削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
タグ: Refタグつき記述の除去
 
80行目:
 
== 歴史 ==
4世紀半ばに[[キダーラ]]という者が[[匈奴]]([[フン族]])とともにバクトリアに移住したと推定される{{sfn|影山|2015|p=37}}
 
[[402年]]以後{{Refnest|group="注釈"|キダーラは,その勃興年代に関する大きな議論があり,未だ決着を見ていない。『魏書』西域伝にキダーラがトハーリスターンからインド方面へと展開したことが記されており,これが457年(あるいは437年)にもたらされた情報であることから,文献を重視する研究者は,この集団が勃興・展開したのは5世紀以降のことであると考える。一方,貨幣を重視する研究者は,カーブル近郊のテペ・マラーンジャーンで出土した一括埋納貨幣において,4世紀のサーサーン朝の諸王の貨幣と共伴する金貨の銘文をキダーラと読み,その勃興年代を4世紀後半とする。両説の当否は判明していないが,貨幣の銘文の読みに疑問が呈されていることから,後者の説を今後再検討しなければならない。}}<ref>{{sfn|宮本亮一(AA研共同研究員,京都大学)「クシャーンからエフタルへ:中央アジアから南アジアへの人間集団の移動」 </ref>|2019}}、バクトリアにてキダーラがキダーラ王朝を創始する。
 
440年頃{{sfn|影山|2015|p=37}}、キダーラは[[ヒンドゥークシュ山脈]]を越え、[[ガンダーラ]]以北の5国を支配下に置く{{sfn|山田|1963|p=617}}
 
[[エフタル]]の侵攻に遭い、バクトリアが占領され、キダーラは西へ逃れて[[カスピ海]]沿岸に別の亡命政権を建てる{{sfn|山田|1963|p=617}}。エフタルの侵攻を免れた西北インドの勢力は小月氏国となり、キダーラの子が統治する{{sfn|山田|1963|p=617}}
 
キダーラの死後、子のクグカスがカスピ海沿岸のクシャーナの王となったが、[[468年]]頃には[[サーサーン朝]]の[[ペーローズ1世]]に滅ぼされた{{sfn|山田|1963|p=617}}。一方のガンダーラを中心とする小月氏国の王となったのはピロおよびバラフラーンであった{{sfn|山田|1963|p=617}}
 
477年~500年の間に西北インドの小月氏国はエフタルによって滅ぼされる{{sfn|山田|1963|p=617}}
 
477年~500年の間に西北インドの小月氏国はエフタルによって滅ぼされる。
 
{{sfn|山田|1963|p=617}}
 
== 『魏書』・『北史』の記述 ==
104行目:
 
== キダーラ朝のコイン ==
貨幣にはキダーラ王朝の後継者と思われるピロ及びバラフラーンの名をもつ24の銀貨がある{{sfn|山田|1963|p=613}}。これらを含むキダーラ貨幣の様式をマーティンは[[サーサーン朝]]の[[シャープール2世]](Shāpūr II、309年 - 379年)の中期の貨幣の模倣であるとし、カニンガムは[[バハラーム5世]](Bahram V、420年 - 438年)、キュリエルは[[ヤズデギルド2世]](Yazdegerd II、438年 - 457年)の模倣としている{{sfn|山田|1963|p=613}}。この様に貨幣の様式論には主観的要素が入り得るので、年代を導き出す積極的資料にはなりにくく、キダーラ又はその後縫者が西北インドを支配したことを証拠立てるにとどまる{{sfn|山田|1963|p=613}}。[[榎一雄]]がこの貨幣の様式はヒンドゥー・クシュ以北におけるサーサーン朝文化の影響を示し、[[ブラーフミー文字]]によるインド語の銘文はヒンドゥー・クシュ以南の支配を示している点、『魏書』(『北史』)西域伝の寄多羅の貨幣たるに相慮しいと論じている{{sfn|山田|1963|p=613}}
 
<gallery>
152行目:
* 山田明爾『キダーラ・クシヤーンについて』(印度學佛教學研究11巻2号(通号22) 1963年3月)
* 宮本亮一(AA研共同研究員,京都大学)「クシャーンからエフタルへ:中央アジアから南アジアへの人間集団の移動」(「「インド世界」の形成 フロンティア地域を視座として」(令和元年度第1回研究会))
* 影山悦子『ユーラシア東部における佩刀方法の変化について :エフタルの中央アジア支配の影響』(内陸アジア言語の研究. 2015, 30, p. 29-47)
 
== 外部リンク ==
* {{Cite journal |和書 |author=宮本亮一 |authorlink= |title=クシャーンからエフタルへ:中央アジアから南アジアへの人間集団の移動 |journal=「「インド世界」の形成 フロンティア地域を視座として」 |volume= |issue= |publisher=令和元年度第1回研究会 |date=2019-09-16 |pages= |naid= |ref={{SfnRef|宮本|2019}}}}
* {{cite journal|和書|author=影山悦子|title=ユーラシア東部における佩刀方法の変化について : エフタルの中央アジア支配の影響』(|journal=内陸アジア言語の研究. 2015, |issn=13415670|publisher=中央ユーラシア学研究会|volume=30, p. |pages=29-47)47|date=2015-07-25|crid=1050845762635259904|naid=120006492361|ref={{SfnRef|影山|2015}}}}
 
* {{Kotobank}}