Wikipedia:井戸端/history20091024

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井戸端は、ウィキペディア日本語版について、運営、方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々な事で質問や提案、議論、意見交換を行う場所です。詳しくはWikipedia:井戸端/ヘルプをご覧ください


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特筆性による削除依頼と即時存続票について

最近2回ほど、特筆性に疑問を持った削除依頼(Wikipedia:削除依頼/FM多摩川Wikipedia:削除依頼/牟礼団地)が提出され、そのなかで「特筆性に問題ないから即時存続票」を投じた方がいます。 特筆性に疑問を持つこと、またそれに対して特筆性があると言うことについては問題がないのですが、そのときの票として即時存続を投じるのはどうかと思います。百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事はWikipedia:削除の方針ケースEに該当しており、即時存続の条件を満たしていないと考えます。むしろ即時存続して疑問解消できないのが不適当だと判断しますがどうなんでしょうか。無論「特筆性に問題ないから存続票」というのは問題ないと考えます。--S-PAI 2009年4月8日 (水) 00:03 (UTC)[返信]

私も以前同じような感想を持ったことがあります。Wikipedia:即時存続の方針は異常な依頼を早期に終了させるためのものであって、実際その記事の削除の是非を問うものではないと思います。言わば「貴方の言い分はともかく、この依頼は不適切だ」という意味合いのものですから、例示された2つの件について「特筆性が無い」から「即時存続」はちょっと違う気がします。コメントの内容を見ると、「存続」と答えたほうがより適切ではないかな、と思いました。--Bellcricket 2009年4月8日 (水) 03:58 (UTC)[返信]
  コメント特筆性に問題ない場合は存続票でしょう。ただしWikipedia:削除依頼/牟礼団地の場合、特筆性が無いとする理由が書いていないため、その点においての即時存続票はアリだと思います。--PALNAS 2009年4月8日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
いや、それはナシだと思います。「特筆性無し」というのは削除の方針に含まれますから、Wikipedia:即時存続#適用範囲に合致するとは言いがたいのではないでしょうか。「特筆性無し」の根拠を示すことは重要だと思いますが、それが無いからと言っていきなり即時存続とするのではなく、依頼者に根拠を説明するよう促せばよいでしょう。また説明が無かったとしても、「特筆性無し」と考えている別の利用者から削除に賛成する意見がつくかも知れません。--Bellcricket 2009年4月8日 (水) 22:37 (UTC)[返信]

たまたまWikipedia:削除依頼/FM多摩川にて関係したので見解をば。即時存続を使用した方がどのような思考であったのかは、表面的なもの(文章)だけでは図りかねますが、1個人の考える投票として即時存続票があっても良いと思います。多くの方が参加しているコミュニティーなので、自然とあるべき流れになると思いますし、大変だと思いますが最終的な判断は管理者に委ねられているわけなので。現に上の展開(コメント)も一様ではありません。十把一絡げにするよりも、意見を出し合ってブレを修正していく今の流れは好ましく思います。--Oh H 2009年4月13日 (月) 05:32 (UTC)[返信]

即時存続は話し合いの時間をとらずに打ち切る対処です。「議論する価値がない。時間の無駄だから他の人もこんな話につきあうな」と言えるような場合に即時存続票を入れるべきです。意見を出し合うことに価値があるなら、打ち切りはしないで通常の審議期間を待ちましょうよ。特筆性を理由にした依頼を即時存続にするのは、「荒らし・悪戯」に含まれるような場合ですが、ここで例に挙げられたのは違うと思います。--Kinori 2009年4月16日 (木) 04:04 (UTC)[返信]
特筆性が問題になっているときに即時存続とすべきなのは「依頼自体が荒らし・いたずら・ソックパペットによるもの(問題にすらならない・架空の依頼にはつきあえない)」「すでに議論して特筆性ありと認められたのにもかかわらずそれを無視した依頼(議論を先読むべし)」「二重依頼(先の依頼にどうぞ)」「依頼者取り下げを含め削除票皆無(全員納得で議論終結)」でしょうか。これらはいずれも議論する以前の問題となっていると思われます。特筆性がない理由が不明確であれば依頼者なりほかの人なりが補足して行けばいいですしもしかしたら実は別の特筆性が見つかるかもしれないですし、どちらにせよあわてて即時存続しなくてもいいかと思います。そもそも特筆性がない以上の理由を示せないことが(他の人の同意がとれるかは別にして)削除を受け付けない理由とは思えないのですが…。--S-PAI 2009年5月1日 (金) 17:10 (UTC)[返信]

長くなったノートでの議論を見やすい閲覧のために分割する必要はあるのか?

ノートページを閲覧していて思ったのですが、議題が20個近く上がっている議論の閲覧が非常に見づらく感じたのですが、これまで自分が閲覧してきたノートページでの議論の中で過去の内容がログ化され、分割されている例を見かけたことがないのですが、議題が上がりすぎたノートページを分割する慣例はここにあるのでしょうか?また管理者権限を持つ方でもそのような行為は可能なのでしょうか?皆様のご意見を伺いたいです。--Kingofclub13 2009年4月10日 (金) 06:55 (UTC)[返信]

内容によりけりですがサブページを作ってもよいと思いますよ。(全体の決めとしてどうすべきかは知りませんが。)--Goki 2009年4月10日 (金) 08:23 (UTC)[返信]
Kingofclub13さんはHelp:過去ログ[1]あたりをお読みになるとよいかと。--122.29.83.144 2009年4月10日 (金) 11:17 (UTC)[返信]
Gokiさん、IPさん、お答えいただきありがとうございました。アンサイクロペディアに関しては今は読むのはやめておこうとは思いましたが、Help:過去ログに関しては、私の利用者ページにでも貼り付けておいて常時読めるようにでもしておこう、と考えております。--Kingofclub13 2009年4月10日 (金) 18:34 (UTC)[返信]

管理者の乱用と荒らし行為はどうしたらよいか

海獺(ラッコ)管理者によるウィキペディア荒らしはどうしたらよいのでしょうか?グーグルで検索を欠けても次々に管理者-海獺氏による権限濫用荒らしの事が出てきます。履歴などをよく見てみるととても中立ではありませんし、いくつかは海獺氏の別ハンドルではと思えるものまで散見されます。またウィキペディア内の海獺で削除編集も行ってます。当事者が編集するってどうなのでようか。 以上の署名の無いコメントは、60.39.198.22(会話履歴)さんによるものです。

まづ、アカウントを取得してから(Help:ログイン)、コメント依頼する(Wikipedia:コメント依頼)ことをおすすめいたします。--Mobnoboka 2009年4月11日 (土) 08:48 (UTC)[返信]
LTA:AIKEN類似のケース。相手にする必要性があるのかすら怪しい。--59.86.3.104 2009年4月11日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

Mobnobokaさん、アドバイスいただきありがとうございます。wiki_ididでアカウント作成しました。 海獺氏による荒らし対応の為アカウント作成前に118.1.3.113などで編集を行い、ipアドレスを変えていくつか編集を行いました。また喫煙の項目では、極めて禁煙運動のための主張的内容が数多いため訂正が必要と理解しています。喫煙の項の 健康への影響 以下 をご覧いただきたく思います 以上のコメントは、wiki_idid会話投稿記録)さんが[2009年4月12日 (日) 01:21(JST)]に投稿したものです。

wiki_idid氏は、明確なブロック逃れ、可変IPの悪用。60.39.198.22の履歴も参照。ノート:硫化水素 ‎などの編集は、あらし行為。--Los688 2009年4月11日 (土) 16:42 (UTC)[返信]

Los688様 wiki_idid氏(221.187.0.0/17)及び123.222.128.0/17が広域ブロックWikipedia:広域ブロック/rangeblocklistされたようですが、できましたらコメント(ISP等)欄に対象ISP及び理由などを多少詳しく明記していただけますでしょうか。--Qoop 2009年4月11日 (土) 17:50 (UTC)[返信]

「をも」の表現について

最近Wikipediaで目に付くのが、「をも」の表現の多用です。 例を挙げると「A、BだけでなくCをもDしている」のような使い方です。 「をも」を使わなくとも「A、BだけでなくCDしている」や「A、BだけでなくCDしている」の表現でも意味は通じると思います。また、何もWikipediaの記事は客観的であるべし、と言うわけではありませんが、「A、Bだけでなく(何と!)CをもDしている(これは凄いことだ!)」(かっこ内筆者追記)のようなニュアンスを受け、筆者の主観が強く出ているように思えます。そして何よりWikipedia以外の事典ではほとんど見られない表現です。 皆様は「をも」の表現についてどう思われますか?--116.82.183.109 2009年4月12日 (日) 10:52 (UTC)[返信]

