F1グランプリ

フジテレビのF1レース中継番組

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F1グランプリ

  1. 自動車レースF1によるレースのこと。
  2. フジテレビが放送するF1のテレビ中継番組。以下で述べる。

F1グランプリ』(えふわんグランプリ)は、フジテレビ系列で放送されるF1レース中継番組。正式名称は「Formula 1 World Championship ○○○○」(「○○○○」の部分にその年の西暦が入る)2001年より「PERFECT SPORT SPECIAL」のアイキャッチが番組の最初に入る(一部地域除く)。また、地上波デジタルテレビ放送では2006年からはデータ放送と連動、2007年からはHD対応の16:9サイズでの放送となっている。

日本におけるF1中継の歴史

日本で初めてF1グランプリを全戦中継したのは『カーグラフィックTV』である(但しダイジェスト版)。F1放映権は1986年まではTBSが保持していたが、全戦中継することはなく月1回程度のダイジェスト番組が放送されるのみであった。1987年から中嶋悟が日本人初のF1シーズンフル参戦をすることになったのをきっかけに、フジテレビが放映権を取得。以来全戦フル中継を行っている。1990年頃には日本GPゴールデンタイムで放送され視聴率も20%を超えており、深夜帯の放送でも10%近い視聴率を獲得していた。しかし90年代を経るごとに、F1ブームそのものが下火になり、一時期ほどの視聴率は獲得できていない。

  • 要因
    • Jリーグの発足等これまでマイナーであったスポーツがテレビ中継されるなど、プロ野球以外のスポーツに関心が向けられるようになったことで相対的に埋没した。また野球もプロ野球だけでなくMLBも中継されるようになりファンに見直された。
    • モータースポーツ自身に批判的な層が根強くある。サーキットで回り続けることに「単調」という評価もある。
    • 1992年頃からウィリアムズが最強となったが、あまりに他チームとの実力差が大きく、予選で先頭(ポールポジションまたはフロントロー併走)を獲得しやすく、本戦でも無難にスタートを決められれば圧倒的な差で逃げ切れる、というパターンが連続してしまい、最も注目される優勝争いで、レースの華である追い抜きが極端に減ってしまい、レースそのものが「単調でつまらない」と酷評された。
    • パイオニアである中嶋の91年での引退、最強を誇った日本のエンジンサプライヤーだったホンダの92年いっぱいでの撤退(その後2000年に復帰)、バブルマネーで買収された「日本」チームの頓挫、日本人ドライバーの苦戦・不遇・不在、さらに、F1界全体の世代交代が急進、ブーム期の一線級が軒並み引退や撤退に追いやられることとなり、応援対象が極端に減っていったこと。特に、日本人から絶大の人気があったアイルトン・セナ1994年サンマリノGPにて事故死したことも大きい。さらに死亡事故は日本で全戦中継されてからは未だ発生していなかった。その中での(レースウィーク中での)死亡事故は、前日に発生したローランド・ラッツェンバーガーのものと共に、それまでの「F1ならば安心して見ていられる」という安全神話が崩壊した瞬間だった。
    • F1への関心はまだ持っているが、フジテレビの中継に対する姿勢が嫌だ(後述)とするファン層もある。
    • 日本人特有の「流行りものへの極端な傾倒と飽きの早さ」という思考。

しかし2002年以降、日本人ドライバーの復活と活躍(佐藤琢磨が同年より参戦、2004年アメリカGPに3位入賞し、日本人として14年ぶりの表彰台)、さらに2002年からのトヨタ2006年からのホンダのフルワークス参戦、鈴木亜久里率いるスーパーアグリの参戦が併さるようになって、日本代表として応援する機運が高まり、一時期の低迷を脱しつつある。

