玄奘

中国の唐代の僧侶

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玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は代の中国僧侶。 彼は、3才のときに出家し玄奘と名乗った。国禁を犯して出国し、天竺(現在のインド)から膨大な経典を持ち帰った。旅の記録は大唐西域記として残されている。 帰国した彼は、持ち帰った膨大な経典の翻訳に専念した。

玄奘の翻訳は、よりその当時の中国語にふさわしい訳語を新しく選び直しており、それ以前の漢訳仏典を旧訳、それ以後の漢訳仏典を新訳と呼ぶ。
一例として、般若心経も彼が翻訳したものであるが、この中で使われている観自在菩薩とは 旧訳の観世音菩薩の事。 サンスクリット語の原語「アヴァローキテーシュヴァラ」は「自由に見ることができる」という意味なので、観自在菩薩の方が訳語として相応しい。

西遊記

西遊記は、大唐西域記や 玄奘の伝記慈恩伝を踏まえたうえで書かれており、玄奘は三蔵法師という名前で登場している。
三蔵法師とは経、律、論に精通している僧侶に付ける敬称であり、本来は玄奘に限ったものではない。例えば不空金剛鳩摩羅什も三蔵法師と呼ばれている。
しかし、特筆すべき功績を残した僧侶として、三蔵法師といえば玄奘のことを指すようになってしまった。