それは読み手の勝手な深読みというものでしょう。その例を借りるならば、「A、BだけでなくCDしている」などと、並列するのにわざわざ「も抜き」にするのは日本語として不自然です。「A、BだけでなくCDしている」ならば確かに意味は通じますが、「も」という助詞は格助詞ではありませんから、そのような主観的なニュアンスをつけるのではなく単に格を強調する目的で「をも」とするのはそれほど不自然ではありません(し、一般の事典で「ほとんど見られない」表現ということもないと思います。わざわざ例示はしませんが)。そのようなニュアンスつきの「をも」が否定されるのは当然ですが、そうでない「をも」も含めて一概に排除する必要性は感じません。--122.29.83.144 2009年4月12日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
最近、目に付くとのことですが、ピンと来ないので2,3例ほど具体例を挙げてもらえませんか?(検索を掛けても、「~をもっている」とか「~をもつ」ばっか出てくるし)--EULE 2009年4月12日 (日) 15:37 (UTC)[返信]
助詞の連語は強調や感嘆、あるいは冗長・婉曲ですのでいずれかを除去すれば宜しいかと。同じ問題は接続詞でも発生します。小学生の作文では文と文をつなぐときに「かならず接続詞を入れなければならない」という誤解から「~だから~なので~」文が登場しますが、接続詞は文旨・文の流れ(文脈)を「強調」する役割なので無くても通じます。助詞も原則なくても通じます。「A、BだけでなくCをもDしている」は最短「ABCをDする」まで簡素化できそうです。記号を利用すれば「ABC、D。」--ネコバット 2009年4月12日 (日) 16:12 (UTC)[返信]
具体例を挙げますと、ホンダ・カブや、日産・エクストレイルで見られました。書き手の思い入れが強いジャンルなので、たまたま多用しているように見えただけかもしれませんが。--116.82.183.109 2009年4月12日 (日) 21:19 (UTC)[返信]

えーと・・・。上にも書かれていますが、井戸端は「ウィキペディアに関する運営、方針及び新たな着想、提案や作業の仕方などに関しての質問や提案、議論、意見交換などを書き込む」のに適当な場だと思います。個々のページに関する日本語の適切な表記については該当する記事のノートページに書かれてみては如何でしょう?--Kingofclub13 2009年4月13日 (月) 04:40 (UTC)[返信]

「このページ(井戸端)は、ウィキペディア日本語版について、運営や方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々なことで質問や提案、議論、意見交換を行なう場所です。」 ミスリード。--118.243.239.251 2009年4月13日 (月) 06:46 (UTC)[返信]

「東公平」氏の記載に関する編集保護について。

対局中の羽生名人に朝日委託記者・東公平がサイン求めた事件について、東公平氏の記録として書くべきではないと、ある1名が記事を削除し、編集保護にされている件ですが、記載すべき&編集保護解除すべきで、ノートにおいて合意はできていると思いますので、編集保護の解除と、削除の取り消しが妥当かと思います。削除&保護した当人は返答をしていませんが反論もしていないので問題ないかと思います。--戸村俊洋 2009年4月13日 (月) 16:06 (UTC)[返信]

ノート:東公平を見ましたが、どこに合意があるのでしょうか。保護した管理者はWikipedia:保護依頼と履歴を見て、中立の判断を下すので、その後コメントを述べることは基本的にありません。--春日椿 2009年4月13日 (月) 16:29 (UTC)[返信]
私の目から見ても、合意がなされているようには到底思えないのですが…。可変IPとアカウントユーザーが個々に意見を述べているだけに過ぎませんし、現時点では保護解除は難しいのでははないでしょうか。--Bbcs 2009年4月13日 (月) 17:15 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。これ以上の手続きは、わたしにはわからないので、本件は手を引こうと思います。ありがとうございました。--戸村俊洋 2009年4月14日 (火) 04:40 (UTC)[返信]

記事の保護期間が不足であると感じた場合、どうするべきか?

管理者さんの手により保護もしくは半保護された記事の保護期間に不足があると感じた場合、期間の延長を依頼ページでお願いするべきでしょうか?ブロック依頼などでは期間中の短縮・延長という手段がありますが、記事の保護では触れられていないようなのでお聞きします。昨晩、神無月の巫女(1ヶ月)及び京四郎と永遠の空(1週間)が、可変IPユーザーによる問題投稿の繰り返しにより、半保護の措置がとられました。が、今朝の利用者:116.254.41.217会話 / 投稿記録 / 記録のような投稿履歴を見る限り、ノートで発言の除去を行ったりと、基本方針を熟読するとか断念するといった気配もなく、1週間程度では再発する可能性が高いと感じました(元々神無月の記事が保護された後にも関わらず、京四郎の記事を同様に強引に編集していました)。管理者さんの裁量次第ですので延長されるかどうかはともかくとして、期間中に延長依頼を出すのか、それとも保護自動解除後に再発した場合に再度半保護依頼を提出するか、どちらが良いのでしょうか。尚、京四郎~の記事については、半保護依頼を提出済み[2]ですので、その後に付け加えることになるかと思います。--Bbcs 2009年4月14日 (火) 08:32 (UTC)[返信]

保護期間については似たようなものでも保護する人によって長短の差がありますね。件の保護についてみてみましたが、もし私が保護するとしても同じくらいにするかな、という感じです(私自身はどちらかというと保護期間を短めにする方ですが)。基本的に、編集が出来ない期間というのはできるだけ短い方がいい訳ですから、最初から保護期間を長く設定しなくてもいいのではないかな、と思います。結局、幾ら長期間の保護を行っても再発がありえないとはいえないわけですし、もし再発するようだったらその時に再度の対応をするということでいいのではないでしょうか。 By 健ちゃん 2009年4月15日 (水) 10:59 (UTC)[返信]
ありがとうございます。再発するかについては、クールダウン&方針熟読用としてもう少し期間が必要かとも考えましたが、確かに期間が長ければ解決するというわけでもないですね。ひとまずノートページにリアクションがないか様子見しつつ、解除されるのを待ってみようかと思います。--Bbcs 2009年4月15日 (水) 15:16 (UTC)[返信]


情報開示の対象について

広く知っておいていただきたい事例になりますので、井戸端に記しておきます。文章内容などを整理し、いずれはWikipedia空間にケーススタディ及び注意書きとして残しておく心算です。

先日、ある記事にその記事の関係者にとっては芳しくない記述が加筆されました。加筆をした利用者を仮にBさんとします。加筆がなされて1週間ほど経過したあるとき、新規利用者が加筆部分を少しずつ除去していく編集をし始めます。この方をAさんとします。その記事対象の関係者です。

善意のユーザーCさんが、理由なく除去されていく編集に気づき差し戻しをおこないました。Aさんはその後も引き続き除去をします。それをうけてBさんはまた芳しくない記述をもう一度書きました。その後はAさんによる除去と、理由なき除去として差し戻す(問題記述を復活させる編集)Dさん、Eさんの名前が編集履歴には記されています。

さて、Aさんは名誉毀損、信用棄損として警察に相談をしました。この場合 Wikipedia:名誉毀損にあるように、寄稿者自身がその責任を負うことになります。

私の元に警察から連絡があり(たまたま他の案件で以前連絡を取っていた警察署のひとつでした)実際に被害届けが出た場合の情報開示についての相談がありました。 m:Help:CheckUser/jam:CheckUser policy/jaに記載されているように、「法的に有効な召喚状、または、法執行機関からその他の強制的な要求を受けた場合」には情報を開示することになります。

名誉毀損、信用棄損の案件の場合、問題とされる箇所を記述した方(このケースではBさん)だけでなく、Wikipediaの編集としてその動機が善意であっても、差し戻しをすることでその記述を再度公にした方々(このケースではCさんDさんEさん)の情報(サーバログから集められた、ないし、チェックユーザーの権限を経たデータベース内の記録を通して集められた、個人を特定できるデータ)をも開示せざるを得ない場合があります。

現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。

なお、当該記事は問題の記述を荒らしと判断し(Aさんに確認をとった上で)全削除としました。--海獺 2009年4月15日 (水) 13:30 (UTC)[返信]