  • テレビにおけるスポーツ中継史としては、現在では、プロ野球の人気後退とJリーグ発足までの間に位置づけられる。バブル経済多様化の象徴として語られることもある。

放送時間

予選放送

放送はF1の現地開催時間に応じて行われる。通常は土曜深夜に予選を放送し、翌日に決勝の模様が放送される。ただし、一部のフジテレビ系列の地方局では土曜の予選を放送していない系列局も存在する。また、一部系列局はフジテレビより遅れた時間で実施している。 関西テレビでは、2006年まで予選を日本GP以外はあまり放送していなかったが、2007年は放送している。 なお、年一回の「FNSの日27時間テレビ)」と重なる場合は放送時間が30分に短縮される(この場合のみ通常未放送地域でも放送)。

決勝レース放送

F1商業権を統括するFOAとの契約によりレース開催当日に放送開始することを義務付けられている。実際に完全履行しているのはフジテレビ721(CSチャンネル)での放送のみだが、地上波でも現在は23:50から放映されている(これは、特にヨーロッパでの開催において日本時間でプライムタイムと重なるが、「高い視聴率を確保しにくい」という理由で深夜帯での枠が与えられているため。その場合、23:45からのFNNニュースは通常10分のところを5分短縮、すぽると!はF1中継終了後、深夜枠にて20分間の放送などの編成がなされている)。

例外としてオーストラリアGPは時差の関係上夕方(2005年は13:00)から、モナコイタリア日本は22:00もしくは22:30、または22:55から放送を行う場合がある。ただし、2005年、06年、07年と3年連続で日本GPのみ午後1時台からの生中継放送である。また、南北アメリカ大陸のアメリカ、カナダ、ブラジル、メキシコ(現在は未開催)で行われる場合、時差の関係で当初は月曜深夜に放映されていたが、「結果が先に新聞などで流れてしまう」などの視聴者の声に応える形で月曜日の早朝間際で放映されるようになり、場合によっては生中継の場合がある。これらのため、「月曜の朝は寝不足になるファンが多い」とまで言われた時期が存在した。

総集編

シーズン終了後の12月にはその年1年の流れを特別番組F1総集編」として放映している。ブーム期には4時間を越えた内容だったこともある。また、総集編は放映しない系列局も存在する(テレビ静岡サガテレビなど)。

