クリスティアン・ヴィエリ
クリスティアン・ヴィエリ(Christian Vieri、1973年7月12日 - )は、イタリア・ボローニャ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。愛称はボボ。
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名前 | ||||||
愛称 | ボボ、重戦車 | |||||
ラテン文字 | Christian Vieri | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1973年7月12日(51歳) | |||||
出身地 | ボローニャ | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 84kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アタランタ | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 32 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
代表歴 | ||||||
1997-2005 | イタリア | 49 (23) | ||||
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人物
屈強な体を武器に相手ゴールに迫るストライカー。ヘディング、ポストプレー共に優れ、そして強烈な左足のシュートで多くの得点を重ねた。そのため「重戦車」と評される。また全盛期には世界最高のストライカーとも称されていた。
父親はイタリア・セリエAでプレーしたサッカー選手のロベルト・ヴィエリ。弟のマッシミリアーノ(マックス)・ヴィエリも元オーストラリア代表のサッカー選手。また、祖父も戦前のセリエBでGKとしてプレーした経歴を持ち、突如イタリア行きを宣言したクリスティアンに父親は無理だと断言したが、この祖父がイタリア挑戦を勧めたというエピソードが残っている。
生まれはイタリアのボローニャ。3歳の時にシドニーに渡り、少年時代はオーストラリアで育つ。サッカーをする直前までラグビーをしていた事で有名だが、本人によると、ラグビーはあまりした事がなく、陸上競技や水泳をしていたとのこと。
経歴
クラブ
デビューはセリエC1プラート。様々なクラブを転々とした末、イタリア人としては珍しく国外で才能を開花させた。1997-1998シーズン、スペインのアトレティコ・マドリードに所属し、24試合24得点という成績で得点王を獲得。「リーガは生ぬるい」と発言し、翌シーズンには自身の故郷に当時の最高金額でラツィオに移籍、セリエAへ復帰した。
1999年から2004年にかけてインテルに所属。2002-2003シーズンには得点王も獲得した。このシーズンのビエリは23試合で24得点と出場試合数を上回る得点を記録し、怪我が無ければ30得点も可能な得点ペースだった。2005-2006シーズンからはACミランへ移籍したものの出場機会に恵まれず、2006年1月にASモナコへ完全移籍することとなった。その後、わずか半年でセリエA・サンプドリアへの移籍が決定するも、サッカーに対する情熱が持てないとして現役引退を仄めかしていた。この間、イタリアの人気番組「L'isola dei famosi」に出演予定など様々な噂が流れたが、移籍期限ギリギリの8月29日(現地時間)に古巣アタランタへの復帰が決まった。 契約金は約22万円とプロ最低賃金での契約であるが、1ゴールごとにオプション契約として1000万円が支払われる。 アタランタではACシエナ戦でセンターサークル少し前からのロングシュートを決めるスーパーゴールこそあったものの、それを含め2得点を挙げるに止まる。2006-2007シーズン終了後、1年間の契約期間が切れたアタランタからフィオレンティーナへ移籍。
2007-2008シーズン第19節のトリノFC戦で先制点となるPKを決め、キャリア通算200ゴールを達成した。
イタリア代表
1997年3月29日のモルドバ戦で代表デビュー。ワールドカップには2度出場し、フランスW杯で5試合5得点、日韓W杯で4試合4得点といずれもエースとして活躍したが、チームはフランスW杯ではベスト8、日韓W杯ではベスト16止まりであった。ドイツW杯では自身3度目のW杯を目指していたが、怪我の影響もあり選考には残らなかった。
エピソード
- イタリアの伝説的なフォワードルイジ・リーヴァに「私の現代版」と言われた。
- 寡黙で気難しく記者泣かせの選手といわれていた。
- フィリッポ・インザーギとは極めて仲が良く(毎日電話で連絡を取り合うほど)互いに親友であることを公言していたが、一時同じ女性に好意を抱いた時期がありその後しばらくは不仲となった。
- クリケットの熱烈なファンでもある。
所属クラブ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1989-90 | プラート | 0 | 0 | ||||||||
1990-91 | トリノ | 0 | 0 | ||||||||
1991-92 | トリノ | 6 | 1 | ||||||||
1992-93 | ピサ | 18 | 2 | ||||||||
1993-94 | ラヴェンナ | 32 | 12 | ||||||||
1994-95 | ヴェネツィア | 29 | 11 | ||||||||
1995-96 | アタランタ | 19 | 7 | ||||||||
1996-97 | ユヴェントス | 15 | 23 | 8 | |||||||
スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997-98 | アトレティコ・マドリード | 9 | 24 | 24 | |||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998-99 | ラツィオ | 32 | 22 | 12 | |||||||
1999-00 | インテル | 32 | 19 | 13 | |||||||
2000-01 | インテル | 32 | 27 | 18 | |||||||
2001-02 | インテル | 32 | 25 | 22 | |||||||
2002-03 | インテル | 32 | 23 | 24 | |||||||
2003-04 | インテル | 32 | 22 | 13 | |||||||
2004-05 | インテル | 32 | 27 | 13 | |||||||
2005-06 | ACミラン | 32 | 8 | 1 | |||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
2005-06 | ASモナコ | 36 | 7 | 3 | |||||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006-07 | アタランタ | 17 | 7 | 2 | |||||||
2007-08 | フィオレンティーナ | 32 | 16 | 3 | |||||||
通算 | イタリア | 324 | 162 | ||||||||
スペイン | 24 | 24 | |||||||||
フランス | 7 | 3 | |||||||||
総通算 | 355 | 189 |
獲得タイトル
- リーガ・エスパニョーラ得点王 1997-1998シーズン
- セリエA得点王 2002-2003シーズン
- イタリア年間最優秀選手賞 1999年、2002年
- FIFA100
先代 ダヴィド・トレゼゲ ダリオ・ヒュブナー |
セリエA得点王 2002-2003(24得点) |
次代 アンドレイ・シェフチェンコ |