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** 24日 - 中核派が革マル派神奈川大生(24歳)を満員の学生食堂内で殺害。止めに入った一般学生数人も負傷。[[横浜国大内ゲバ殺人事件]]<ref>「(神奈川)横浜国大経済学部食堂内で、中核派と思われる数人に鉄パイプ等で殴打され同日死亡した。」{{Harv|警視庁|1975}}</ref><ref>「横浜国大でも革マル派活動家の矢崎知二君が六人の中核派に襲撃された。矢崎君は、おりからの昼食時で満員の学生食堂に逃げ込んだ。しかし、そこで追いつかれて引き倒された。そして、約三百人の学生が遠巻きに見守るなかで、一人が矢崎君の上に馬のりになって押さえつけ、他の二人が一メートルものバールをクワのようにふるって後頭部を打ちくだいたほか、全身をメッタ打ちにした。」{{Harv|立花隆|1975|loc=下巻}}</ref>
* 2月8日 - 中核派が革マル派だとして琉球大生(21歳)を講義中の教室内で殺害。[[琉球大学内ゲバ誤認殺人事件]]<ref>「(沖縄)教室受講中乱入してきた中核派と思われる数人に人違いされ、鉄パイプ等で殴打され同日死亡した。」{{Harv|警視庁|1975}}</ref><ref>「中核派の殺し屋八人は(略)七十余名の学生が講義(物理学概説)を受けていた教養Aの教室に後方から突如として乱入した。そして、『自治委員長の安室はいるか!安室はどこだ!』とヒステリックに叫び、(略)その時、一人黒板の方向に走って退避せんとした比嘉君を、殺し屋どもはその顔を何ら確かめることもなく『あれが、安室だ!殺れ!』と口ぐちにわめきながら、バール、鉄パイプなどの殺人用武器をふりかざして、背後から襲いかかり、彼、比嘉君の後頭部に狙いを定めてメッタ打ちにしたのである。 (『解放』)」「二・八は琉大カクマル幹部安室某に対する断固たる制裁として、またその革命的制裁活動に反動的敵対をなしたカクマル分子比嘉某の徹底的せん滅として圧倒的にうちぬかれたのである。(中核派)」{{Harv|立花隆|1975|loc=下巻}}</ref>
* 5月13日 - 革マル派が中核派東京都[[特別区]]男性職員(37歳)を、東京都千代田区の法政大学から出て国鉄市ヶ谷駅に向かう外濠土手下の路上で襲い殺害。<ref>「中核派数十人と法大から出たところを待ち伏せ中の革マル派に襲撃され、鉄パイプ等で殴打され翌日死亡した。」{{Harv|警視庁|1975}}</ref>殺されたのは中核派東京東部地区委員長(第一次法政大会戦)。<ref>立花隆「中核vs革マル」下巻(講談社文庫)94ページ</ref>
* 6月
** 7日 - 革マル派大阪産業大生(20歳)が大阪[[大東市]]で殺害<ref name="HakushoS50-apart">「アパート自室で就寝中、乱入してきた数人に鉄パイプ等で殴打され翌日死亡した。」{{Harv|警視庁|1975}}</ref><ref name="75WPC"/>。
** 26日 - 午前4時30分、法政大学に泊まり込んでいた中核派20名と学外から合流した50名の計70名を、法政大学内に潜んでいた革マル派50名が襲った。内ゲバ史上最大の激戦といわれ、2時間半にわたる大激突となったが、死者は出ていない(第二次法政大会戦)。<ref>立花隆「中核vs革マル」下巻(講談社文庫)101ページ。同書などを見たところ、この時期、法政大学構内で行われた内ゲバで死者は出ていない。5月13日の死者は、法政大学外の路上。大学側の記録にもない。</ref>
* 9月
** 10日 - 革マル派が中核派郵便局員(25歳)を東京荒川区内ビルで殺害。<ref name="HakushoS50-apart" /><ref name="75WPC"/>