地上波放送について

歴史

  • 放送開始の1987年から実況、解説、ピットレポーターはすべて現地にて行っていた。当初は開催国のテレビ局の映像にフジテレビ独自のカメラからの映像をかぶせたり、編集したものを使っていた。また、フジテレビが製作するオリジナルのテロップを使用していた。しかし1998年から、FOA(当初はFOCA)統括によるチェックが厳しくなり、オープニング後に「FIA F1 GRAND PRIX」というアイキャッチが入るようになった(2003年以降は「F1」ロゴのアイキャッチが使用されている)。スタジオトークなど局独自の映像以外、レースそのものにおけるオリジナルの映像やFOA中継で使用される以外のテロップ表示を禁じられている(テロップについては2003年より緩和されており、通常のFOA制作中継に重ねて局独自のものが挿入されている)。
  • 1989年から1994年にかけて、プロレス中継などで有名であったフリーアナウンサーの古舘伊知郎を実況に採用する。マシンガン実況と呼ばれる名調子・比喩表現をF1実況に持ち込んだことで評判となり、F1ブームの立役者ともなった。その反面、過剰すぎる絶叫アナウンスやF1に関する知識の低さ、更にはセナ贔屓な進行が公平性の欠如だとして、古館の実況を嫌う[1]ファンもいた。ただ、本来は事前取材が綿密な人物であるため、経年ごとにコメントに深さも見られるようになっていた。
    • 古舘は降板理由を明言しないものの、心酔していたセナの死や、その直前のパシフィックGPスタート前のメインスタンドからの生中継で、周りのファンからあまり相手にされず寂しい中継を行わざるを得なかった事でF1実況との決別を決心させたようである。
  1. ^ 彼の初実況の日には深夜にもかかわらず、2000件以上の苦情の電話がフジテレビに殺到した。(当時のフジテレビ記録。また、その記録は彼も出演していた「夜のヒットスタジオ」での加賀まりこの発言によって更新されており、しばしば古舘もネタとして使う)
  • 古館の登場以後の実況では絶叫や独自表現・比喩法を利かせたようなアナウンスが目立つようになっている(2時間程度と長丁場なこと、また自身でなかなか経験できない世界の話なので、そうしないと持たないという側面もある)。
  • 2001年第14戦アメリカグランプリ以降は日本GPを除き実況・解説を東京のスタジオで行う方式(オフチューブ)に切り替え、さらに2002年のサンマリノGPからは東京のスタジオに専用セットを構え、タレントの北川えりをレース前後の進行役に据え、実況と解説者が同スタジオでレースの模様を届ける方法に替わった。2003年からはタレントの永井大とモデル山田優をキャスターに、ドライバー出身の片山右京近藤真彦らを解説陣に据えた。これは2001年9月の9・11事件が発生したため、取材クルーがテロに巻き込まれるリスクを考慮し、また、FOAの規制が厳しい状況、反面、データなどの豊富な情報の提供の成果で、敢えて現地にCS・地上波の2クルーを送り込む必要がなくなっていることなどが理由である。ただし、この方法だと生の臨場感、錯綜する情報への対応に支障が出ることなどから、2004年より再び実況及び一部の解説者が現地に入る形に改められた(進行役もしばしば現地に入った)。
  • 2007年からは進行役を置かず、オープニング後、CMが明けてすぐにレース映像に入るスタイルに変更された。当初から上記の方法は何の予告も無く中継スタイルが変更されたことや、レース途中で中継が中断され模型による状況解説が挿入されたために視聴者から戸惑いと不満の声が上がっており、進行役の存在もしばしば議論の対象となっていた。
  • また、「応援」「サポート」の名目でタレントなどを起用、番組宣伝を行わせる手法を取り入れているのも当中継の特徴である。「F1ブーム」の前後からであり、現在の地上波で主流となってきているバラエティ色の濃いスポーツ中継のはしりを担っていると言える。05年シーズン中に「F1モデル」をレギュラー番組として放送したことでも挙げられるように、女性をターゲットにしたハンサムなドライバーの紹介をし、タレントや女子アナに魅力を語らせてから、日本メーカーや日本人ドライバーを中心とした紹介VTRをいくつも挿入して、視聴者に訴えかけるようなことを例年、工夫している。2006年のトルコGPからはモデルの蛯原友里を筆頭としたCanCamモデルをサポーターズ(現地リポーター)として起用するなど、益々女性視聴者を意識した番組作りとなっている。この手法については、他のバラエティ色の濃いスポーツ中継同様、「裾野を広げる活動」と捉えるか、「本来のスポーツの醍醐味を損なう愚行」と捉えるか、意見の分かれるところである。
  • 現在、CS放送ではバラエティ色を極力排除した、初期の中継スタイルに一新し、選択の幅を広げる形にしている(下記項目を参照の事)。ただし、有料かつ条件完備の必要性から「純粋に中継だけを見たい」、「以前なら無料で見られていたものをなぜ有料に?」とするファン層の根強い反発がある。よってCS放送への視聴の移行を拒むファンもある。
  • オープニングについては、2006年までは歴代の名車を再現したものなどを中心にCGを多用したものが使用され、テーマ曲と共にF1名物となっていたが、2007年からはアメリカンコミックを思わせるようなアニメーションに変更された。そのアニメにはF1とは全く関係の無いマシン(マシンと言うよりVTOL戦闘機である)が登場したり、観客が何故か佐藤琢磨のみを応援しているように見えるシーン、果ては悪者と思われる青人ドライバーの乗ったマシンがシグナルポールに激突して爆発するシーンがあり、「まるでフジテレビは死亡事故を望んでいるかのようだ」といった批判がインターネット掲示板を中心に相次いでいる。また、この爆発のシーンではなぜかライバルチームのホンダトヨタに所属するジェンソン・バトンラルフ・シューマッハが協力して悪者をおとしめている。第5戦スペインGP放送分より実車映像が挿入されているが、激突のシーンは依然として放映されている。また、オープニングテーマを長年親しまれてきたT-SQUAREの『TRUTH』からQUEENの『FLASH』(アレンジ版)に変えたことも賛否両論がある。

