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『'''K-19'''』(原題: ''K-19: The Widowmaker''、「K-19 未亡人製造艦」の意)は、[[潜水艦]]を主題にした[[2002年の映画|2002年]]の[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッド映画]]。
 
[[キャスリン・ビグロー]]監督、[[ハリソン・フォード]]、[[リーアム・ニーソン]]が出演した[[ノン・フィクション]]作品。[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ホテル級原子力潜水艦]][[K-19 (原子力潜水艦)|K-19]]が[[1961年]][[7月4日]]、[[北海]][[グリーンランド]]付近で起こした事故を元に製作された。ただし、[[ドキュメンタリー]]映画ではなく、史実と異なる脚色や設定変更がされているため<ref>映画では魚雷を分解して取り出した部品を冷却装置に溶接するが、史実では艦内の排気弁を利用した。また、政治将校らによる艦長逮捕は起きていない等</ref>、脚本を読んだ元乗組員たちから抗議を受けている
 
キャッチ・コピーは「'''世界なんか、一瞬で終わる。'''」
 
== ストーリー ==
[[1961年]]7月、[[ソ連海軍]]の最新鋭原子力潜水艦K-19は[[グリーンランド]]沖での[[軍事演習|演習]]に参加するため出港する。新任の艦長アレクセイ・ボストリコフは部下に疎まれていた。出航前の点検でボストリコフは勤務中に泥酔した[[原子炉]]室長を解任し、若き原子炉士官ヴァディムを任命する。出航前からK-19は不運続きだった。[[進水式]]では[[シャンパン]]のボトルが割れず、[[軍医]]は[[貨物自動車|トラック]]に轢かれて死亡。代わりにやってきたのは[[船酔い]]を訴える老齢のサヴラン軍医であった。副長のミハイル・ポレーニンは事あるごとにボストリコフと対立する。部下を極限の状況下に追い込み最高の戦士に鍛え上げようとするボストリコフと、部下の信頼厚いポレーニンとの間で艦内は一触即発の緊張状態に包まれていた。

[[核ミサイル]]の発射実験に成功したのも束の間、原子炉でトラブルが発生。1次[[冷却水]]漏れが生じ、原子炉は過熱状態に突入する。修理しようにも水漏れの箇所は生身の人間が近寄れば死を免れない高濃度の[[放射線]]環境下にあった。ボストリコフはポレーニンらに対策を命じる。原子炉に[[安全装置]]は設置されておらず、[[無線]]で[[モスクワ]]の司令部に指示を仰ごうにも[[氷]]との衝突で[[アンテナ]]が故障し交信すらできない状況であった。原子炉士官パベルの提案で艦内の[[水槽|タンク]]から[[魚雷]]を分解して得た[[パイプ]]をつなぎ合わせ、[[水]]を炉心に送り込んで冷却するという案が採用された。ところが、艦内に配備されていたのは[[レインコート]]と変わらない[[化学防護服]]のみ。[[放射線防護服]]は在庫切れで用意されていなかった。炉心から生じる強烈な[[ガンマ線]]や[[中性子線]]を遮蔽する効果はなく、修理作業は文字通り生還を前提としない[[特攻]]作戦になる。ポレーニンは部下のポリアンスキーに「これで防げると言え」と作業員たちに伝えるよう命じる。原子炉担当士官8名が2人1組で困難な作業に臨むことになった。まず、パベルとアナトリーの2名が原子炉に入る。原子炉の空気抜き弁を切断し、パイプを[[溶接]]する作業が始まった。10分後、原子炉から戻ったパベルとアナトリーは重度の[[被曝]]で半死半生の状態であった。軍医に2人を[[放射能]]から遠ざけるよう命じるボストリコフ。2人の被曝量は[[線量計]]の針が振り切れるほどであったが、ポレーニンは部下の動揺を抑えるため軍医に暗に協力を促す。しかし、[[大学]]で[[原子力]]を学び、放射線の恐ろしさを知り尽くしているヴァディムは恐怖のあまり出動を拒否。代わりに原子炉に入ったゴレロフ機関長は最後の力を振り絞って[[クランク (機械要素)|ハンドル]]を回し冷却水を炉心に送り込む。ポリアンスキーに救出されたゴレロフは鼻から出血し[[急性放射線症候群]]の特徴を示していた。献身的な犠牲を厭わない部下たちの姿に鬼艦長のボストリコフも胸を打たれる。決死の作業が功を奏し、原子炉は危機的状況を脱したかにみえたが、溶接箇所から再び水漏れが始まる。艦内はひどく[[放射能汚染]]されていた。乗組員が飼育していた[[ネズミ]]も死んでしまう。ボストリコフは部下たちを[[甲板 (船)|甲板]]に避難させるが、重症者は手の施しようもなく、放射能障害の知識もない軍医は[[包帯]]を巻いて[[アスピリン]]を投与するしかない。K-19を発見した[[アメリカ海軍]]が救助を申し出るが、ボストリコフは拒否。部下思いのポレーニンは激しく反発する。ボストリコフを快く思わない部下たちはポレーニンを担いで[[反乱]]を計画し、ボストリコフに[[拳銃]]を突きつけ解任を迫るが、ポレーニンは逆に彼らから銃を取り上げ、反乱参加者を拘束してしまう。原子炉の過熱が再び始まり、ヴァディムは意を決して作業に向かう。ポレーニンに窮地を救われたボストリコフは部下たちに現在の危機的な状況を説明し、協力を求める。現場海域は[[NATO]]軍基地の近くであり、もし原子炉が爆発すれば西側はソ連の先制核攻撃とみなし反撃、たちまち[[第三次世界大戦]]に発展しかねない。想像を絶する悲劇を回避できるのは諸君だけなのだ、と熱弁をふるうボストリコフ。足並みの乱れが目立っていた乗組員たちはボストリコフの演説に感激して結束し、ボストリコフとともに最後まで戦う意思を表明する。原子炉から戻ってこないヴァディムを案じてボストリコフは防護服も着けず原子炉に向かう。瀕死のヴァディムは自らの命と引き換えに水漏れを食い止め、ボストリコフに救い出される。やがてK-19は友軍の[[潜水艦]]に発見・救助される。乗組員たちは甲板で裸になって放射能を洗い流す。K-19は曳航され、乗組員たちはソ連に生還を果たすが、原子炉に入った作業員8名は重度の被曝で1週間以内に全員死亡。その後の2年で28人が後を追った。生き残った者たちも放射能障害に苦しんだ。

ソ連政府は事故の事実を隠蔽し、生存者たちは沈黙を余儀なくされた。事故から28年後の[[1989年]]。今は退役して[[年金]]生活を送るボストリコフがポレーニンや生存者とともにかつての部下たちの[[墓参り]]に赴く。犠牲者の遺体は[[鉛]]の内張を施された[[棺]]に納められ地下深くに[[埋葬]]されていた。ボストリコフは人類を[[核戦争]]の危機から救った部下たちの勇気と健闘をたたえ、彼らの墓標に[[ウォッカ]]を注いで[[献杯]]するのであった。
 
== キャスト ==