父二峰村

日本の愛媛県上浮穴郡にあった村

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父二峰村(ふじみねむら)は、1959年(昭和34年)まで愛媛県上浮穴郡にあったであり、現在の上浮穴郡久万高原の西北部一帯の地域である。

父二峰村
廃止日 1959年3月31日
廃止理由 合併
久万町・川瀬村・父二峰村・美川村(一部)→久万町
現在の自治体 久万高原町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
上浮穴郡
市町村コード 消滅時制度なし
隣接自治体 坂本村 (愛媛県)久万町弘形村参川村小田町村田渡村広田村
父二峰村役場
所在地 制度なし
愛媛県上浮穴郡父二峰村大字二名
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地理

現在の久万高原町の西北部一帯。四国山地の中に位置する。土佐街道(現在の国道33号)の山を隔てた西の一帯。

父二峰村という地名は、明治の町村制実施時に、旧村の父野川、二名、露峰の各一文字を取ってつけられた。3地区は大字となり、久万町となっても存続した。

歴史

藩政時代
  • 藩政の時代は大洲藩の領域だった。

  明治4年の廃藩置県後大洲県の時もあった。   http://www.pref.ehime.jp/shokai/oitachi.html

明治以降
  • 1889年(明治22年) 成立。
  • 1959年(昭和34年) 合併により久万町となる。
父二峰村の系譜
(町村制実施以前の村)
露峰  ━━┓
二名  ━━╋━ 父二峰村  ━━━┓ (昭和34年3月31日合併)
父野川 ━━┛          ┃━━ 久万町 
                  ┃
         久万町 ━━━━━┛
         川瀬村 ━━━━━┛
         美川村 ━━━━━┛
         の一部(七鳥五番耕地)

地域

露峰(つゆみね)、二名(にみょう)、父野川(ちちのかわ)の3つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村である。1910年(明治43年)の人口が2,673人とある。

※大洲ー久万街道・・・未だ道路の開けていない頃の人馬の通る街道である。各地の碑文ではおよそ1,200年前頃か、弘法大師が四国巡錫の砌にこの道を通ったとされている。                             大洲の十夜ヶ橋の下で夜明かしをして、内子から小田川沿いにー大瀬ー突合せー田度ー臼杵ー二名の各村を経て久万の45番大宝寺へ向かったとある。各地には其の時の大師にまつわる謂われがある。              例えば二名から久万へ超える鶸田峠がある。連日の雨続きだったのがこの峠でやっと晴れたとか。「日和だ」がなまって「ひわだ」になったとか。 大師の通った道を歩くと決めたお遍路さんはこの道筋を歩いている。                 おそらく最も古くからの遍路道であろう事は疑う余地もない。

※役場は二名にあった。二名にはかつては小学校(明治40年に父二峰尋常高等小学校の分校として開校した)もあった。                                                                   

学校

明治40年5月町村制発足以前にあった旧3村の3小学校を統合して露峰に父二峰村立尋常高等小学校が創立された。通学が遠距離になる低学年児童のため落合に12年生の、二名に6年生までの分教場ができる。(のちに二名分校は二名小学校となる)                                                                      その後昭和16年には国民学校となる。22年には戦後の6・3・3制により高等科は新制中学となる。その後落合の分教場は父二峰村が久万町と合併のため久万小学校へとなる。                                                     中学校は平成11年4月久万中学校へ統合されて閉校となる。二名小学校は平成16年4月父二峰小学校に統合されて閉校となる。                                                                                            父二峰小学校は今年平成20年に創立100周年に当たり3月に記念行事が執り行われた。    

行政

役場 

大字二名におかれていた。

歴代村長

• 初 代-大野 直栄 (明治23年1月13日~明治32年12月31日)

• 第2代-白石 格  (明治32年5月3日~明治34年3月5日)

• 第3代-宮脇 順  (明治34年4月12日~大正7年1月25日)

• 第4代-長尾 二男 (大正7年3月25日~大正11年3月24日)

• 第5代-佐伯 研治 (大正13年1月24日~昭和3年1月23日)

• 第6代-大野 助直 (昭和3年4月18日~昭和8年7月24日)

• 第7代-高岡 新栄 (昭和10年5月10日~昭和20年10月8日)

• 第8代-大野 貞一郎(昭和20年1月18日~昭和22年1月11月8日)

• 第9代-竹井 薫   (昭和22年4月6日~昭和26年4月4日)

• 第10代-横田 重一(昭和26年5月2日~34年3月30日)

        以降 久万町に合併

産業

米麦、とうもろこし、小豆、粟、ソバなどを産し、養蚕、畜産なども営まれた。

交通

鉄道等はない。 ばす=三共バスあった。 昭和16年頃から当時の小田町村・突合(つきあわせ)が始発でー田度ー二名ー久万町間に午前・午後の二便があった。 このバスは三共自動車のバスでその後昭和19年に伊予鉄道が合併し、伊予鉄バスの発祥と成ったのちも30年代まで運行されていた。 (詳細は要約の参考URLを参照されたし)

関連項目