竹下虎之助

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竹下虎之助(たけしたとらのすけ、1924年8月6日 - )は、日本の官僚・政治家。元広島県知事島根県出身

概要

1947年京都大学法学部卒業、自治省に入庁するも本省に勤務することなく地方自治体で職務にあたった。島根県主査や香川県勤務を経て、1960年に広島県地方課長に就任。総務部長、副知事を歴任。故郷の島根県知事や広島市長に擁立しようとする動きがあったが固辞していた。しかし3期目を目指すと見られていた前知事の宮沢弘参議院の補欠選挙に急遽立候補(現職急逝のため)したため、後継として広島県知事選挙に1981年に立候補して当選。以来1993年まで広島県知事を3期務めた。知事退任後は修道学園の理事長などを務めた。4期目については本人が長期政権の悪弊を懸念したため立候補しなかった。また現在でも広島県内のイベントに招かれている。

備考

  • 中央政界と太いパイプで結ばれていた。なお同郷の竹下登元首相とも親密であったが、同姓ではあるが縁戚関係はなかった。
  • 本人によれば「虎之助」の名は、生誕直後身体が弱く育つ見込みがないとして、せめて名前だけでも強い名前をつけてもらった親心だという。
  • 1991年、Jリーグ参加に消極的だったマツダに対し、マツダのメインバンクである住友銀行頭取を通じて参加を要請した。(広島サッカー向上委員会・今西和男インタビューより

著書

『地方自治とは何か―竹下虎之助回顧録―』 現代史料出版 2006年

先代
宮沢弘
広島県知事
公選5代:1981年 - 1993年
次代
藤田雄山