「文禄・慶長の役」の版間の差分

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=== 朝鮮の内情 ===
権威の後ろ盾を明に求めた李成桂は、軍師であった[[鄭道伝]]の進言により、国内を、仏教を崇めた高麗時代とは一転して、[[朱子学]]を国教<ref group="注">正学あるいは官学とも言う。</ref> とすることで道徳秩序のある儒教国家として繁栄させようとした。しかし鄭自身が王子の序列争いに巻き込まれて斬首されるなど朝鮮の動乱は収まらなかった。兄達を蹴落として王位を奪った[[太宗 (朝鮮王)|李芳遠]]の後を継いだ[[世宗 (朝鮮王)|世宗]]以後の君主は平和に腐心して儒学思想を極端に信奉するようになったが、かえって人臣の間に[[パターナリズム|家長的名分主義]]や排他主義が蔓延し<ref>{{Citation|和書
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