ギョーム・オアロ
ギョーム・オアロ(Guillaume Hoarau, 1984年3月5日 - )は、フランス・レユニオン出身のサッカー選手。中国サッカー・スーパーリーグ・大連阿爾濱足球倶楽部所属。ポジションはFW。オアラウと表記されることもある。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
ラテン文字 | Guillaume HOARAU | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1984年3月5日(40歳) | |||||
出身地 | レユニオン | |||||
身長 | 192cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2003-2008 →2006-2007 2008-2013 2013- |
ル・アーヴルAC FCグーニョン(loan) PSG 大連阿爾濱 |
81 (33) 21 (8) 88 (32) | ||||
代表歴2 | ||||||
2010- | フランス | 5 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年5月28日現在。 2. 2011年5月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
- ル・アーヴルAC
2007-08シーズン、ル・アーヴルACのジャン=マルク・ノビロ新監督の下でオアロは飛躍的な成長を遂げた。マスコミは彼のことを「リーグ・ドゥのカリム・ベンゼマ」と表現した。シーズン途中からリーグ・アンのAJオセールやオリンピック・マルセイユやパリ・サンジェルマンFCなどのいくつかのクラブがオアロに注目し、海外のアーセナルFCやチェルシーFCなどもオアロの動向を追った[1]。2008年冬、パリ・サンジェルマンFC(以下PSGと表記)と4年契約を結んだ。PSGはル・アーヴルに50万ユーロを支払い、またオアロがシーズン終了までル・アーヴルでプレーすることを認めた。そしてオアロはリーグ・アン昇格に貢献した。38試合に出場して28得点し、2シーズン連続でル・アーヴルから得点王を出した。
- パリ・サンジェルマンFC
7月1日、PSGに正式加入。8月9日のASモナコ戦でデビューした。本拠地デビュー戦となるFCジロンダン・ボルドー戦で初得点した。10月26日のオリンピック・マルセイユとのダービーでは2得点を記録。11月15日、古巣ル・アーヴルAC戦で2得点した。2008-09シーズンは17得点し、トゥールーズFCのアンドレ・ピエール・ジニャックに次いで得点ランキング2位にはいった。UEFAカップでは決勝トーナメントで3得点した。2009年2月18日の決勝トーナメント1回戦VfLヴォルフスブルク戦ファーストレグでは試合終盤に2得点し、5-1での勝ち抜けに貢献した。決勝トーナメント2回戦のSCブラガ戦ではセカンドレグで77分に途中出場すると、すぐに2試合で唯一の得点を決め、1-0で準々決勝に勝ち進んだ。準々決勝ではディナモ・キエフに敗れた。2009-10シーズンは怪我に悩まされ、前半戦はわずか1得点しか決められなかった。後半戦に5得点して勝負強さを見せたが、結局6得点に留まり、さらにピッチの外でのクラブの混乱[2]の影響でチームは前シーズンを下回る13位に終わった。
- 大連阿爾濱足球倶楽部
2013年1月に中国サッカー・スーパーリーグの大連阿爾濱足球倶楽部に移籍した。
- 代表
2009年3月19日、リーグでの好調が買われ、怪我で離脱したニコラ・アネルカに代わりフランス代表に初招集を受けた。初出場は、南アフリカW杯後の2010年8月11日行われたノルウェー戦。
所属クラブ
- 2003-2008 ル・アーヴルAC
- 2006-2007 → FCグーニョン (loan)
- 2008-2013.1 パリ・サンジェルマンFC
- 2013.1- 大連阿爾濱足球倶楽部
脚注
- ^ Hoarau a signé au PSG
- ^ アントワーヌ・コンブアレ監督とベテラン選手が対立したほか、サポーター組織の抗争で死者が出た
|
|
|