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明治2年[[9月 (旧暦)|9月]]調べの職員録で陸軍の少将として掲載されている者<ref name="職員録・明治二年九月・陸軍">「職員録・明治二年九月・職員録改」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A09054272700、職員録・明治二年九月・職員録改(国立公文書館)(第66画像目)</ref>は、明治2年7月調べの職員録で軍務官陸軍局の三等陸軍将として掲載されていた者<ref name="職員録・明治二年七月・陸軍局" />とほぼ同じで[[堂上家|堂上]][[華族]]{{Efn|1869年[[7月24日]](明治2年[[6月16日 (旧暦)|6月16日]])に公卿・諸侯の称を廃止して華族に改称した<ref>「公卿諸侯ノ称ヲ廃シ改テ華族ト称セシム」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070034600、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第六巻・制度・種族一(国立公文書館)</ref>。}}やその子弟が任ぜられた{{Efn|明治2年9月調べの職員録には久我通久、正親町公董、五条為栄、四条隆謌、鷲尾隆聚、坊城俊章が陸軍の少将として掲載されており、烏丸光徳は少将としては掲載されていない<ref name="職員録・明治二年九月・陸軍" />。}}。なお、大将や中将として掲載されている者はいない<ref name="職員録・明治二年九月・陸軍" />。
 
[[1870年]][[10月12日]]([[明治3年]][[9月18日 (旧暦)|9月18日]])に[[太政官]]の沙汰により、陸軍に佐尉官・曹長を置き佐尉については大中少を分かち曹長には[[権官]]があり、[[正五位]]から[[正九位]]までに相当した<ref name="海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク">{{Wikiref|S-明治3年9月18日太政官布達第604号|明治3年9月18日 太政官布達 第604号 海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(ウィキソース)}}</ref> <ref name="大政紀要・陸軍官制の章・官位相当制・兵学寮・佐官・尉官・下等士官の説明">{{Wikiref|JACAR-A04017112800|JACAR:A04017112800}}(第7画像目)</ref> {{Efn|[[法令全書]]では布達ではなく「沙汰」としている<ref>[{{NDLDC|787950/211}} {{Cite book|和書|editor=内閣官報局|year=1912|title=法令全書 |publisher=内閣官報局|location=東京|volume=明治3年 |page=357|chapter=第604号海陸軍大中少佐及尉官及陸軍曹長權曹長ヲ置ク(9月18日)(沙)(太政官)}}]</ref> <ref>「御沙汰書 9月 官位相当表の件御達」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090037000、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)</ref>。また、第604号はいわゆる[[法令番号]]ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号である<ref>{{Cite web |url=https://dajokan.ndl.go.jp/hanrei.html#types_and_numbers |title=7. 法令の種別、法令番号 |accessdate=2023-12-02 |author=国立国会図書館 |authorlink=国立国会図書館 |year=2019 |format=html |website=日本法令索引〔明治前期編〕 |work=ヘルプ(使い方ガイド) |publisher=国立国会図書館 |language=日本語 }}</ref>。}} {{Efn|1870年[[1月5日]](明治2年[[12月4日 (旧暦)|12月4日]])に[[刑部省]]から兵部省への軍曹から歩兵までの職名と等級の照会に対して、翌日に兵部省は[[御親兵|御直兵]]大隊司令官は先ず[[従六位]]、軍曹については[[職原抄]]にも[[鎮守府 (古代)|鎮守府]]軍曹従八位上とあるので先ず[[従八位]]相当の取り扱いと致しておき、その他それぞれの等級などについては調査してから大綱を申し出るつもりで、その後に内容を知らせると回答していた<ref name="刑部省軍曹以下ノ照会">「刑部省軍曹以下ノ職名并等級等ノ事ヲ兵部省ニ照会ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070837100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第百六巻・兵制・陸海軍官制(国立公文書館)</ref>。}} {{Efn|兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている<ref>「弁官往復閏 7月 官位相当表の義々付上申」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09090036900、公文類纂 明治3年 巻1 本省公文 制度部 職官部(防衛省防衛研究所)</ref>。}}。
 
明治3年[[11月 (旧暦)|11月]]調べの職員録では陸軍の大将、中将及び大佐以下権曹長以上として掲載されている者は一人もいない{{Efn|明治3年11月調べの職員録には正親町公董、五条為栄、四条隆謌が陸軍の少将として掲載されている<ref name="職員録・明治三年十一月・陸軍">{{Wikiref|JACAR-A09054274900|JACAR:A09054274900}}(第149画像目から第151画像目まで)</ref>。}}<ref name="職員録・明治三年十一月・陸軍" />。