質問です。例えば、復帰ではなく、削除した場合(時々あるような、明らかにひどい記述を削った場合)、無条件に開示の対象になるのでしょうか。それとも、上記、開示対象となったCさん、Dさんについては、Aさんが指名したから開示対象となったのでしょうか?--ゆきち 2009年4月15日 (水) 20:52 (UTC)[返信]
今回のお話は、開示の対象になりうるケースが起きましたというお話をしているので、「この場合は無条件で開示の対象になるのでしょうか」などの質問には、どなたにも答えられないでしょう。
整理しますと、今回のケースの場合、Aさんという方が警察に相談をされ、その場合にログ等の開示が可能かというお話を警察からいただいた中での、開示対象のお話です。つまり、被害届けなどの正式な訴えがあり、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんのログ開示に妥当性があるという判断がされた場合、開示の可能性があるというお話です。問題点が「記述内容そのもの」なのか「それを含む個人の特定」なのかによって当然対象は変わるでしょう。
その判断は「復帰か削除か」「誰が見てもひどい記述か」というよりも、訴える側が対象をどこまでにし、法的機関がどこまで妥当性があるかという判断をするかによって、変化するものであろうと思います。
編集した方がどういうつもりであるか - 
  • 善意か悪意か
  • 単にリバートしただけなのか
  • Wikipediaの方針に則ったものどうか
  • 出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか
などという要素が全く考慮されない可能性があります。
重ねて申し上げますが、存命中の人物に対するネガティヴな記述や現在活動している企業団体へのネガティヴな記述について編集をされる場合、信用毀損や名誉毀損に関わる削除依頼で、本人・関係者・当事者が介入していると思われるケースには、編集に関わった方が望まない場合でも情報開示の対象になりうるということを、意識していただければ幸いです。
実際の今回のケースにおいては、Cさん、Dさん、Eさんに私からメールをお送りします。--海獺 2009年4月16日 (木) 02:52 (UTC)語句置き換え--海獺 2009年4月16日 (木) 05:19 (UTC)[返信]
Wikipediaの基本方針に従って行動している限り、名誉毀損・信用毀損等の責任を問われることは(皆無ではないにしろ)ほとんどないと思っていましたので、今回の件はちょっと意外です。つまり、私の認識は、以下のようなものでした。
  • 百科事典に有益な情報(=公共性・公益性を満たす)を「信頼できる情報源」の記述に基づいて(=真実性・相当性を満たす)記載している限り、名誉毀損は成立しない。
  • 同様に、「信頼できる情報源」の情報である限り、信用毀損罪でいう「虚偽の風説を流布」にはならない。
  • Wikipedia:検証可能性に従っている限り、どのような出典に基づいてどのような情報を記載したかは、記事やノートを見るだけで充分明らかになっているはず。(逆に言えば、そこが明らかでないということは、Wikipediaのルールに従っていないということになる)つまり、Wikipediaの基本方針に従った編集である限り、記事やノートの議論を充分に調査しさえすれば(直接本人を取り調べるまでもなく)名誉毀損や信用毀損の嫌疑はおおむね消える。
当局が記事やノートの記述を充分チェックした上で「嫌疑あり」と判断した人についてなら情報開示も仕方ないでしょう。しかし、そうでないなら、「まず記事やノートの議論をしっかり調べてください」と言うべきだと思います。その意味で、「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないかなどという要素が全く考慮されない可能性があります」は、少しおかしいと思います。
本件について、警察は、本当に「Wikipediaの方針に則ったものどうかという要素を考慮しない」という見解なのでしょうか?ひょっとして、「信頼できる情報源」が充分に明記されていなかったから嫌疑が消えなかったということではないですか?ご確認いただければありがたいです。
個人的には、記事の編集よりノートでの議論に参加することの方が多く、しかも最近はある記事での議論の中で「こんなので名誉毀損なんかになるわけはない」のような説を展開していたりもします。万一の場合、ノートで「記述してよい」と唆した私が見逃され、私の意見を真に受けてたまたま記事を編集した人が問題にされるというようなことになったら、非常に不本意です。警察は、記事やノートをちゃんと読んで、「本当に犯罪の疑いがあるのか」「もし犯罪だというなら、本当に悪い奴は誰なのか」をしっかり判断した上で情報開示を要求すべきだと思います(もしそうしていないなら、Wikipedia側からも、そういう要求をすべきだと思います)。--Dwy 2009年4月16日 (木) 08:35 (UTC)[返信]
わかりました。ありがとうございます。--ゆきち 2009年4月16日 (木) 09:06 (UTC)[返信]
Dwyさんに対しての返信です。挙げていただいた三点の条件はいずれもWikipedia側もしくは編集をする方からの視点のお話です。今回私が申し上げているのは、ある記述に対して、名誉毀損などの申し立てがあった場合、記述した方だけでなくリバートなどによって記述を復活させる行為も、申し立てをする方からすれば問題のある記述を復帰させた方とみなされる場合があり、情報開示の対象となりうるというお話です。つまり「申し立てをする方がどなたを/何を問題視し、開示要求の対象にするのか」でしかなく「Wikipediaの方針が」というようなレベルのお話ではありません。
申し立てをする方や警察や法的機関がどのように判断するかということを、「Wikipediaの方針について理解した上で配慮しないのはおかしい」というような点については、個人的には考慮されるべきだとは思います。しかしながら、実際問題としては、今後仮にDwyさんがそういった件に直面したときに、「私はWikipediaの方針の則って行動をしただけだ」とご自身でご説明いただくほかはないと思われます。その際にはDwyさんというアカウント名での対応になるか、こちらから情報開示をして以降の段階なのかについても、いずれの可能性もあるということも合わせてご理解ください。
現時点で、今回のケースにおいてそういった打診があったことは事実であり、実際に開示しなければならないかどうかは今後の展開によりますが、例えば私のような立場のものに「Wikipediaとしてこうすべきである」というリクエストや過度の期待をされても困りますし、今回はたまたま私のところに問い合わせがありましたが、ほかの方に同じような対応を期待するような流れになっても困ります。また「本当に悪い奴」云々についてですが、それが判らないから開示対象になりうるということについてご理解ください。
私は今回の件で私にできる限りのことはしますが、それはただ単に今回のケースにおいての結果が出るにすぎません。「この件がこうだったから、これもセーフ」というようなことでは、決してありません。その上で、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記を何度でも読み返して、ひとりひとりに今後の編集姿勢、議論参加姿勢をお考えいただければと思います。特にWikipedia:名誉毀損に書かれていることを、しっかりご理解ください。--海獺 2009年4月16日 (木) 11:39 (UTC)[返信]
へのいちと申します。日頃よりこのような案件への対応にご尽力されているCUの皆さん、お疲れさまです。
さて、上のやり取りについてですが、Dwyさんが訊きたかったのは、「Wikipediaの方針に則ったものかどうかという要素を考慮しない」のかということではなく、「(Wikipediaの方針に則った行動や記述であるから、その結果として)名誉毀損の要件を満たさず適法な形になっているということが 記事の履歴やノートを注意して読めばわかるようになっている という場合でも開示してしまうのか」ということではないでしょうか。少なくとも私は、その点について伺いたいと思います。記事の履歴やノートを注意して読めば嫌疑無しとなるはずの方に対して、警察などが記事の履歴やノートを注意して読んでいないがために開示を請求してきたとき、まずは履歴やノートを注意して読んでみて下さいという対応をしてはもらえないのか、ということです。もちろんボランティアでCUを引き受けてくださっている皆さんに過剰なお願いはできないのではありますが、どう対応をしていただいているのかを伺っておくくらいはしたいのです。--へのいち 2009年4月17日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

(インデント戻す)論点がいくつかに分かれておりますので、整理してお答えいたします。

このお話は、

現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。

というお話であり、こういう場合はこうしてくれるのでしょうか? もしくは、こういう対応をします。 という論点ではありません。その上で質問に出来る限りお答えします。

まず、確認していただきたいのですが、「全く考慮されない」ではなく「全く考慮されない可能性がある」と申し上げています。逆に考えてみてください。「申し立てをしている人、警察・法的機関は、善意による差し戻し編集などを絶対に考慮してくれます。開示対象にはなりません」と断言できるでしょうか? おそらく誰にも断言することはできないでしょう。

「この人は善意で差し戻しているのだから、開示の対象に含まなくてもいいのではないかと思います。なぜなら、長くウィキペディア日本語版の編集をしてくださっている方であり・・・」という風に、意見を言うことはできると思います。その意見を参考に、申し立てをしていらっしゃる方や、警察・法的機関が、その編集を善意とみなし開示対象から外すという判断をするかもしれません。

しかし「この人は善意で差し戻しているので、情報開示をいたしません」とボランティアの立場の人間が開示拒否をすることはできません。拒否することによりウィキペディアが免責されなくなる可能性がありますし、CU、管理者に判断権限は全くありません。責任を負う立場でもありません。「参考として意見を言う」ということと、「開示を拒否をする」ということは全く次元が違うことです。

「参考として意見を言う」などの対応は、あくまで任意の行動です。管理者をふくむ利用者の中には、法的機関や申し立てをしている方に対し、一人のボランティアの立場で意見をいうことすら躊躇する方もいるでしょう。「管理者/CUとしてどうするのか」というようなボランティアの集団に一律の対応を期待するような問題ではないと思われます。

その上で「もちろんボランティアでCUを引き受けてくださっている皆さんに過剰なお願いはできないのではありますが、どう対応をしていただいているのかを伺っておくくらいはしたいのです。」という質問に対してですが、「皆さん」ではなく、今回のケースでは、警察と申し立てしている方、双方に「CDEの各氏は善意のユーザーであると思われるので、情報開示対象から除外していただけないだろうか」という意見を、私は一個人として伝えています。ただし、本当にこれは特殊なケースであり、たまたま他の案件で以前連絡を取っていた警察署のひとつで、実際にその署の方と先日お会いしていることで、ある程度の信頼関係があると思えたからこそ意見が言えたという背景があります。

非常に冷たい言い方になってしまうのはもうしわけないのですが、ウィキペディアは任意参加の場所です。利用者が任意でおこなった編集に対して、管理者が外部にどんな対応をしてくれるのかを期待なさらないでください。百科事典を作るサイトにおいて、名誉毀損や信用毀損のおそれが少しでもある記述は、今すぐにウィキペディアに載っていなければならないのか、もう一度考えて、ご自身がトラブルに巻き込まれないように配慮してください。--海獺 2009年4月17日 (金) 06:05 (UTC)リンク付加--海獺 2009年4月18日 (土) 03:08 (UTC)[返信]

