ティモシー・ゲーブル
ティモシー・ゲーブル(Timothy Goebel、1980年9月10日-)は、アメリカ合衆国出身の男性フィギュアスケート選手。2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル銅メダリスト。
オリンピック | ||
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フィギュアスケート | ||
銅 | 2002 | 男子シングル |
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2001年GPファイナルのティモシー・ゲーブル | ||||||||||
生誕 |
1980年9月10日(43歳) イリノイ州エヴァンストン | |||||||||
身長 | 170 cm | |||||||||
選手情報 | ||||||||||
コーチ | Audrey Weisiger | |||||||||
所属クラブ | ウィンターハーストFSC | |||||||||
引退 | 2006年4月25日 | |||||||||
ISUパーソナルベストスコア | ||||||||||
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人物
1998年JGPファイナルで史上初めて4回転サルコウを成功させ優勝。シニアに転向後も4回転トウループと4回転サルコウを武器に活躍し「四回転の王(Quad King)」と称された。Kingという異名とは裏腹にチャーミングな笑顔が人気を集めていた。
経歴
ゲーブルは4歳よりスケートを開始した。1997-1998年シーズンに初めて開催されたジュニアグランプリファイナルで優勝。1998-1999シーズンからシニアに転向し、世界選手権で4サルコウ+3トウループを成功させ話題を呼ぶ。
アレクセイ・ヤグディンやエフゲニー・プルシェンコ、本田武史らとともに、4回転時代といわれる男子シングル至上稀にみる技術発展期を牽引した立役者の一人として表彰台の常連となる。
2000-2001年シーズンにはスケートアメリカ優勝、全米選手権優勝、世界選手権4位と一気にトップ選手として活躍。
2001-2002年シーズンのソルトレイクシティーオリンピックのフリーにおいては、演技前半に3ルッツ、4サルコウ+3トウループ、3アクセル+2トウループ、4トウループ、さらに演技後半に3アクセル(ステップアウト)、4サルコウ、3フリップ、3ループという、2種類3回の4回転ジャンプと2回のトリプルアクセルを含む、新採点方式以降では考えられないほどの超難度ジャンプ構成の演技を披露して見事に銅メダルを獲得した。
2002-2003年シーズンの世界選手権フリーでも2種類の4回転ジャンプを成功させて2年連続の銀メダルを獲得する。しかしこのシーズン以降、得意の4回転ジャンプに陰りが見え始め、得意であった4サルコウが成功しなくなってしまう。同時に新採点システムの導入にともなう4回転時代の終焉とともに、精彩を欠くことが多くなった。
2005-2006年シーズンを最後に引退を表明。
主な戦績
大会/年 | 94-95 | 95-96 | 96-97 | 97-98 | 98-99 | 99-00 | 00-01 | 01-02 | 02-03 | 03-04 | 04-05 | 05-06 |
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オリンピック | 3 | |||||||||||
世界選手権 | 12 | 11 | 4 | 2 | 2 | 10 | ||||||
四大陸選手権 | 13 | |||||||||||
全米選手権 | 5 Jr | 1 Jr | 6 | 棄権 | 3 | 2 | 1 | 2 | 2 | 棄権 | 2 | 7 |
GPファイナル | 3 | 3 | ||||||||||
GPスケートアメリカ | 2 | 1 | 1 | 6 | ||||||||
GPNHK杯 | 2 | 2 | 2 | |||||||||
GPエリック杯 | 4 | |||||||||||
GPロシア杯 | 1 | |||||||||||
GPボフロスト杯 | 2 | 2 | ||||||||||
ネーベルホルン杯 | 1 | |||||||||||
世界Jr.選手権 | 14 | 7 | 2 | |||||||||
JGPファイナル | 1 | |||||||||||
JGPウクライナ | 1 | |||||||||||
JGPフランス | 2 | 1 |