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=== 自称おたく評論家「宅八郎」 ===
宮崎勤事件によって「おたく」に注目が集まる中、無署名で活動していた[[フリーランス|フリー]][[著作家|ライター]]が1990年に『[[週刊SPA!]]』上で、おたく[[評論家]]「'''[[宅八郎]]'''」としてデビュー。翌年の1991年に[[ワンレングス]]の長髪に[[眼鏡#素材による分類|銀縁]][[眼鏡]]、[[マジックハンド]]と[[森高千里|アイドル]]の[[フィギュア]]、手提げ紙袋を持つという姿でテレビ番組に出演し、強烈なインパクトを残した。いわゆるオタク史の中の位置づけとして、宅八郎は宮崎勤事件と並んで「オタクの間違ったイメージを広めた」存在として語られることが多い。宅八郎と長年交流のあった[[大泉実成]]は、宅について、「彼にはオタクのプラス面をアピールしたいという思いがあった。ただ、その擁護の仕方がめちゃくちゃで、誤爆のようなところがあった」と振り返っている。宅のメディアでの風貌は作られたものであり、オタクに見える服を着て、おたくを演じていた。大泉は、「オタクと呼ばれていた当事者たちからは、演じていることはバレバレ。迷惑でもあっただろう」「オタクの歴史を語るうえでは、あだ花のような存在でしょう」と語る一方で、宅の著書『イカす!おたく天国』について、「負のイメージが強かったオタクを、特定の分野に特化した優秀な存在として社会に伝えた。その意味はあると思う」と評している<ref>{{cite news|url=https://book.asahi.com/article/14105708|title=オタク史に咲いた、宅八郎というあだ花 ノンフィクション作家・大泉実成さんと振り返る|publisher=好書好日([[朝日新聞]])|date=2021-01-16|accessdate=2021-11-22}}</ref>。
 
=== イメージの好転 ===