へのいちです。海獺さん、お答えありがとうございました。私が伺いたかったことはこれ以上ないというほどはっきりとわかりました。私が海獺さんの立場だったらここまではやるだろうという対応はしていただいているということ、あるいはしようとしていただいているということがわかって安心しました。海獺さんをはじめCUのみなさまには、日頃のご尽力に改めて感謝申し上げます。ところで、私が訊いたことはDwyさんが確認したい点とは少し違っていたようですね。失礼いたしました。--へのいち 2009年4月18日 (土) 09:44 (UTC)[返信]
Wikipediaの編集は基本的に自己責任で行うものであり、ボランティアで外部との折衝に当たってくださる管理者の方が自分を守ってくれると期待するのは筋違いだということは、理解しました。しかし、今回お願いしていることの主旨はそういうことではありません。今回の事例がどのような事例なのか、確認していだだきたいということです。
今回海獺さんは「出典があるものを書いただけ・・・という要素が全く考慮されない可能性があります」とおっしゃっています。上にも書きましたように、私としては『百科事典に有益な情報を「信頼できる情報源」の記述に基づいて記載している限り名誉毀損や信用毀損は成立しない』と理解しており、その範囲内ではかなり「行け行けドンドン」ですから、本当に海獺さんのおっしゃるとおりなら、真剣に考え直して行動を改めなければなりません。その意味で、
  1. 今回の事例において、実際に、出典があるものを書いただけなのに名誉毀損や信用毀損の嫌疑を受けており、そのことが今回の海獺さんの発言につながっているのか?(もしそうなら、Dwyは悔い改めて、現在論争中の問題についても「ごめんなさい。間違っていました」を言わなければないかもしれません)
  2. それとも、今回の事例自体は出典が充分に明示されているかどうか怪しい事例だが、海獺さんとしては、ちゃんとした出典の明示がある事例でも情報開示要求を受ける可能性があると理解しているということなのか?(こちらであれば、Dwyが、海獺さんの理解と異なる独自の理解に基づいて行動することが全く許されないわけではないと思います)
を確認していただきたいと思います。(現在進行中の事例については発言しにくいということなら、お答えは事件の決着がついた後でも結構です)--Dwy 2009年4月18日 (土) 05:25 (UTC)[返信]
横から失礼。名誉毀損等が成立するかどうかとは無関係に、適法な情報開示要求に対し、応じる応じないを管理者が判断することはできないということではないでしょうか。それは開示要求する側(そして開示要求を認める側)が決定することであって、Wikipediaの方針に沿っているかどうかや、出典の有無とは別個の問題です。また私が理解している限り、Wikipediaの各種方針は、それにしたがっているからといって、民事刑事問わず訴訟の対象にならないことを保証するものではなく、まして適法な開示要求に対し保護されることを保証するものでもありません。わずかでもそういった可能性があることを容認できないのであれば、Wikipediaの編集はしないほうがいい(最終的に名誉毀損等に該当しないとしても、開示要求の対象にならないことは誰にも保証できない)ということは言えるかもしれません。-- 2009年4月18日 (土) 06:51 (UTC)[返信]
名誉毀損が成立する可能性がないなら、情報開示要求は「適法」とは言えませんが、ここで私が問題にしているのは、そういうことではありません。ましてや、「民事刑事問わず訴訟の対象にならないことを保証するものではなく、まして適法な開示要求に対し保護されることを保証するものでもありません」のような保証を要求しているわけでもありません。
自己責任での編集をするに当たっては、「どんなことをすればどんな責任を問われうるのか」を充分認識する必要があります。海獺さんが注意すべき実例があるとおっしゃるなら、できるだけ正確・詳細に提示してほしいと思うのです。具体的には、問題となっている事例で「出典の明示」がされていたのかどうか、もしされていたのならどのような「出典」だったのか、問題の性格上完全な開示は難しいでしょうが、差し支えのない範囲内で教えていただきたいとお願いしています。--Dwy 2009年4月18日 (土) 07:44 (UTC)[返信]
「自己責任」というのは「どんなことをすればどんな責任を問われうるのかということを充分認識」しても全てがカバーできるわけではない、と私は思います。「自己責任」とは「自分がしたどんなことも自分で責任を取る」ということです。当然のことながら、あらかじめ認識していたこと、想定していたこと以外の場合も出てくると思います。
仮にこの事例を詳細に開示をしたとしても何も参考になりませんし、当事者のウィキペディアンの気持ちを考慮して、私からは進んで説明をするつもりはないことを申し添えます。
こう考えてください。
  • 名誉を毀損することを目的とした2人の人間、JとKがいます。
  • 出典はあるがその対象の人物にとっては名誉毀損だと訴えたいような内容をJが記述します。
  • 誰かが差し戻す(除去)。
  • Kがそれをまた戻す(復帰)。
  • 誰かが戻す(除去)。
  • 善意の利用者Lが戻す(復帰)。
この場合、J、Kが仲間であっても、ウィキペディアの方針上ではKの行動は両方とも善意の差し戻しになります。
出典がある記述だとしても、「ウィキペディア上でそれを公にしたことに対する被害届け」が出されたとしたら「出典があるから大丈夫だと思いました」と説明するのは、公にした方々だと思います。
K、Lが共謀者なのか善意の第三者なのかは、情報開示後でないと判断が出来ないことではないでしょうか?
Dwyさんに申し上げておきたいのは、今までの編集姿勢で、もしかしたらまずいのだろうかと思うところがあり、情報開示の対象になることを望まないのであれば、今後は慎重にされたほうが良いのではないか、と私は思います。--海獺 2009年4月18日 (土) 15:35 (UTC)[返信]
私としては、「今までの編集姿勢で、もしかしたらまずいのだろうかと思うところがあり」というわけではありません。むしろ、海獺さんの「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」という表現が、非常にまずかったのではないかと思っています。
海獺さんがおっしゃっているのは、「どんなにルールを守っていても情報開示要求を喰らう可能性がある。それが嫌なら、記事の対象にとってネガティブな情報は書くな」ということです。これは結局「記事の対象にとってネガティブな情報は一切書くな」ということにほかなりません。そういうやり方だと、確かに名誉毀損や信用毀損で訴えられるリスクは回避できるでしょうが、百科事典としての価値は著しく損なわれてしまうことになります。
繰り返しになりますが、百科事典に有益な情報を「信頼できる情報源」の記述に基づいて記載している限り、原則として名誉毀損や信用毀損は成立しません。Wikipediaの基本方針に従っている限り、記事やノートの記述を調べてもらうだけで嫌疑は晴れるのです。これらの点を警察が考慮しないことなどありえません。「全く考慮していない」事例が現実に発生しているのであれば別ですが、そうでなければ、わざわざ「可能性があります」などという意地悪な脅かしをすべき理由は何もないと思います。
今回の事例についてご説明くださるつもりがないとのことですので、やむを得ず、私なりの推測(私としては確信に近いものなのですが)に基づいて発言させていただきました。もしその推測が間違っていましたら、お詫びを申し上げます。事例についてのご説明がいただけないなら、これ以上議論する意味もありませんので、お返事は結構です。(海獺さんに反論したいことがおありなら、もちろん是非ともご発言ください)--Dwy 2009年4月18日 (土) 18:08 (UTC)[返信]
横からツッコミですが、ネガティブな事を書くのは百科事典の役割でも何でもないのではないでしょうか。ウィキペディアを離れた一般論で言うなら、当事者も含めて納得できるのが百科事典ではないかと思います。「ネガティブな事を書けないから、百科事典としての価値が損なわれる」というのは、少々飛躍しすぎではないでしょうか。5つの柱の一つでもある「中立的な観点」は、「良いも悪いも全部書きましょう」という意味ではなく、「事実関係において争うことのないものを書きましょう」という意味ですよ。当事者が嫌がっている事を書くのがウィキペディアの役割だとは僕はまったく思っておりません。あと、お尋ねのことは、既に一人の管理者が答えられる限界を越えています。法律家に相談する機会を設けるべきでしょうね。--ゆきち 2009年4月19日 (日) 00:36 (UTC)[返信]
Dwyさんにお返事いたします。反論というような類のものでなく、再三申し上げているように、このお話は、
現段階で私から申し上げられることは、こういったケースの場合、記述した方だけでなく、除去に対する差し戻しをした方も情報開示の対象となってしまう可能性があるということを、ご注意いただきたいと思います。Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通していただき、名誉毀損、信用棄損に関わる文章の差し戻し復帰については、慎重に行うことをお勧めいたします。
という主旨です。Dwyさんは、「開示の対象になるかもしれないよと」いうお話を、「名誉毀損になるかもしれないよ」というお話と混同されているように私には見えます。
Dwyさんご自身も「原則として」とわざわざお書きになっているように、おそらくどこかでは「可能性がある」とご理解いただいていると思われます。その上で私のような立場の人間が、利用者の方へ広くアナウンスするためのこの文章を書かせていただいたということに過ぎません。情報開示の対象となる可能性について私が何も限定できず、何も保証することが出来ないので、こういった表現を使わせていただいています。
その文章から「記事の対象にとってネガティブな情報は一切書くな」とDwyさんが三段論法的に解釈することは自由です。しかしながら、その解釈に基づいてご自身の百科事典の理想へお話を展開したり、そんなはずはないとおっしゃったり、私が脅しのために「可能性があると表現をしている」と、ことさらのようにここに書く意味が私には全くわかりません。
この事例から学ぶことが出来る教訓は「海獺はおかしい。間違ってる」ということであれば、それはそれで仕方がありません。おそらく大半の人にとってはそうではないであろうことを信じて、書かせていただいています。--海獺 2009年4月19日 (日) 00:57 (UTC)[返信]
海獺さんが上で太字体で書かれている主旨であれば、私に何の異存もありません。ただ、そのような主旨であれば、「Wikipediaの方針に則ったものかどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないかなどという要素が全く考慮されない可能性があります」などとわざわざ言う必要はなかったと思います。(そもそも、Wikipediaの方針に則ったものかどうかが考慮されない可能性が本当にあるのなら、「Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記 など(のWikipediaの方針)にもう一度目を通していただき」というアドバイスは、あまり意味を成しませんよね?)--Dwy 2009年4月19日 (日) 04:42 (UTC)[返信]
Dwyさんは、私にどんな回答を求めていらっしゃるのですか? Wikipedia:基本方針とガイドラインにおける (情報開示の対象になるかどうかに関わる)「内容についての公式な方針(ガイドラインなども含む)」と(編集姿勢に関わる)「行動についての公式な方針(ガイドラインなども含む)」を故意に混同させて、アドバイスには意味がないとおっしゃるのはとても危険な発言だと思います。
ほかの方にももっと意見を伺いたいのですが、Dwyさんがおっしゃることや抱えている疑問を、同様に感じていらっしゃる方は多いのでしょうか? 海獺の説明不足もしくは、海獺はわざわざいう必要のないことをことさら言っているという印象を持っている方が、ほかにもたくさんいらっしゃるのでしょうか?--海獺 2009年4月19日 (日) 05:05 (UTC)[返信]
私の理解では、海獺さんのアドバイスは『Wikipediaの方針に沿っているから大丈夫だ、などと思ってはいけない。Wikipediaの方針はあなたの正義を保証しない』ということですが、合っていますでしょうか。もしそうなら全く同意しますし、言っておくべきアドバイスだったとも思います(Dwyさんの反応こそがその根拠になると思います)。
まあWikipediaの方針や目的に完全に沿った編集であれば、それを以って免責されるべきであると主張することも出来なくはないでしょうが、それは情報の開示が為された後のことでしょうし。 -- NiKe 2009年4月19日 (日) 05:41 (UTC)[返信]

