尾上菊次郎 (2代目)

幕末から明治の初めの歌舞伎役者

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2代目尾上 菊次郎(おのえ きくじろう、文化11年(1814年) - 明治8年(1875年)6月14日)は幕末・明治初期時代に活躍した歌舞伎役者。俳名は梅花、屋号は音羽屋。

最初は7代目片岡仁左衛門の門下に入り片岡市松を名乗った。その後、大坂に下り2代目中村富十郎の門下で歌柳、三光と改め修行した。1835年11月に江戸に戻り3代目尾上菊五郎の門下で2代目尾上菊次郎を襲名した。1857年から大坂に再び下り、1月より俳名の尾上梅花を名乗る、翌年菊次郎に戻る。1861年に再び江戸へ、幕末の女形として活躍。明治に入り次代の流れについていけず地方巡業が多かった。1875年に没した。容姿はひょっとこ面ともおかめ面とも言われるほど悪かったが。当たり役は多く「佐倉宗吾」の女房おみね等がある。