公会議
公会議(公会)とは、キリスト教において特定地域またはキリスト教世界全体から主教(司教)ならびに信者の代表を集め、教義上の問題などを議論し、整理するための会議。
世界全体から代表を招集する会議を 世界公会議、エキュメニカル公会議、全地公会と呼ぶ。
最初の世界公会議は325年の第1回ニカイア公会議であった。この類の宗教会議は、しばしば皇帝が召集しまた議長を務めるなど、世俗権力の下で執行されることが多かった。そのため、ローマ使徒座を首位とする西方教会(ローマ・カトリック教会)では、ローマ教皇自ら出席せずにその特使(枢機卿)を派遣して、後に教皇が決議を承認するという形式が慣例であった(現在のカトリック教会の教会法では、教皇による召集が義務となっている)。
今日、カトリック教会は、325年の第1回ニカイア公会議から1962-65年第2回バチカン公会議までの21回の世界公会議を認めている。なお公会議によっては、後の公会議や教皇の勅令によって、公会議の無効、または議決の部分的修正がされる場合がある(「エフェソス強盗会議(陰謀公会とも)」「コンスタンツ公会議」など)。
1378年以後、対立教皇が生じ、これを解決するためにコンスタンツ公会議が召集された。このとき公会議首位説が決議され、後のバーゼル公会議で教皇首位説に覆されることになった。
一方、東方教会で認められている世界公会議(全地公会)はまちまちである。東方正教会は325年の第1回ニケア公会議から787年の第2回ニケア公会議(第7全地公会)までの7回の公会のみを認めている。資料によってはフィレンツェ公会議を第8公会とするものもある。
世界公会議(全地公会)対応表
- 第一全地公会 325年 第1回ニカイア公会議 - ニカイア信条採択
- 第二全地公会 381年 第1回コンスタンティノポリス公会議 - ニカイア・コンスタンティノポリス信条採択
- 第三全地公会 431年 エフェソス公会議 - テオトコス教義の確認
- 第四全地公会 451年 カルケドン公会議 - 単性論(449年エフェソス教会会議の決議)の排斥
- 第五全地公会 553年 第2回コンスタンティノポリス公会議 - カルケドン議決の再確認および聖母の終生童貞の確認(三章論争)
- 第六全地公会 680年-681年 第3回コンスタンティノポリス公会議 - 単意論の排斥
- 第七全地公会 787年 第2回ニカイア公会議 - 聖像使用の教義の確認
- 第八全地公会 869年-870年 第4回コンスタンティノポリス公会議 - コンスタンティノポリス総主教フォティオスの追放
- 第九全地公会 1123年 第1回ラテラノ公会議 - 聖職叙任権闘争
- 第十全地公会 1139年 第2回ラテラノ公会議 - 教会改革とアルノルド・ダ・ブレシア追放
- 第十一全地公会 1215年 第3回ラテラノ公会議 - 教皇選挙法改正
- 第十二全地公会 869年 第4回ラテラノ公会議 - 異端審問および十字軍遠征の制定
- 第十六全地公会 1414年-1418年 コンスタンツ公会議 - シスマ終結、フス派断罪、公会議首位説の決議
- 第十七全地公会(第八回全地公会:東方正教会の場合) 1431年-1445年 バーゼル・フェラーラ・フィレンツェ公会議 - 教皇首位説(コンスタンツ公会議の修正)、フィリオクェ問題の教義の確認