シンシナティ・レッズ (1876-1880年)
ここではナショナルリーグ創設時の1876年にリーグに加盟し、1880年まで活動していたシンシナティ・レッズ(Cincinnati Reds)について述べる。
球団史
オハイオ州シンシナティを本拠地とする球団として、1876年から始まったナショナルリーグに加盟。初年度は9勝56敗と最下位の成績に終わった。その後1878年にはキング・ケリーが加入、先発のウィル・ホワイトが30勝利以上を挙げる活躍をしリーグ2位まで躍進した。
しかし好成績は長続きせず、5年目の1880年には21勝53敗と再び最下位に転落。この年レッズはリーグの規則に違反して球場でビールを販売し、日曜日のグラウンド閉鎖を拒否したために、ナショナルリーグから脱退を命じられ、チームは一旦消滅してしまう。その後1882年にチームは編成しなおされ、この年創設されたアメリカン・アソシエーションに加盟した。これが現在まで続くシンシナティ・レッズである。
戦績
年度 | リーグ | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 順位 | 監督 | 本拠地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1876年 | NL | 60 | 9 | 56 | .138 | 8位 | チャーリー・グールド | Avenue Grounds |
1877年 | 60 | 15 | 42 | .263 | 6位 | リップ・パイク ボブ・アディ ジャック・マニング | ||
1878年 | 60 | 37 | 23 | .617 | 2位 | カル・マクヴィー | ||
1879年 | 80 | 43 | 37 | .537 | 5位 | ディーコン・ホワイト カル・マクヴィー | ||
1880年 | 80 | 21 | 59 | .263 | 8位 | ジョン・クラップ | Bank Street Grounds |
所属した主な選手
- ウィル・ホワイト:チームの主力投手。190試合に登板し40勝を3度記録。最多奪三振2回。
- キャンディ・カミングス:カーブの考案者とされる。1877年に在籍。
- ディーコン・ホワイト:捕手。後に首位打者2回、最多打点3回。
- キング・ケリー:野手。1878年と1879年に在籍。後に野球殿堂入り。
主な球団記録
- 通算安打数:233(ディーコン・ホワイト)
- 通算本塁打:9(チャーリー・ジョーンズ)
- 通算打点数:113(チャーリー・ジョーンズ)
- 通算盗塁数:199(ディーコン・ホワイト)
- 通算勝利数:91(ウィル・ホワイト)
- 通算奪三振:562(ウィル・ホワイト)
関連項目
- シンシナティ・レッズ:現存する球団。