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{{quotation|{{Ruby|是|こ}}{{Ruby|歳|とし}}、{{big|'''新嘗'''}}の月に{{Ruby|當|あた}}りて、{{Ruby|宴会|とよのあかり}}の日を以て、{{Ruby|酒|おほみき}}を{{Ruby|[[命婦|內外命婦]]|ひめとね}}{{Ruby|等|たち}}に{{Ruby|賜|たま}}ふ。——''『日本書紀』巻第十一 [[仁徳天皇|大鷦鷯天皇'']]}}
とある。これらの記述が史実をどの程度反映しているのかは明らかではないが、新嘗祭の儀式の中に[[弥生時代]]に起源を持つと考えられるものがあるため、その原型は弥生時代に遡るという説もある<ref name="工藤">工藤隆『大嘗祭―天皇制と日本文化の源流』p.47,p.104</ref>。
 
「[[古事記]]」[[雄略天皇]]の段の「天語歌」も当時の新嘗祭の様子を表していると言われている。大きな樹の下で新嘗の祭宴が行われ、采女が杯を大王にささげ「高光る日の御子やすみししわが大王(おおきみ)」と讃える様子が描かれている<ref>松前健「古代王権の神話学」雄山閣 2003 78頁</ref>。
 
その後、[[律令制|律令]]により国家祭祀としての体裁を整えていった<ref group="注釈">[[飛鳥浄御原令]]あるいは[[大宝律令]]において明文化されたと考えられている。</ref>。また、皇位継承儀礼に組み込まれ(''[[大嘗祭]]を参照'')、伊勢神宮の神事の形式を取り入れながら、宮中祭祀として続いてきた<ref>工藤隆『大嘗祭―天皇制と日本文化の源流』p.17</ref>。