地上波以外での放送について

歴史

  • BS放送WOWOWにて翌週もしくは翌々週に決勝のノーカット再放送が行われていた。
  • 2002年まではCSにおいては冒頭とエンディング部分を独自コメンタリーで放送、予選及び決勝では地上波と同じコメンタリーによる実況を生放送していた。

2003年からは

  • 地上波を初心者向け・ライトなF1ファン向けに
  • CS放送をコアなF1ファン向けに

と位置付け、2002年までの解説、レポーター陣をCS放送に起用した体制となっている。

  • CS放送のフジテレビ721にて土曜日のフリー走行3回目から予選、日曜日の決勝までリアルタイム生中継(日本グランプリのみ金曜日のフリー走行1回目から完全生中継)。現地では今宮純川井一仁、(また土曜フリー走行のみ津川哲夫が出演する場合、日本GPのみ土屋圭市が出演する)が解説と現地での状況を伝える。また、東京のスタジオでは実況者と解説者1名が伝える体制を採用している。地上波との違いとして、レース全体の実況は比較的平坦である。また、地上波では披露されない、チームやマシンについての深い内容を解説するため、目の肥えたファンにとっても満足感のある内容になっている。これは地上波との内容の差別化を図る向きが強く出ていると思われる。さらに音声切り替えにより、実況や解説のないサーキットでの音声のみを聞くことも可能である。CS放送は主音声・副音声ともにステレオ音声である(地上波アナログ放送では技術的な問題により、副音声がモノラルになる)。
  • 2005年のシーズンオフからは、「F1 LEGENDS THE BEST GP」と銘打ったオフ企画をCS放送で開始した。これは、フジテレビが中継を開始する以前の1981年から1986年のグランプリを、2007年シーズンオフまでの3年間にわたり、視聴者リクエスト結果と解説陣の推薦するレースにより2年分ずつセレクトした形で放送するものである(2005年は1981~82年、2006年は1983~84年分を放送した)。この企画には、従来シーズンオフになると翌年の開幕まで契約を解約する加入者が多かったことに対する解約防止策という側面もある。

日本グランプリについて

日本グランプリ(以下日本GP)はフジテレビが協賛し、F1では珍しい放送局の冠レースとなる。しかし、長年に渡って地上波での生中継は行われず、決勝当日の夜(時期によって放送開始時間は異なる)に録画放送されていた。これはゴールデンやプライムタイムで高視聴率が見込めた時代だった事もさることながら、競馬中継(スーパー競馬DREAM競馬)と時間が重なっていたことによる影響が少なからずあると思われる。

2005年10月9日、フジテレビが中継を開始してから19年目にして初めて、地上波での生中継が実現した。視聴率が関東地区で10.3%を記録した事から、翌2006年10月8日の決勝レースも生中継で放送。ちなみに、この放送ではF1では初めてとなるハイビジョン制作での中継となった。

現時点ではJRAが重要と位置づけるGI・JpnIレースとは日程が重ならないよう配慮がなされているが、決定機関がテレビ局ではなくFIAであるため、今後の日本GPの日程次第ではGIレースと重なる可能性は大いにある。