(インデントを戻します。また、へのいちさんの発言を移動させていただきました。)

余計なことを言って議論を無駄に拡散させてしまったようです。申し訳ありません。「Dwyさんは、私にどんな回答を求めていらっしゃるのですか」とのお尋ねですので、ポイントだけもう一度言います。

  • 海獺さんは、善意で単にリバートしただけの人が名誉毀損や信用毀損の嫌疑(=情報開示要求)を受けたという事例を紹介された上で、「編集した方がどういうつもりであるか-善意か悪意か、単にリバートしただけなのか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というアドバイスを提示されました。ここまでのところは、全く理にかなったことであり、何の疑問点もありません。
  • 海獺さんは、更に続けて「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というアドバイスも付け加えられました。Dwyにはこのアドバイスがどこから来たものか全く分かりません。そこで、「このアドバイスは、ご紹介の事例から得られた教訓ですか?」とお尋ねするとともに、「もしそうなら、どのような事例だったかをもう少しご説明いただかないと、せっかくのアドバイスがちゃんと理解できないと思います」と指摘しました(少し表現が違っていたかもしれませんが、意図としてはそういうことでした)。これに対して海獺さんからは、(特に前半部分の質問に対しては)はっきりしたお答えをいただいていません。
  • 「Wikipediaの方針に則ったものどうか、出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか、などという要素が全く考慮されない可能性があります」というのが、本件事例から得た教訓ではなく、海獺さんが「これもついでに言っておいた方がよいだろう」と判断して付け加えられたものであるなら、それはそれで結構です。ただ、もしそうであるなら、そうであることがはっきり分かるような説明を加えた上で、本件事例から直接得た教訓である「善意で単にリバートした人も云々・・・」とは明確に扱いを変えて提示していただいた方が、誤解がなかっただろうと思います。(特に本件では、どのような事例だったか情報を完全には開示しないわけですから、事例から得られた教訓と、ついでにアドバイスしている事項とをはっきり区別しないと、Dwyのように余計な推測で混乱する人が出るおそれがあるわけです。)
  • 海獺さんは、「広く知っておいていただきたい事例になりますので・・・いずれはWikipedia空間にケーススタディ及び注意書きとして残しておく心算です」ということで、このトピックを始めておられます。私としては、将来作られる「ケーススタディ及び注意書き」をより分かりやすいものにするためのお手伝いのつもりで、質問・お願いをしています。お前の言うことなどピント外れで役に立たないということなら、無視していただいてもかまいません。--Dwy 2009年4月19日 (日) 21:01 (UTC)[返信]
今回の事例は進行中の事例です。私は各方面(申し立てをしていらっしゃるご本人、および警察)に意見をいうことはしたものの、その結果として今回の事例で情報開示が今後なされることは絶対にない、とも現時点ではいえません。おそらく意見は聞き入れられるだろうという感触はありますが、絶対はありません。
同様に、この文書の目的は、意識せずに情報開示の対象になる可能性があることに対しての警鐘の目的です。今回の案件の詳細報告が目的ではありません。
今回の事例についての詳細な部分は、現在進行であることから、各当事者の同意がなければ私から説明はするべきでないと思います。したがって今回の事例を検証し掘り下げた上でここに書くということではありません。
先日書いたJ、K、Lさんの例の場合での、悪意のあるK氏と全くの善意のL氏のように、表面上はWikipediaの方針通りに全く同じように編集している場合、「善意か悪意か」「単にリバートしただけなのか」「Wikipediaの方針に則ったものどうか」「出典があるものを書いただけで執筆者本人の意見であるかないか」などの要素は、むしろ情報開示後に判断されるケースとなりえます。こういったケースが容易に想像できるのに、今回のケースはどうだったか?という質問もその回答もあまり意味がないと思いますがいかがでしょうか? またこの例は「そうであることがはっきり分かるような説明」には不足でしょうか?
このアドバイスは、ご紹介の事例から得られた教訓ですか?」という質問の答えは「Yes」になります。ただそれはあくまで今回のケースからいろいろな想定をした上で、今回のケースがそのものずばり当てはまるかなどの詳細については、上記のように現在進行であるなどの要素があるため、回答できませんと申し上げています。対象が三人いるということも意識していただけるとありがたいです。Dwyさんの個人的な疑問や不安を投げかけるときに、その方たちへの配慮をしてくださっているでしょうか?--海獺 2009年4月20日 (月) 03:25 (UTC)[返信]
上でも申し上げました通り、「問題の性格上完全な開示は難しいでしょうが、差し支えのない範囲内で教えていただきたい」とお願いしています。更に、「現在進行中の事例については発言しにくいということなら、お答えは事件の決着がついた後でも結構です」とも申し上げました。最終的に「ケーススタディ及び注意書き」をまとめられるときに、どのような事例からどのような教訓を引き出したのか、読む人がちゃんと納得できるような記述になっていれば、それで結構です。
それともうひとつ。海獺さんの今回のご発言を読んでいて初めて気がついたのですが、海獺さんは、出典があるものを書いただけかどうか本人に確認しなければ分からない状態(記事やノートを見ただけでは判断できない状態)でも、「Wikipediaの方針に則ったもの」でありうるという認識なのですね?Dwyは、Wikipedia:検証可能性についてもう少し厳格な立場を取っていますので、たとえ出典に基づいた記述であっても、その出典が記事(あるいはノート)に明記されていなければ、「Wikipediaの方針に則ったもの」ではありえないと考えています。この認識の差が、これまで話が噛み合わなかった最大の理由かもしれません。--Dwy 2009年4月20日 (月) 05:57 (UTC)[返信]
「Wikipediaの方針に則ったものであるかの判断をするのは、いつ、だれが、どの情報によってなのか」という様々な要素を、Dwyさんがご自身の視点からおっしゃり、主観と客観を混同されているようなので、お話が噛み合わないのだと認識しています。Dwyさんが個人で感じている疑問や不安を、あたかも全体のためと展開されているように見えます。
今回の事例の差し支えない範囲をというDwyさんの呼びかけに対し、私はほかの例をあげ、「この文章の論点はそこではないのだ」と再三申し上げていることで、「差支えがある」、「この事例だけで今後の注意範囲を限定することは出来ない」、とお察しいただきたいと思っておりましたが、それは難しいようなので、ほかの人への配慮をしてくださいと申し上げました。
「だれがどのような姿勢で検証可能性について厳格な立場を取っていようとも、自身ではWikipediaの方針に則っていると思っていても、どんな意思でおこなった編集であっても、ケースによっては情報開示の対象になる可能性はありますよ、個人で注意してくださいね」というとてもシンプルなお話です。ご理解いただけないでしょうか?--海獺 2009年4月20日 (月) 07:03 (UTC)[返信]
「主観と客観を混同」のような難しい話をしているつもりはありません。なんで分かってもらえないのか分かりませんが、要するに私が言っているのは次のようなことです。
  • 海獺さんは、本件事例について、以下のような「ケーススタディ+注意書き」を考えておられる(ようにDwyには見える)。
  1. 善意で単なるリバートを行った人が、名誉毀損・信用毀損の嫌疑を受けた事例が発生しました。
  2. (この事例から分かるように)善意で単なるリバートを行った場合であっても、Wikipediaの方針に従っている場合であっても、出典に基づいて記述している場合であっても、名誉毀損等の嫌疑を受ける可能性はあるのでご注意下さい。
  3. 余計な嫌疑を受けないためにも、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通して、慎重な編集を行われることをお勧めします。
  • Dwyにとって、上記のような「ケーススタディ+注意書き」の論理展開は、少し理解しにくい面がある。いろいろ疑問がわいてきて確認したい点が出てくるが、「詳細については差支えがありお教えできない」のように言われてしまうと妙な不信感まで沸いてきて、せっかくのアドバイスが素直に耳に入らない。
  • 同じことを言うにしても、もっと分かりやすい言い方があるはず。例えば次のように言ってくれれば、Dwyにも素直に理解できる。
  1. 善意で単なるリバートを行った人が、名誉毀損・信用毀損の嫌疑を受けた事例が発生しました。
  2. (この事例から分かるように)善意で単なるリバートを行った場合であっても、名誉毀損等の嫌疑を受ける可能性はあるのでご注意下さい。
  3. 余計な嫌疑を受けないためにも、Wikipedia:名誉毀損Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかWikipedia:存命人物の伝記などにもう一度目を通して、慎重な編集を行われることをお勧めします。これらの方針に従っているからといって絶対に嫌疑を受けない保証はありませんが、一応の目安はご理解いただけるはずです。
いろいろ余計なことも言いましたが、現在私が主張しているのは、たったこれだけのことです。以上は全てDwyの主観に基づく意見ですが、特におかしな主張だとは自分では思っていません。とはいえ、前にも言ったように、海獺さんが考慮に値しないとおっしゃるなら、無視してくださっても構いません。私の側の考えは、これ以上ないくらい明確になったと思いますので、私からの発言はこれで最後にしようと思います。長々お付き合いありがとうございました--Dwy 2009年4月20日 (月) 10:21 (UTC)[返信]
既に余談の域に入ってる気がしますし、本人もこれで最後にすると言っているので、コメントが返ってくることは期待していませんが、前者と後者の違いは「Wikipediaの方針に従っている場合であっても、出典に基づいて記述している場合であっても、」という文言が入っているかどうかだけですよね。そのような文言が入っているから理解しにくい、疑問があるというのは、方針に従っていることや出典が明記されていることにより、Wikipediaの外における判断が左右される、という無意識の前提が入っているとしか思えません。しかし、Wikipediaの外で判断されることなのに、何でWiipedia内の事情を斟酌する必要があるんでしょう。そりゃあ考慮してもらった方が編集活動をする上ではやりやすいかもしれませんが、別段そんな義理はないでしょう。ついでに言えば、疑問に思って質すにしても、分かりやすい言い方というのもあるのではないでしょうか。今回の事例においてどうだったか、を尋ねなくても疑問は解消できた筈、というのが、私の個人的意見です。-- 2009年4月20日 (月) 10:59 (UTC)[返信]
現在進行であること、私は当事者ではなく間に立っている立場であること、権限をいただいている立場としての配慮、など、いろいろな要素があり、私自身も言葉選びに慎重にならざるを得ませんので、説明がわかりにくかった面もあるかと思います。郁さん、フォローありがとうございます。--海獺 2009年4月20日 (月) 15:12 (UTC)[返信]

