエース[[稲尾和久]]が巨人打線に滅多打ちされると後を受けた投手陣も崩壊、最終的に4対18という日本シリーズ史上1試合の最多失点記録<ref>[[2022年の日本シリーズ]]終了時点でもワースト記録</ref>で巨人に3勝4敗で敗れ、日本シリーズにおいて対巨人では初、[[1954年の日本シリーズ|1954年対中日]]以来となる2度目の敗退となった。
 
== チーム成績 ==