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フランスの画家の[[ピエール・モリニエ]]は妹のジュリエンヌを深く愛し神が磔になっている所を模して妹を壁に貼り付かせ、脚にキスをした。1918年、ジュリエンヌは[[スペイン風邪]]により若くしてこの世を去る。モリニエはその身体を撮影し、妹の遺体と性的接触を行って射精した。モリニエは娘のフランソワーズにも魅力を感じ、[[ボルドー]]の人々はフランソワーズは父親の愛人だと噂をしていたが、フランソワーズは「父親は自分を恋愛的な目で見ていたのは今では知っているし、結婚の6か月前には嫉妬に狂ってはいたが、自分に対しては実行したことは最後までなかった」と述べた<ref>ピエール・プチ『モリニエ、地獄の一生涯』,[[人文書院]],2000年,13、20、53頁 ISBN 978-4-409-10013-4</ref>。
 
[[日中戦争]]で[[日本軍]]は[[南京]]を攻略するが混乱が発生([[南京事件 (代表的なトピック)|南京事件]])。信憑性に疑問の声もあるが、当時南京にあったドイツ大使館において書記官を勤めていたゲオルグ・ローゼンによって編纂された『南京ドイツ大使館公文書綴「日支紛争」』によれば、棲霞山で日本軍が母親を持つ息子に対してその母親と交わるよう命令したとされる<ref>『『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 中国における「情報戦」の手口と戦略』([[藤岡信勝]]・[[東中野修道]]著、祥伝社、1999年) 163、164頁 ISBN 4-396-61090-4</ref>。日本に勝利した中国は[[南京軍事法廷|国民政府国防部審判戦犯軍事法廷]]を開き、郭岐の『陥都血涙録』が証拠として採用される。郭岐は日本軍の兵士は息子が母を犯すのを見て楽しんでいたと述べたが、[[黒鉄ヒロシ]]はこんなのは恐らく日本兵の反倫理性を強調するために創作された話であって、日本人がこんなことを絶対にやるわけがないと主張している<ref>『もののふ日本論 明治のココロが日本を救う』(黒鉄ヒロシ、幻冬舎、2017年) 129頁 ISBN 978-4-344-98450-9</ref>。
 
1939年、[[ペルー]]で[[リナ・メディナ]]が史上最低年齢の5歳7カ月21日で出産。父親が逮捕されたが証拠不十分で釈放。現在もこれより低年齢での出産は確認されていないが、その息子は40歳で死去した。