「Wikipediaの方針に従っている場合であっても」

問題が二つあります。

  • 編集者当人は「Wikipediaの方針に従っているつもりであっても」実際には、方針すべてにかなうものではない場合

があります。たとえば、「出典に基づいて書いている」つもりでも「人々の知名度に釣り合う情報だけを記事に含めるようにすべき(Wikipedia:存命人物の伝記より)」という条件を満たせそうにない項目がたくさんあります。

  • 「Wikipediaの方針に従っている場合であっても」日本法に照らせばまだ不足である場合

もあります。たとえば、Wikipedia:存命人物の伝記はもともとが英語版の方針を翻訳したものなので、日本法に基づいて考えれば、これを厳守してもまだ足りない可能性があります。ご存じだと思いますが、名誉毀損をめぐる判例は、アメリカに比べて日本でははるかに厳しく責任を問われる状況です。日本の事情をWikipedia:名誉毀損から抜粋します(これは、もとはWikipedia‐ノート:名誉毀損Emonueさんがお書きくださった日本における名誉毀損に関する事情説明です):

  1. 特に注意すべきは、記述内容が真実であるとしても、直ちには免責されないということです。公人について言及する場合であっても、同様です。日本法の下で免責されるためには、公共の利害に関する内容を、専ら公益を図る目的で執筆したことが要求されます。これは、現実的悪意の法理en:actual_malice)による場合よりも広い範囲で損害賠償責任を認める基準であると考えられています。
Wikipedia:名誉毀損2009-04-18 16:21:11 より転記
(補足)ここまではmiya による2009年4月24日 (金) 19:57 (UTC)のコメントです。--miya会話2017年6月6日 (火) 05:48 (UTC)[返信]
Emonueさんがおっしゃっているのは、「記述内容が真実である」だけではダメで、「公共の利害に関する内容を、専ら公益を図る目的で執筆したこと」(いわゆる「事実の公共性」+「目的の公益性」)も必要ということです。しかし、「事実の公共性」や「目的の公益性」は、「百科事典を作る」というWikipediaの目的に則って編集をしている限り、満たされていると考えて良いのではないでしょうか?(もっとも、ここで言う「Wikipediaの目的」については、厳格な解釈をする必要があるでしょう。WP:NOTなども、名誉毀損等が問題になる場面では、厳しい解釈で適用していかなければなりません。)--Dwy 2009年4月24日 (金) 23:29 (UTC)[返信]

「出典に基づいて記述している場合であっても」

状況はアメリカよりはるかに厳しく、たとえ「出典に基づいて記述している場合であっても」真実であるかどうか慎重な判断を要します。日本法に照らせば、新聞に載っていたから、とか、週刊誌に載っていたから、という言い訳は通じないと覚悟すべきでしょう。こちらもWikipedia:名誉毀損#日本の事情から抜粋転記します:

  1. また、たとえ信頼のおける複数の報道機関による報道に依拠し、そのことを明確にした上で執筆した場合であっても、そのことから直ちに免責されることはありません。
Wikipedia:名誉毀損2009-04-18 16:21:11 より転記

ということです。--miya 2009年4月24日 (金) 19:57 (UTC)[返信]

上記2ケースについての具体的判例などはあるのでしょうか。今後のためにも詳しい方にケーススタディを示していただければと思います。--221.113.5.124 2009年4月24日 (金) 21:11 (UTC)[返信]

「日本法に照らせば、新聞に載っていたから、とか、週刊誌に載っていたから、という言い訳は通じない」は少しmisleadingだと思います。少なくとも、「信頼のおける複数の報道機関による報道に依拠し、そのことを明確にした上で執筆した場合」のことを言っているのなら、(公共性・公益性の言い訳も同時にできることが前提ですが)日本法に照らしても、充分に言い訳が通じます。(何を「信頼のおける報道機関」とするかについてはいろいろ議論があるでしょうが、それはここでの問題とは別の問題です。)--Dwy 2009年4月24日 (金) 23:29 (UTC)[返信]

Wikipediaは誰でも編集していいわけじゃないのですか?

Wikipediaは誰でも編集できる場所だと聞いたのですが、編集したあと数日たって見てみると 削除されていることがほとんどです。Wikipediaは誰でも編集できるページではないのですか? Wikipedia初心者なのに、アカウントを止められてしまうということもあるようです。 Wikipediaでどのような権限を持っている人なのか知りませんけれど、 気に食わない記事を書くWikipedia初心者だからといってアカウントを停止したり すぐに削除してしまうようなWikipediaはどうかと思います。--以上の署名のないコメントは、124.85.220.226会話/Whois)さんが 2009年4月15日 (水) 15:20 (UTC) に投稿したものです。[返信]

Wikipediaは誰でも編集してよいものですが、どのような編集をしても許されるというわけではありません。ですから差し戻されることも削除されることもあります。そういう編集ばかりして他の参加者からの苦言にも耳を貸さないような人がいれば、編集できないようにすることも止むを得ない措置です。 -- NiKe 2009年4月15日 (水) 15:30 (UTC)[返信]
  コメント 投稿される前にWikipedia:記事投稿まえのチェックシートを確認することをお勧めします。すべての項目にチェックを付けることができたなら、そうそう削除されることはないと思いますよ。--Penn Station 2009年4月15日 (水) 15:45 (UTC)[返信]
誰でも編集できるわけではありません。メインページに書いてある通り、「基本方針に賛同していただけるなら」という条件がつきます。厳しく解釈すれば、基本方針に賛同できなければ編集や記事の作成はできないことになります。まずは、中立的な観点検証可能性独自研究は載せない等の諸方針に目を通すことをお勧めします。--Shadow ump 2009年4月16日 (木) 00:39 (UTC)[返信]

この間に「Wikipedia:メインページの改訂/2012」が行われており、その過程で「メインページ」の記述内容が変化しています。--Frozen-mikan会話2013年6月27日 (木) 15:46 (UTC)[返信]

>「基本方針に賛同していただけるなら」という条件がつきます。
それなら一番最初の標語も直さないと、保険約款の細かい条項を盾にして突き放してるのと一緒だよ。詐欺的な匂いがするね。
>ウィキペディアへようこそ ウィキペディアは誰でも編集できるフリー百科事典です
ウィキペディアへようこそ ウィキペディアは「基本方針に賛同していただけるなら」誰でも編集できるフリー百科事典です
に改編してからのたまってくれ。--219.211.122.141 2013年6月27日 (木) 04:05 (UTC)[返信]
ウオッチリストに入ってないと、こんな昔の井戸端に書き込んでも意味ないですよ。やるならTemplate‐ノート:メインページ/ようこそでどうぞ!--Vigorous actionTalk/History2013年6月27日 (木) 13:51 (UTC)[返信]
(追記)ちなみに、上記の話題の頃にはあなたが指摘しているような文面になっていました[3]が、上記改定時に文面が変更されています。--Vigorous actionTalk/History2013年6月27日 (木) 17:32 (UTC)[返信]

一部の人に有名な人物記事の作成について

一部の人に、有名な人物の記事を作成してもよいのですか?また、作成していい場合、どういったことに注意すればよいのでしょうか?初歩的ですみません。なお作成予定の記事は、密かにブームの「一本の鉛筆の向こうに登場する、黒鉛を掘る人」の記事を作りたいのですが。(人物名は伏せてあります) --私が田中の中の田中です 2009年4月15日 (水) 16:39 (UTC)[返信]

