「アジア・モンロー主義」の版間の差分

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'''アジア・モンロー主義'''(あじあ・もんろーしゅぎ)とは、[[アジア主義]]の一種。[[モンロー主義]]のように[[アジア]]における排他的な覇権(自給自足圏)を確立することによって、[[大日本帝国]]の自立を図ろうとするものを指す。[[東亜新秩序]]・[[大東亜共栄圏]]の基礎となった。東洋モンロー主義、東亜モンロー主義、極東モンロー主義、日本モンロー主義とも呼ばれる。
 
[[1898年]]11月、[[近衛篤麿]]が「亜細亜のモンロー主義」を打ち出したことが始まりとされる。[[第一次世界大戦]]後の[[パリ講和会議]]で[[人種平等法的差別撤廃提案]]が否決され、さらに[[1924年]](大正13年)に[[排日移民法案]]がアメリカ議会を通過すると、日本国内には「アジア同盟で米英に対処すべし」との考えが生まれ高まった。[[1924年]][[11月28日]]には、[[孫文]]が神戸で「大亜細亜主義」の講義を行い、新しい展開が生まれ、イギリスのインドへの圧政とインド人への同情とその後の国際的孤立、欧米列強のブロック経済による経済的圧迫が日本に大アジア主義的思想を育て、それが明治以来の[[アジア主義]]や[[南進論]]とも重なり、「アジア・モンロー主義」が誕生した。
 
[[満洲事変]]以降、[[九カ国条約|ワシントン体制]]に対抗する論理として本格的な展開を見せる。[[1934年]]4月、[[外務省]]情報部長であった[[天羽英二]]の非公式談話(天羽声明)は、欧米から「アジア・モンロー主義宣言」とみなされ、非難された。