「血の日曜日事件 (リトアニア)」の版間の差分

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これらは、リトアニアの独立に向けて[[1988年]]に設立された『サユディス』の代表者の参加が影響を及ぼした。1990年2月末に行われたリトアニア最高評議会選挙の結果では、独立派が勝利した<ref name = "Как Горбачев на Литву санкции наложил" />。同時に、[[1924年]]のソ連憲法、[[1936年]]のスターリン憲法、[[1977年]]のブレジネフ憲法において、「共和国はソ連から離脱する権利を有する」と宣言している事実に注目した。 モスクワにてこれに対する答えが得られたのは[[3月15日]]のことであり、代議員らは「そのような筋書きは、共和国からの離脱手続きが法的に確立された場合にのみ可能になる」と述べた。[[4月3日]]、「ソ連邦からの共和国の独立に関連する問題の解決手順に関する法律」が採択された。 [[ソ連共産党]]の主導的役割に関するソ連憲法第6条はこの時点で廃止されており、この状況で主体的に行動できるのはゴルバチョフだけであった<ref name = "Как Горбачев на Литву санкции наложил" />。
 
ゴルバチョフは[[プラウダ|プラーヴダ]]に「現在のリトアニアの指導部は理性の声に耳を傾けようとせず、第3回ソ連邦臨時人民代議員会議で下された決定を無視し続け、ソ連憲法に違反し、ソ連邦全体に対して、反抗的で、攻撃的で、一方的な公然と行動を公然と取っている」と書いた<ref name = "Как Горбачев на Литву санкции наложил" />。
 
1990年2月に行われた国家の独立に関する国民投票では、9割が賛成票を投じた<ref name = "Деньги и судьба империи" />。
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[[1991年]][[2月9日]]、リトアニアの独立に関する国民投票が実施され、投票に参加した有権者の9割が、自国の完全な独立に賛成票を投じた<ref name = "Sausio 13-oji: iš kruvinos nakties į aušrą" />。
 
== ソ連に対する非難の維持 ==
1990年の時点で、ソ連の財政問題・金融問題は深刻なものとなっていた。ソ連は西側諸国からの財政支援を必要としていた。1990年末から1991年初頭にかけて、「軍事力を行使することなくソ連帝国を維持することはもはや不可能である」が、「軍事力で帝国を維持しようとすれば、西側諸国からの資金援助を受けられない」と考えられていた<ref name = "Деньги и судьба империи" />。
 
リトアニアへの軍事侵攻を受けて、西側諸国はソ連指導部を厳しく非難する声明を発表した<ref name = "Деньги и судьба империи" />。西側諸国モスクワに対する態度は冷淡になる一方で、通貨や金融の問題は解決できないままであった。西側からの融資は喫緊の課題となっていた<ref name = "Деньги и судьба империи" />。
 
ゴルバチョフの首席補佐官であった{{ill|アナトーリイ・チェルニャーイェフ|ru|Черняев, Анатолий Сергеевич}}は、[[1991年]][[1月15日]]、ゴルバチョフに対して以下のような書簡を送った。
 
