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[[Image:Bactria-320BCE.png|right|thumb|350px|バクトリアの位置([[紀元前320年]])]]
[[File:Greco-BactrianKingdomMap.jpg|thumb|350px|紀元前170年頃のグレコ・バクトリア王国の最大版図]]
 
'''グレコ・バクトリア王国'''([[紀元前255年]]頃 - [[紀元前130年]]頃)は、[[ヒンドゥークシュ山脈]]から[[アム川]]の間(現在の[[アフガニスタン]]北部、[[タジキスタン]]、[[カザフスタン]]の一部)に、[[バルフ]]を中心として建てられた[[ギリシア人]]王国で、代表的な[[ヘレニズム]]国家の一つ。グレコ・バクトリア王国は支配体制が未整備だったため、王統交替・勢力盛衰が頻繁で王権が弱く、地方の王が権力を持ちしばしば国家が分裂した。名称のグレコ・バクトリアとは、ギリシア人のバクトリアという意味で、単に'''バクトリア'''や'''バクトリア王国'''とも呼ばれるが、地方としての[[バクトリア]]と混同しないよう、ここでは'''グレコ・バクトリア王国'''とする。