伴助兼
伴 助兼(とも の すけかね、生没年不詳)は、平安時代中期の武士。後に資兼。通称は伴次郎、設楽大夫。
三河設楽氏、富永氏の祖である。
概要
父は伴助高。三河国に住し、兵藤正経の女婿であった。伝承では1065年に義家の命で、現在の福島県二本松市に住吉山城(四本松城)を築いたという。1083年に始まる後三年の役では、舅の正経と共に、清原(藤原)清衡の襲撃を受けた清原真衡邸から、真衡の妻と成衝を救い出している。義家からその武勇を賞賛され、源氏八領の一つともいわれる薄金の鎧を拝領したが、金沢柵攻略戦では、城内からの落石で兜を打ち落とされ紛失した。豊田市猿投神社に伝来する樫鳥縅鎧(重文)は、この薄金の鎧を助兼が奉納したものであると伝えられている。