{{Quote|政治とは、あなた自身が教えてくださったように、選択の連続です。今回、あなたに残された選択肢は以下のとおりです。<br />
「ソ連邦からのほんのわずかな離脱も容認せず、それを阻止するにあたっては戦車を含むあらゆる手段を用いる」と直接宣言するか。指導部にも制御しきれない悲劇的な出来事が起こったことを認めたうえで、武力を行使して人々を殺した者たちを非難し、裁きを受けさせるか。このいずれかでございます。<br />
一番目の場合、この五年間であなたが伝えてきたこと、行ってきたことを全否定することになります。あなた自身も、この国も、文明化された道への革命的な転換の準備ができていなかったことを認めたうえで、以前と同じように国民に接するのです。二番目の場合、『ペレストロイカ路線を継続する』との名目で、事態が改善される可能性はまだ残っています。取り返しのつかない事態がすでに起こってしまいましたが。警察や検察がいかなる結論を下そうとも、今回の事件に対する国際社会と西側諸国の全政治階級からの印象を変えることはできません<ref name = "Арх. № 8780" >{{Cite web |url = http://gaidar-arc.ru/file/bulletin-1/DEFAULT/org.stretto.plugins.bulletin.core.Article/file/486 |title = 15 января 1991 г. Докладная записка А.С. Черняева с критикой выступления Президента в Верховном Совете (в связи с событиями в Вильнюсе - AM). Арх. № 8780. |author = Анатолий Сергеевич Черняев |work = Архив Егора Гайдара |archive-url = https://web.archive.org/web/20160414015227/http://gaidar-arc.ru/file/bulletin-1/DEFAULT/org.stretto.plugins.bulletin.core.Article/file/486 |archive-date = 2023-09-27 |access-date = 2023-09-29 }}</ref><ref name = "FLB20180115" >{{Cite web |url = https://flb.ru/3/1075.html |title = Однажды Пономарёв проник в личный архив Сталина - письма из ссылки, письма к женщинам и прочее |date = 2018-01-15 |work = Freelance Bureau |archive-url = https://web.archive.org/web/20230722200416/https://flb.ru/3/1075.html |archive-date = 2023-07-22 |access-date = 2023-09-29 }}</ref>。}}
 
リトアニアへの軍事介入を止めるよう西側から圧力を受けたゴルバチョフが下した決定は、「バルト三国の独立は既成事実である」とする信号を送ることであった。実際には、差し迫った財政問題・金融問題の破局がソ連に影響を及ぼした<ref name = "Деньги и судьба империи" />。
 
1991年の春までに、 ゴルバチョフは、ソ連帝国を力ずくで維持するのはもはや不可能であることを明らかにした<ref name = "Деньги и судьба империи" />。
 
== 偽情報 ==
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リトアニアへの軍事侵攻について、ソ連では責任を取ろうとする者は誰もいなかった。リトアニアに対する武力行使を決定した者たちは、責任者を探して互いに非難し合った<ref name = "Деньги и судьба империи" />。ゴルバチョフは「自分は何も知らない」<ref name = "Литва, прости нас!" />、「侵攻の翌日になってから事態を知らされた」「軍には命令を出していない」と発言した<ref name = "Январские события в Вильнюсе: 20 лет спустя" >{{Cite web |url = https://www.dw.com/ru/%D1%8F%D0%BD%D0%B2%D0%B0%D1%80%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B5-%D1%81%D0%BE%D0%B1%D1%8B%D1%82%D0%B8%D1%8F-%D0%B2-%D0%B2%D0%B8%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D1%8E%D1%81%D0%B5-20-%D0%BB%D0%B5%D1%82-%D1%81%D0%BF%D1%83%D1%81%D1%82%D1%8F/a-14765532 |title = Январские события в Вильнюсе: 20 лет спустя |author = Вячеслав Юрин, Глеб Гаврик |date = 2011-01-13 |work = Deutsche Welle |archive-url = https://web.archive.org/web/20171226064310/https://www.dw.com/ru/%D1%8F%D0%BD%D0%B2%D0%B0%D1%80%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B5-%D1%81%D0%BE%D0%B1%D1%8B%D1%82%D0%B8%D1%8F-%D0%B2-%D0%B2%D0%B8%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D1%8E%D1%81%D0%B5-20-%D0%BB%D0%B5%D1%82-%D1%81%D0%BF%D1%83%D1%81%D1%82%D1%8F/a-14765532 |archive-date = 2017-12-26 |access-date = 2023-09-20 }}</ref>。
 