  • 2007年はF1日本GP決勝とGIレースのスプリンターズステークスが同じ9月30日開催(発走時間15:40)となったため、その処遇が注目されていたが、フジテレビが発表したところによると、日本GPの生中継は13:10~15:15(最大延長15:35)となり、レギュラーの競馬中継時間と15分重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。ただ、日本GPのスタート時間が13:30であること、さらに当日は雨天で2時間に及ぶレースとなったことから、最大延長時間の15:35まで放送、ゴールの瞬間は放送できたものの、表彰式以降は非中継となった。競馬中継もスプリンターズステークス出走直前からの放送となっている。
  • 2008年以降については2007年3月にFOAのバーニー・エクレストン会長が「早ければ2008年からの日本GPは夜間開催にしたい」という意向を示しており、これが実現すればこうした問題は解決するほか、生中継となればゴールデンタイムでの放送となるが、安全性の問題やインフラ整備の問題があり、実現への障壁は大きい。
  • 中央競馬中継は、フジテレビ及び関西テレビにとってF1中継よりも長い歴史を有する番組であり、重要なコンテンツでもある。現状、このような形で競馬中継が出来ない場合は、フジテレビが運営するBSフジで生中継を行っている。

2007年からは日本GPの開催地がこれまでの鈴鹿サーキットから富士スピードウェイに替わることとなったが、フジテレビが引き続き同グランプリの冠スポンサーを務めることが発表されている。

優勝トロフィー(漆器を使ったもの)はフジテレビのベテラン美術スタッフのデザインである。

また、90年代途中までの日本GP・レースウィーク中には「日本GP前夜祭」を制作していた。

  • 当初はパドックの一角を借りてのささやかなイベントアン・ルイスらが出演、予選の回顧やF1関係者のゲスト出演から始まり、ミニゲームを経て、別撮りのT-SQUAREのライブを放映)だったが、その後は古舘がホストとなって、ゲストを呼んでのスタジオ撮りとなり、またサーキット周辺にステージを設けるようになり、果ては独立した興行を打つようになった。前夜祭の名にふさわしく、大物ドライバーや中継陣、F1関係者が多数出演していた。興行化された96年は、MAXのライブを開催したことから多くの熱狂的なMAXのファンが来場。イベント序盤にライブが開催されたため、それ以降の企画に来場者が盛り上がらなかったという本末転倒な事態に陥ってしまった。
  • そのようなことを含め、フジテレビの中継姿勢への批判と併せて前夜祭は見ないファンも存在した。93年のゴールデン生中継の前夜祭では、鈴鹿サーキット入場口周辺の徹夜組を取材。携帯テレビを持参したファンがいたため、三宅正治アナが視聴番組を自番組と思い込んで確認したところ、NHKの時代劇を見ていたということがあった。

