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当代'''笑福亭 福笑'''(しょうふくてい ふくしょう、[[1949年]][[2月27日]] - )は、[[落語家]]。[[大阪府]][[枚方市]]出身。本名: '''高嶋 章'''。
 
== 来歴・人物 ==
[[1968年]]10月、[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]に入門。[[大阪府教育センター附属高等学校|大阪府立大和川高等学校(現:[[大阪府教育センター附属高等学校]]を中退後、[[アルバイト]]や[[ヒッピー]]のようなことをしたりするなど放蕩していたが、ラジオで聞いた[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]に憧れ入門を請う。しかし、仁鶴からはまだ弟子を取る身分でないからと、6代目松鶴に入門するよう諭され、正式に6代目松鶴に入門。デビュー当時は噺家では珍しくおかっぱ頭であった、また突然パーマをあてて6代目松鶴を驚かせたこともあった。仁鶴他界後は[[笑福亭鶴光|鶴光]]に次ぐ2番弟子。弟弟子には[[笑福亭鶴瓶]]などがいる。
 
[[上方落語協会]]には加盟しているが、現在はどこの芸能プロダクションにも所属しておらず、個人事務所として「福笑エンタープライズ」を立ち上げている。
 
故にメディアで噺を聞く機会は少ないが、[[松鶴一門]]の中でも爆笑派で、[[古典落語]]・[[新作落語]]の両刀使いである。地元・関西には多くの熱狂的なファンが存在する。上下(かみしも)を振らない喋りの型は迫力がある。弟子に、笑福亭はてな([[北村豊晴]]、1年ほどで廃業)、笑福亭ひらめ([[森田展義]] [[吉本新喜劇]] 廃業)、[[笑福亭たま]]。
 
== 芸風 ==
はじめは古典中心の本格派をめざしていた。芸に伸び悩んでいた1979年、上野の[[鈴本演芸場]]で[[三遊亭圓丈]]の創作落語に出会い、新作を手がけるようになった。以来、多くの作品を創作している。特に甲子園初出場の初戦で大敗した監督が酒を飲みながら部員に愚痴る「憧れの甲子園」は、もし師匠の松鶴が「生きとったらどうじゃいと聞かせていたはず」というほどの自信作である。<ref>[[読売新聞]] 平成25年5月28日夕刊「語る聞く」より</ref>また、研究熱心で、「[[時うどん]]」ではじめにサゲを説明する型を創作するなど古典に新しい工夫を凝らしており、師や米朝、春團治らが練り上げたネタを同じように演じるのでなく「もっと面白うなるはずや、考えろ、考えろや言い聞かせるんです。」と述べている。
 
== 得意とするネタ ==
=== 古典 ===
*『[[軒付け]]』
*『[[ちしゃ医者]]』
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 他
 
=== 新作落語 ===
*『キタの旅』
*『渚にて』
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== 出演番組 ==
* [[ヒットでヒット バチョンといこう!#パーソナリティ|わっしょいスペシャル・ハイ本番! 木曜バチョン]]([[大阪放送|ラジオ大阪]]
* [[1978年のラジオ (日本)#開始番組|あらまあホンマ福笑の福袋]](ラジオ大阪)
 
== 脚注 ==
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== 出典 ==
*『落語系圖』([[月亭春松]] 編)
 
== 外部リンク ==
* {{上方落語家名鑑|shofukutei_fukusho}}
 
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{{DEFAULTSORT:しようふくてい ふくしよう}}
[[category:落語の名跡]]
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[[Category:1949年生]]
[[Category:存命人物]]
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