リトアニア共産党の{{仮リンク|ユオザス・イェルマラヴィチュス|ru|Ермалавичюс, Юозас Юозович}}と、同党の中央委員会第一書記、{{仮リンク|ミーコラス・ブロケヴィチュス|ru|Бурокявичюс, Миколас Мартинович}}は逮捕され、裁判にかけられた。彼らはリトアニア国家の主権を暴力的に侵害した罪で有罪を宣告され、刑務所で服役した。[[2002年]]1月、イェルマラヴィチュスは釈放された<ref name = "Iš kolonijos paleistas sausio 13-osios perversmininkas" >{{Cite web |url = https://www.delfi.lt/news/daily/lithuania/is-kolonijos-paleistas-sausio-13-osios-perversmininkas.d?id=716551 |title = Iš kolonijos paleistas sausio 13-osios perversmininkas |date = 2002-01-15 |work = Delfi |archive-url = https://web.archive.org/web/20150207202342/https://www.delfi.lt/news/daily/lithuania/is-kolonijos-paleistas-sausio-13-osios-perversmininkas.d?id=716551 |archive-date = 2015-02-07 |access-date = 2023-09-20 }}</ref>。[[2022年]]12月、イェルマラヴィチュスはモスクワで死んだ。ミコラス・ブロケヴィチュスは[[2006年]]1月に釈放された。[[2016年]][[1月20日]]、彼はヴィリニュスにて、急性心不全で死んだ。89歳であった<ref name = "Скончался последний руководитель Компартии Литовской ССР" >{{Cite web |url = http://eadaily.com/news/2016/01/20/skonchalsya-posledniy-rukovoditel-kompartii-litovskoy-ssr |title = Скончался последний руководитель Компартии Литовской ССР |date = 2016-01-20 |work = EADaily |archive-url = https://web.archive.org/web/20160131154858/http://eadaily.com/news/2016/01/20/skonchalsya-posledniy-rukovoditel-kompartii-litovskoy-ssr |archive-date = 2016-01-31 |access-date = 2023-09-20 }}</ref>。[[2008年]][[2月19日]]、[[欧州人権裁判所]]は、ブロケヴィチュスをはじめとする有罪判決を受けた人々者たちの訴えを却下する決定を下し、「リトアニアの検察と裁判所の行動は、法規範や人権とは矛盾していない」と明言した<ref name = "Belarusian prosecutors" />。
 
1991年1月当時、ヴィリニュスの駐屯地で司令官を務めていた{{仮リンク|ヴォロディミル・ウスホプチク|pl|Uładzimir Uschopczyk}}は、民間人の殺害に関与した容疑で国際指名手配を受けている。リトアニアの検察は、ウスホプチクを引き渡すようベラルーシに要請しているが、ベラルーシはこれを拒否している<ref name = "Belarusian prosecutors" >{{Cite web |url = https://charter97.org/en/news/2010/1/5/25152/ |title = Belarusian prosecutors: Uskhopchik can’t be extradited, he defended Soviet Union |date = 2010-01-05 |work = Хартия'97 |archive-url = https://web.archive.org/web/20100123095220/https://charter97.org/en/news/2010/1/5/25152/ |archive-date = 2010-01-23 |access-date = 2023-09-20 }}</ref>。ヴィータウタス・ランズベルギスは、武力行使をちらつかせたウスホプチクとの電話会談を録音し、法廷で証言した。それによれば、「ウスホプチク将軍は1月の出来事に積極的に関与し、ヴィリニュス守備隊の指揮を執り、彼の命令により、戦車や装甲兵員輸送車が非武装の民間人を攻撃した」という<ref name = "Belarusian prosecutors" />。[[アレクサンドル・ルカシェンコ|アレクサンドル・ルカシェンカ]]は、ウスホプチクの身柄の引き渡しを拒否しているうえ、[[2004年]][[2月23日]]にはウスホプチクに勲章を授与した。この年の5月には、ウスホプチクをベラルーシの国防副大臣に任命している<ref name = "Belarusian prosecutors" />。
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[[2019年]][[3月27日]]、リトアニアの裁判所は、1991年の軍事侵攻で行われた犯罪で、ソ連軍の将校やソ連当局者67人に対し、「[[戦争犯罪]]および[[人道に対する罪]]」を理由に有罪判決を下した<ref name = "While rest of EU mourns, Baltics recall Gorbachev as agent of repression" />。ロシアが法廷への協力を拒否したことで欠席した一名を除いて、全員に懲役刑が宣告された<ref name = "Thirty Years After Soviet Crackdown In Lithuania, Kremlin Accused Of Rewriting History" /><ref name = "LNB Mokslo ir enciklopedijų leidybos centras Sausio tryliktoji" />。しかしながら、ロシアとベラルーシは容疑者の引き渡しを拒否し、被告人の大半は法廷に出廷せず、欠席裁判となったため、彼らの刑が執行される可能性は極めて低い<ref name = "Gorbachev’s Legacy in Lithuania" >{{Cite web |url = https://verfassungsblog.de/gorbachevs-legacy-in-lithuania/ |title = Gorbachev’s Legacy in Lithuania |author = Dovilė Sagatienė, Justinas Žilinskas |date = 2022-09-08 |work = Verfassungsblog |archive-url = https://web.archive.org/web/20220908094432/https://verfassungsblog.de/gorbachevs-legacy-in-lithuania/ |archive-date = 2022-09-08 |access-date = 2023-09-07 }}</ref>。ゴルバチョフは起訴されなかったが、証言については拒否し続けている<ref name = "Lithuania convicts Russians of war crimes under Soviet rule" />。また、ゴルバチョフに対する民事訴訟は続いており、「軍を指揮する立場にあったゴルバチョフは、流血の事態を防ぐにあたり、何もしようとしなかった」と明記された<ref name = "While rest of EU mourns, Baltics recall Gorbachev as agent of repression" />。
 