裏話・エピソード

  • ヨーロッパ各国でのレースの場合、レース終了から日本国内での番組放送開始までの時間が短いため、番組制作技術的には制約が多い。
    • 通信衛星を使った中継で映像を取得・録画機器に収録しつつ放送する部分を選んでいく必要がある。1990年代前半まではビデオテープレコーダ(VTR)に録画していたが、記録中のテープは再生できないため、複数のVTRを用いて短時間ずつリレー式に収録し、取り出したテープから放送部分を選んで送出用テープにコピーするという、準リアルタイムの編集作業を行った。
    • このためレース展開によっては、終盤の相当部分が放送できずにいきなりラスト数周になるという場面も見られた。
    • また1989年のモナコGP中継では、同じ場面が二回放送された。1997年のドイツGPの中継でも、同じ場面が二回放送されたり、字幕テロップが乱れるなどの放送事故が発生しており、2006年の同グランプリでもリプレイ映像に切り替える際のCGが放送されないという放送事故も発生した。
    • 近年ではハードディスクレコーダーなどノンリニア編集機材の発達と普及により、この種の苦労は軽減されている。
  • かつては関西テレビから馬場鉄志アナウンサーが派遣されていた。波乱のレースの担当となることが多く、「馬場アナが出るとレースが荒れる」と伝説化されたこともある。特にアイルトン・セナとの相性は最悪とされ、「馬場アナが実況するとセナは勝てない」というジンクスまで生まれた。詳しくは馬場鉄志#F1グランプリ実況を参照のこと。
    • 馬場アナ自身はセナの大ファンであった。91年モナコグランプリでジンクスが崩れてからは、セナの優勝レースを何度も実況している。
  • その他の系列局からは、1994年のポルトガルGPからテレビ静岡鈴木敏弘アナウンサーが派遣されていた。92年から全日本F3000選手権(現在のフォーミュラ・ニッポン)などを担当していた縁より。
    • ただし、当初はスタートから終了まで見境なく絶叫し続けたり、大声でうなったりするスタイルだったため、「うるさい」とのクレームが絶えなかった。5年ほど担当し、徐々に冷静さを盛り込むようになったが、当初の悪評を覆すことはできなかったようである。今宮から「落ち着いて...」と諭される場面もあった。1997年のハンガリーGPのスタートでは、「アーバイン3番手」と言うべきところを、興奮しすぎて「アーバンテサンバイン」と言い、視聴者や今宮は失笑した。
  • 三宅正治アナウンサーも長く担当した一人で、重大なレースに数多くの実況歴を刻んでいる。セナが事故死した94年のサンマリノGPでは、レース実況中からセナを気にするあまり、感情むき出しの実況を展開。そして、セナ死亡を伝えたときには目に涙を浮かべ、感極まってしまった。
  • 前述のように、初期中継では、開催各国の担当放送局の映像を中心にフジテレビ独自の映像をかぶせていたのだが、メキシコの担当局が最低レベルとされ、評判は悪かった。「実況ができるどころではありません!」と嘆いたアナウンサー(例にすると馬場アナ)もいるし、今宮も思わず「カメラ(ワーク)が悪い!」とコメントしてしまったことがある。
  • とはいえ、フジテレビがホスト局となる日本グランプリでは、佐藤琢磨をレースの展開と無関係に捉え続けて各国のジャーナリストにレース終了後詰め寄られたりしている。また、フェラーリのミハエル・シューマッハが21年ぶりにドライバーズタイトルをもたらした2000年日本グランプリでは、肝心なシューマッハのゴールの瞬間を捉えていなかった。最終コーナーを立ち上がった後に映し出されたのは、ストレートでチェッカーを受ける映像ではなく、ピットに上っているピットクルーだった(なお、2000年総集編では差し替えられている)。
  • 中継初期の現地実況用で割り当てられたコメンタリーブースは非常に狭く、アナウンサーと今宮は肩を寄せ合って実況をしていたようだが、ホンダ参戦第2期の初代監督、桜井淑敏をゲストに迎えた際には桜井が大きな姿勢で机を足に投げ出してしまい、担当した古舘は対応に苦慮してしまった。
  • コースの攻略法に困った中嶋悟がフジテレビの映像を頼って中継車に乗り込んできたことがある。
  • 95年からは今宮がF3000中継担当となり、熊倉重春土屋圭市の2人が新しく解説を担当することになったが、2人の「F1観」が衝突してしまい、レースそっちのけで延々と議論する事態が続出した。時に土屋は熊倉の発言に対し、「その発言は僕に対する挑戦状ってことで、受け取っていいんですかね?」と言い放ったこともある。当然、抗議も多く、専門誌の読者投稿欄はその話題で埋め尽くされてしまったほど。土屋は2戦目にして弁明せざるを得なかった。96年には熊倉がフォーミュラ・ニッポン中継の解説に回り、今宮がF1の解説に復帰する。
  • 初期の頃はよく川井などピット担当者がスタート直前のドライバーたちに直接インタビューを行っていた。ヘルメットの前にマイクを突き出す姿はドライバー、視聴者から賛否両論だった。現在でもないわけではないが、非常に制限され、厳しくなっている。

テーマ曲

1987年の開幕レースから使われているテーマ曲、『TRUTH』(T-SQUARE)が日本におけるF1、ひいてはモータースポーツ(レース)をイメージする代表的な曲となっている。その後は1999年2000年に『GO FURTHER』(松本孝弘)が使用され、2001年から2006年までは『TRUTH』のアレンジバージョンがテーマ曲となっていた。2007年からは新しいテーマ曲としてクイーンの代表作『FLASH』をブライアン・メイが新たにリミックスした『Flash's Theme 2007 High Octane Mix』に変更された。(但し、CS放送では2007年も『TRUTH』がテーマ曲として採用されている。)

