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→引退後: 石狩監督としての戦績を加筆。 |
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{{by|1998年}}(1年目)は、[[プロ野球監督|監督]]の[[吉田義男]]の下、1月28日の一・二軍振り分けで新人選手の中で唯一の一軍に振り分けられる{{Efn2|当時の阪神の春季キャンプでは、1年目の選手は二軍に割り振られるのが通例だった。}}。キャンプ・オープン戦で結果を残して開幕一軍を勝ち取った。
開幕の外野陣はレフト・[[アロンゾ・パウエル|パウエル]]、センター・[[新庄剛志]]、ライト・[[桧山進次郎]]であり、4月前半は代打、守備固めの起用だったが、パウエルと[[平塚克洋]]が故障したため<ref>{{Cite web |url=https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=4119&from= |title=横浜DeNAベイスターズ打撃コーチの坪井智哉(つぼい・ともちか)コーチを徹底解剖! |publisher=はまれぽ.com |date=2015-05-15 |accessdate=2021-04-06}}</ref>、4月19日に1番ライトでプロ入り初スタメン入り。パウエル復帰後の5月前半はスタメンから外れるが、桧山の不振で5月20日からスタメンに復帰し、定着後はセンターやレフトで出場するようになる。7月4日の広島東洋カープ戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民]])で、1回表に[[紀藤真琴]]から左中間へプロ初本塁打となる初回先頭打者ランニング本塁打を放つ。プロ初本塁打がランニング本塁打は2リーグ制以後、[[武上四郎]]・[[緒方耕一]]に次いで史上3人目だが、初回先頭打者ランニング本塁打は史上5人目の記録で、'''新人では史上初の快挙であった。'''7月19日以降は1番・ライトに完全定着する。8月27日に規定打席に到達し、打率.318でリーグ3位となり、9月になると更に打率を上げた。横浜の[[鈴木尚典]]、広島の[[前田智徳]]、坪井の3人が[[打率]].330近くを記録する熾烈な[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]争いとなった
{{by|1999年}}は、新たに監督に就任した[[野村克也]]の下、巨人との開幕戦で1番センターのスタメンを勝ち取るも開幕戦から数試合連続(18打席連続ノーヒット)ヒットが出ず、開幕から不振に苦しんだ。5月以降になると6度の4安打を記録するなどヒットを量産し、徐々に調子を取り戻し、最終的に新人から2年連続3割打者となる打率.304を記録(新人から2年連続打率3割達成は史上4人目の記録。他の達成者は長嶋茂雄、[[横田真之]]、高橋由伸がいる)。得点圏打率も.343と1番打者として打線を牽引し、自己最多となる161安打を記録した。守備でも活躍が光りセ・リーグトップとなる11補殺を記録している。
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