どんな情報源を参考にして書こうとしていますか?対象となる人物とは無関係の、信頼できる情報源でその人物について触れられていないと、なかなか難しいと思います(Wikipedia:特筆性Wikipedia:特筆性_(人物))。--ZERO 2009年4月15日 (水) 17:04 (UTC)[返信]
先に『一本の鉛筆の向こうに』あるいは『いっぽんの鉛筆のむこうに』を作成した方が良いかもしれません。少なくともこちらは共著者に谷川俊太郎がいることを考えても、特筆性・検証可能性があると考えます。--Himetv 2009年4月15日 (水) 17:13 (UTC)[返信]
その人物は一人の「黒鉛を掘る人」に過ぎず、「一本の鉛筆の向こうに」という文章の中で紹介されているだけなので、「一本の鉛筆の向こうに」という項目内で述べるのはいいかもしれませんが、その人物の単独項目は作らないほうがいいと思います。
「一部の人」について補足します。この文章は小学校の国語の教科書に収録されていた(少なくとも1996年時点では収録されていました。今も収録されているかどうかは知りません)もので、その教科書を使っていた人達の中で、覚えている人は知っていると思います(自分のクラスでは、その人物の名前の語感が面白かったのでちょっと はやったのを覚えています。今のブームは知りませんが)。--Widehawk 2009年4月16日 (木) 18:29 (UTC)[返信]

ストーリー紹介の在り方についての解説素案:私論から草案に進めたいのですが

井戸端での議論に端を発して行きがかり上私がまとめつつあった、利用者:Kojidoi/ストーリー紹介の在り方についての解説素案ですが、私としては編集に一区切りついたように感じており、この上は、正式なガイドライン化を目指して「草案」と昇格させたいと考えています。

ですが、具体的にどのような手順でそれを進めていけばよいのか、各種文書を読んでもいま一つ把握できません。早い話が、私が「これを草案とします」と宣言した段階で「検討中の草案」として認めていただけるのか、それとも何か別の要件があるのかすらよくわかりません。影響の及ぶ対象が多様なジャンル・媒体にまたがっているため、議論を特定のプロジェクトに押し込めるのも困難です。

そうこうしているうちにも、百科辞典的でないストーリー紹介は幅をきかせ続けています。

この手のことに経験のある方のアドバイスを切に求めます。よろしくお願いします。--Kojidoi 2009年4月16日 (木) 13:25 (UTC)[返信]

Wikipedia空間に内容を移動させて草案とし、「Wikipedia:お知らせ」で告知した後、宣言した期間の間で反対がなければガイドライン文書になります。以前管理者のひとりのBellcricket氏の会話ページでやり取りした内容[4]では、まあそんな感じですすめればいいようです。彼はそれ以外の方法は知らないようでした。自分が参加しているPJ:FILMと関係が深いので興味深い内容ですが、英語版のガイドライン文書であるen:Wikipedia:How to write a plot summaryとかぶっているので、それも参考にしてはいかがでしょうか。--Afaz 2009年4月16日 (木) 16:38 (UTC)[返信]
似たような(と私は考えていますが)事案としてWikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインがあります。ガイドラインの草案や私案として、名前空間に作成することには制限はないと思います。--春日椿 2009年4月18日 (土) 13:42 (UTC)[返信]

アドバイスありがとうございました。時間が空いてしまいましたが、当該記事を移動させてWikipedia:ストーリー紹介の在り方についての解説素案としました。--Kojidoi 2009年4月29日 (水) 12:28 (UTC)[返信]

現時点で特に追加のコメント等はいただいておりません。今週末(5月17日)までに異議が出ないようでしたら試験段階の草案に移動させたいと思います。--Kojidoi 2009年5月10日 (日) 03:21 (UTC)[返信]

記事の改行に関して

よくwikipediaを編集・閲覧するのですが、文章の改行を無くす事について質問があります。例えば

あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをんあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん

あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん

のような文章があったとしたら

あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをんあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをんあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわをん。

とする事(利用者?)はどうなんでしょう?記事の冒頭の方にあったならまだしも、長文の記事の場合は、閲覧する方にとっては前者の方が見やすいですし、編集する方にとっても容易に箇所を見つけやすいと思います。また何故、後者のようにするのか理由が分かる方は教えて下さい。--心日和 2009年4月17日 (金) 12:56 (UTC)[返信]

以前Wikipedia:1文だけの段落を作らない(拘束力なし?)というものがあったのですが、ひょっとするとそれを遵守するためかもしれません。具体例を見ていない(私はそういう編集には出くわした事がない)ので何とも言えませんが、もし無益(or有害)な編集を繰り返している人が目に付くならば、会話ページに苦情を送ってみてはいかがでしょうか。--Five-toed-sloth 2009年4月17日 (金) 17:54 (UTC)[返信]
Wikipedia:スタイルマニュアル#段落に、「長すぎる段落も、短すぎる段落も読みにくいものです。文章の意味内容を考慮した上で、長すぎる段落を区分けしたり、短すぎる段落をまとめたりすることも検討してください。」とあります。ですからケースバイケースではないでしょうか。1文だけの段落が禁止されているわけではありませんし、特に目立たせたいような重要な記述であれば1文でもよいかと思います。その一方で、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるという文書もあり、関連のある複数の文章をまとめて1段落にするということは推奨されている行為です。Five-toed-slothさんのおっしゃるように具体例を拝見しなければなんとも申し上げられません。--長月みどり 2009年4月17日 (金) 18:38 (UTC)[返信]
具体例等なく質問してしまい申し訳ありません。。例の1つとして挙げられるのはこちら(自分が立項した記事なので…)このような場合は記述している内容が違うので自分としては前の版の方が見やすいと思うのですが(あくまでも主観的な意見ですが)、他にもこのような事を行っている利用者が結構居て、長月みどりさんが仰るように「関連のある複数の文章をまとめて1段落にするということ」は賛成ですが前述の通り、明らか(?)に関連性のない文章を無理矢理つなげるのもいいかがなものかと思います。で、わざわざ貴重な時間を割いてのご回答ありがとう御座いました。自分がガイドラインを詳しく読んでいれば、このような質問もなかったのですし次回、井戸端などのページを利用する場合はガイドライン等をもう一度、熟読した上で解決出来なかった場合に利用します。(当たり前ですが・・・。)--心日和 2009年4月17日 (金) 19:43 (UTC)[返信]
「一文だけの段落を作らない」というのは欧米語の文書術では意識されることが多いようです。私自身は、英語のライティング・コースではっきりそのように教えられました。日本語でも学術論文などはこの原則を比較的守っていると思いますし、新聞記事などもそうなっているのではないでしょうか。しかし、日本語の小説や実用書などでは一段落一文はまったく珍しくなく、文章を読みやすくする配慮として積極的にそうする方が多いのも確かな話です。
Wikipediaとして考えた場合、やはりある程度の格調は保っていただきたいですから学術論文に順ずる文書スタイルでやっていただきたい。つまり、一段落一文は避けていただきたいなと考えます。心日和さんが例としてあげられた記事についても、そこで段落を切る人がいてもおかしくないとは思いますが、「見易さ」以外の切る理由が無いなと思いました。そういう場合は切らないほうが良いです。あくまでも個人的な意見ですけれど。--おーた 2009年4月18日 (土) 02:10 (UTC)[返信]
百科事典としては学術論文に沿った文章スタイルの方が見栄えもよくなりますし、一段落一文は極力避けるようにし、「関連性」「見やすさ」を配慮して編集を行いたいと思います。わざわざ回答ありがとう御座いました。感謝です。--心日和 2009年4月18日 (土) 08:39 (UTC)[返信]

半保護の方針なんて誰も守ってないのでは?

Wikipedia:半保護の方針ですが、一般利用者はともかく、特に処置するWikipedia:管理者はちゃんと読んで守るつもりがあるんだろうか?といつも感じています。

公式の方針にも関わらず「 半保護とその解除 」の1−3を読んでも、現状と照らし合わせてみて、 どれひとつとしてまともに遵守されているものはなく、誰も遵守するつもりもないように見受けるのですが、どう思いますか?

例をあればきりがないでしょうが、たとえば、Wikipedia‐ノート:管理者でも、Wikipedia‐ノート:管理者#2005年12月の編集保護で、なんかWikipedia:半保護の方針を読んでもいないような数名の間で適当な会話がかわされてその後ずっと半保護になりっぱなしのようですが、こういうのがちょっと多すぎやしませんか?これは保護解除依頼を出せば良い、という個別の問題ではなくて、そもそもの半保護というルールの運用が方針から読み取れる基本精神から逸脱して運用されている実態が問題であると考えます。--Diverdown 2009年4月17日 (金) 23:48 (UTC)[返信]