[[2021年]][[3月31日]]、リトアニア控訴裁判所は判決を発表し、判決を受けた者の懲役期間の延長を決定し、犠牲者の遺族に金銭以外の損害賠償として1080万ユーロを支払うよう命じた。裁判を担当した判事は「彼らは自分たちが何をしているのかを認識していた」と述べ、有罪を受けた者たちによる「命令に従っただけだ」との主張を却下した<ref name = "Važiuodami su tankais per žmones jie puikiai suprato, ką daro" >{{Cite web |url = https://www.15min.lt/naujiena/aktualu/nusikaltimaiirnelaimes/apeliacinis-teismas-skelbs-nuosprendi-sausio-13-osios-byloje-59-1479392 |title = Sausio 13-osios byloje nuosprendį paskelbęs teisėjas: „Važiuodami su tankais per žmones jie puikiai suprato, ką daro“ |date = 2021-03-31 |work = Baltic News Service |publisher = 15min Naujienos |archive-url = https://web.archive.org/web/20220830082132/https://www.15min.lt/naujiena/aktualu/nusikaltimaiirnelaimes/apeliacinis-teismas-skelbs-nuosprendi-sausio-13-osios-byloje-59-1479392 |archive-date = 2022-08-30 |access-date = 2023-09-21 }}</ref>。有罪判決を受けた者たちは、いずれも国際法に違反する行為で告発されていた<ref name = "Rusija sureagavo į sprendimą Sausio 13-osios byloje: bus atsakyta" >{{Cite web |url = https://www.lrytas.lt/pasaulis/ivykiai/2021/03/31/news/rusija-sureagavo-i-sprendima-sausio-13-osios-byloje-bus-atsakyta-18853666 |title = Rusija sureagavo į sprendimą Sausio 13-osios byloje: bus atsakyta |date = 2021-03-31 |work = Elta |publisher = Lrytas.lt Naujienos |archive-url = https://web.archive.org/web/20220701100149/https://www.lrytas.lt/pasaulis/ivykiai/2021/03/31/news/rusija-sureagavo-i-sprendima-sausio-13-osios-byloje-bus-atsakyta-18853666 |archive-date = 2022-07-01 |access-date = 2023-09-21 }}</ref>。この判決に対し、リトアニアにあるロシア大使館は「リトアニアの裁判所が下した判決は違法である」と主張した。ロシア大使館は「リトアニアの裁判所は、司法手続きの最中に国際法とリトアニアの法律の両方に違反しているのに、その違反を無視し、ロシア恐怖症が蔓延する政府機構に有利な行動を取った。まず第一に、この『事件』の被告たちは、当時施行されていた法律に則った形での裁判を受けていない。刑法の不遡及という基本原則に矛盾している」「ロシア国民に対するこの不法行為に対し、我々が無関心でいることはありえない。彼らの権利と正当な利益を擁護するつもりだ」との声明を発表した<ref name = "Rusija sureagavo į sprendimą Sausio 13-osios byloje: bus atsakyta" />。
 
=== ミハイル・ゴルバチョフに対する非難 ===