エンディングテーマは初期には『TRUTH』がそのまま使用されていたが、後に『In This Country』(ロビン・ザンダー)や『A Latchkey』(佐藤準)、『Let's Go』(小室哲哉EUROGROOVE)などが使用され、その後もはたけ、松本孝弘、矢井田瞳姫神ロビー・ウィリアムスcoldplayなど様々なアーティストが楽曲を提供している。2005年は『I do it for you』(ブライアン・アダムス)が、2006年は『Back To The Light』(ブライアン・メイ)が使われている。

放送初期(1987~1992年)にはスターティンググリッド紹介中のBGMに特捜戦車隊ドミニオンのテーマ『危険濃度』が使われていた。 近年は国内外のメタルなどのアーティストのナンバーをインスツルメンタルで流すことが多い。

また、一時期ドライバーごとのテーマ曲が設定されていた時期もあり、優勝ドライバーがゴールすると共にそのドライバーのテーマ曲が流れていた。下記の通りである。例外として1992年ハンガリーGPは優勝者のアイルトン・セナのテーマ曲ではなく、2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決定したナイジェル・マンセルのテーマ曲が流された。しかし1993年ポルトガルGPでは同じように2位でフィニッシュしてワールドチャンピオンを決めたアラン・プロストのテーマ曲ではなく、優勝者のミハエル・シューマッハのテーマ曲が流された。尚、ジャン・アレジは放送されていた時期に優勝することができず、放送されることはなかった(アレジ以外にも当時の弱小チームドライバーが勝ってしまったらどうするか、と妙な興味を惹いていた)。

ドライバー アーティスト テーマ曲
アイルトン・セナ T-SQUARE FACES
アラン・プロスト T-SQUARE 明日への扉
ナイジェル・マンセル SHOW-YA PEACE OF MIND
リカルド・パトレーゼ S.S.T.BAND I Can Survive
ゲルハルト・ベルガー S.S.T.BAND TACHYON
ミハエル・シューマッハ DEAD END Good Morning Satellite
ジャン・アレジ 森園勝敏 Jet
デイモン・ヒル 是方博邦 HEART OF EARTH

現在の主な出演者

実況アナウンサー

地上波

解説

ゲスト解説

リポーター

CS放送

スタジオ解説

現地解説

過去の主な出演者

実況アナウンサー

解説者

ゲスト解説

  • 高橋国光(1987年日本GP・1988年ブラジルGP)
  • 青木宣篤(GPライダー)(1997年ハンガリーGP)
  • 中嶋悟(2006年バーレーンGPなど)

ピットレポーター

キャスター

ナレーション

  • 小林克也 - 「F1 Grand Prix in ○○(開催地)!」のコール。87年シーズンではF1の紹介VTRのナレーションも担当。
  • 城達也 - 1990年1992年のOP前(過去の名ドライバー紹介)・1993年EDナレーション・1993年までのF1総集編など、死去直前まで長らくナレーション全般を担当。
  • 榊原良子 - 1993年OP前ナレーション担当。
  • 窪田等 - 城の後任。1994年のOP前ナレーション・1997年OP前・EDナレーション・1994年以降の総集編ナレーションなどを担当。
  • 林原めぐみ - 1999年OP前ナレーション担当。
  • 世良公則 - 1999年F1総集編、2000年OP前ナレーション担当。 
  • 鈴木英一郎-2005年~現OP前ナレーション担当。
  • 佐藤賢治-2003年2004年OP前ナレーション担当、現在は予選ダイジェストナレーション担当。

ゲスト・その他の出演者

サポーターズ(スペシャルリポーター)

2006年の企画(トルコGP~)。日本グランプリを盛り上げる役割を担った。

小倉以外は、山田優もモデルを務める小学館のファッション雑誌「CanCam」とのタイアップで、同誌のモデルから選ばれた。

スタッフ

過去のスタッフ

関連項目

外部リンク