本当にまるで遵守されていないのであれば、むしろ方針の改定を考えるべきところでしょう。もっとも、ここで挙げられた事例は現方針の1.に当てはまるものと思います。また、半保護して欲しいと求められた際、管理者が方針上できないとして見送る事例も珍しくないことで、方針は全般に遵守されていると感じます。 -- NiKe 2009年4月17日 (金) 23:58 (UTC)[返信]
まあ、管理者の方針も守れずに、あらゆるルールを脳内拡大解釈し、暴走し、あげくのはてに解任されたあなたにはそうみえるのは当然でしょうね。現方針よりも現状の運用のほうが正しいという前提で、方針の改訂を考えるべきという主張も、自分ルールを常に押し付けてきた過去の言動からみてもまあ当然なんでしょう。遵守されているといういうのであれば、ここに挙げた例だけでも良いので、いったいどこに「深刻な荒らし被害」とやらがあったのか、その「明確な証拠」を出してもらえますか?履歴をみてもまったく意味がわからないので、こういう問題提起を出しています。
『また、現・管理者に否定的な外部サイトの記載にこだわる執筆者が出てきそうなので、「Wikipedia:管理者」を半保護にすることを提案します』[5]この一文章だけを読んでみても、「荒らされるかもしれないページを先制して半保護してはいけません。」「半保護は一部のユーザーの編集のみを禁止するため、編集合戦、差し戻し合戦などの、論争を伴う事態への対処として適当ではありません。」というルールを読んでいるとも思えないし、そういうノリで適当にやっちゃってよし、でも「方針は全般に遵守されていると感じます」と平気でいってしまえる人が多そうなんで問題提起しました。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 00:28 (UTC)[返信]
おや、どこかでお会いしましたっけ? あなたのユーザ登録は数日前のようですけど、キャリアは長いようですね。 -- NiKe 2009年4月18日 (土) 00:32 (UTC)[返信]
本論について、ルールを濫用してきた当事者批判は本論にそっていますが、個人のユーザ登録、会った会わないなんて関係のない話は別のところでしてください。それよりも遵守されているといういうのであれば、ここに挙げた例だけでも良いので、いったいどこに「深刻な荒らし被害」とやらがあったのか、その「明確な証拠」を出してもらえますか?履歴をみてもまったく意味がわからないので、こういう問題提起を出しています。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 00:38 (UTC)[返信]
確かに半保護の方針は守られていないこともあるように感じます。IPユーザがかかわっていると編集合戦でも半保護されてしまうケース(徳川家康)もありました。これは「深刻な荒らし被害」ではなく「論争を伴う事態が起こっている」ので編集合戦だと感じました。現在は意見もまとまっているようですが保護解除依頼されていないため半保護されたままです。こうなるとIPユーザは保護解除依頼できませんし、編集合戦にかかわったログインユーザは影響を被ることがないため積極的に保護解除依頼しないでしょうね。こういうことを防ぐためにも(無期限の)半保護は軽々しく行うべきではないと思います。--えむかとー 2009年4月18日 (土) 09:37 (UTC)[返信]
ほんの1年前まではIPユーザでも問題なく解除依頼できました。この制約が加えられたのは最近のことです(Wikipedia‐ノート:保護解除依頼#IPユーザーからの依頼参照)。深刻な問題と思われるのでしたら、この制限の解除を提案してはいかがでしょうか。もっとも、そのノートにあるように、無責任な“解除依頼”が多発したという原因あってのことですから、合意を得るのは簡単ではないかもしれません。 -- NiKe 2009年4月19日 (日) 00:49 (UTC)[返信]
IPの非ログインユーザとログインユーザのあいだの編集合戦では、一方的にIPユーザのほうが荒らしだとレッテルを貼って、ログインユーザが半保護依頼して優位に事を運ぼうとするケースが多いですね。その辺は半保護の方針できっちり牽制され抑止しようとしているのですが、読んでいても都合が悪いのか遵守するつもりがない人が多いようです。IPユーザは可変IPで投稿したとたんに荒らしだからと半保護してもよいと考える人も多そうですが、ログインユーザであってもアカウント切り替えられることは同じで、多くの場合、半保護しておいて、ログインユーザがやりたいようにやってもなんのおとがめもなし、方針不理解の処置をした管理者(徳川家康の場合は利用者:Chatama氏)も方針勘違いしたまま、というのが現状のようです。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 09:55 (UTC)[返信]
表題 半保護の方針なんて誰も守ってないのでは? および どれひとつとしてまともに遵守されているものはなく、誰も遵守するつもりもないように見受ける ですが、まあ、誤りですよね。言葉は正しく使われたほうがよろしいでしょう(全ての管理者について 遵守するつもりもないように見受ける ような例示ができるのかしらん。少なくとも私は管理者だった頃には方針外の半保護をした覚えはないんですけれども)。
まあ、Wikipedia‐ノート:管理者の例については、半保護はナンセンスだとおもいますけどね。ノートの半保護を行うのはよほど酷い荒らしが出現したときだけでいいですよね(私の記憶にあるのはWikipedia‐ノート:管理者の解任とかWikipedia‐ノート:投稿ブロックの方針/改定案に出現したLTA:FXSTだけかな)。ということで、Wikipedia‐ノート:管理者の解除依頼は出しておきます。
というか、Wikipedia:半保護の方針をご覧になったようですけれども、私が今ちょうどWikipedia‐ノート:半保護の方針#半永久的な半保護の方針追加についてにて、Diverdown 氏が問題にされている 現方針よりも現状の運用のほうが正しいという前提で、方針の改訂を考えるべきという主張 を行い、方針の追加提起をしている(私のやっていることは要するに方針と運用のすり合わせですから)のですから、そちらに来て意見を頂ければよかったのですが。一応今までに異論は出ていませんので、このままですと明日にも方針に追加することになりますけれども。
--co.kyoto 2009年4月18日 (土) 11:47 (UTC)[返信]
表題について「見受ける」というのは私という一個人の限られた観察によるPOVであり、その上でこの井戸端にて広く他の利用者のPOVを募集しているということになります。「私はこう感じるが、あなたがたはどう思うか?」という文脈において、言葉の使いかたが正確でないという批判は妥当性はないし、管理者当事者として、私は守っていましたよ、とおっしゃりたいのであれば、それは結構、しかし大局、趨勢として、それは例外的に思えるので、こういう問題提起なんですよ。すべての例外を排除して、事実としてこうだ、ということは非常に難しいですが、常識的にそんなことをこの節でとりあげているのではないのは誰の目にも明らかなはす。それを踏まえた上で、「誰も、どれひとつとしてまともに遵守するつもりがないように見受ける」とう私のPOVは意見としてあくまでも維持します。「現方針よりも現状の運用のほうが正しい」という前提というのは、どこにも合意のない共有されていない概念であり、その説明を加えた上で、Wikipedia‐ノート:半保護の方針#半永久的な半保護の方針追加について明確に異論、反対意見の表明をしておきました。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 12:29 (UTC)[返信]
もちろん悪魔の証明のことはご存知かとおもいます。あなたは 誰も、どれひとつとしてまともに遵守するつもりがない と主張されており、方針を遵守している管理者は 大局、趨勢として、それは例外的に思える と仰る。ですから、もちろん 誰も、どれひとつとしてまともに遵守するつもりがない というに足る根拠を主張できるのでしょう? 「全ての管理者について 遵守するつもりもないように見受ける ような例示ができるのかしらん」というのはそういうことですよ。なんなら「ごく一部の例外を除きほぼ全ての管理者について 遵守するつもりもないように見受ける ような例示ができるのかしらん」と言い換えても構いません。
(念のために解説しておくと、「ほとんど全ての管理者が方針を遵守しない」ことを積極的に証明するには、それぞれの管理者について方針にそぐわないオペレーションを一例でも提示すれば足ります(その一例をもって直ぐに「方針を遵守しない」とコミュニティが認めるかはひとまずおく)が、「ほとんど全ての管理者が方針を遵守する」ことを積極的に証明するには、全ての管理者の全てのオペレーションについて妥当性を証明しなければなりません。後者が現実的ではないことは明らかでしょう)
根拠はないが自分のPOVとして 誰も、どれひとつとしてまともに遵守するつもりがない という意見を維持するのは構いませんが、根拠もなく他者を批判するのはどうかと、私はおもいますけれども、まあ、あなたは私ではないのでお好きにすればよいでしょう。
あ、半保護方針ノートの方はむこうにレスしましたので、これ以降はむこうでやりましょうね。
--co.kyoto 2009年4月18日 (土) 13:05 (UTC)[返信]
ですから「誰もXXXXなんてしていない」なんていう日本語の慣用句について悪魔の証明だの使い古された議論をするつもりなんて毛頭ありません。「誰も道路交通法の速度制限なんて守ってなんかいないよ。」という常套句について、でも一人くらいはいるだろう、俺は守っているよ、だからおまえの言葉は正確ではない、根拠もなく他者を批判するのはどうかと、という不毛な指摘ですね。何の結論にも行き着かないくだらない揚げ足を取りにすぎない。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 13:11 (UTC)[返信]
え? あなたは「そもそもの半保護というルールの運用が方針から読み取れる基本精神から逸脱して運用されている実態が問題であると考えます」と最初に仰っていますよね。そういう実態があれば問題でしょうが、そもそもその実態は存在するんですか、その実態が存在するという根拠を示せるんですか、と訊いているんですけれども。「誰も遵守するつもりもないように見受ける」というのは、その「実態」を表現したことですよね。それについての根拠を訊いているのに、そこは慣用句常套句なんですか?
あなたのPOVはいいんですが、私にはそのPOVはナンセンスに見える。ですから疑問におもった私が、そのPOVについて根拠を示せるのか、と尋ねているのですが、どうして単純に根拠を示して頂けないのでしょうか。
あと、その例示は誤っています。私が言っていることをその例に変換すれば「私は守っていたし、加えて、あなたは「誰も道路交通法の速度制限なんて守っていない」という根拠を示していません。根拠を示さずに他者を批判するのはどうかと」です。また、「誰も道路交通法の速度制限なんて守っていない」ことは日常の経験がありますから大方の日本人は同意するでしょうし、争点にしてもしかたない不毛な指摘ですが、「誰も半保護の方針を遵守するつもりもないように見受ける」というのは、大方のウィキペディアンが同意する、争点にしても仕方ない不毛な指摘なのでしょうか、私にはそうは思えませんが。まあ、例示については話がそれていくだけで無駄なので別にレスいらないです。
「誰も半保護の方針を遵守するつもりもないように見受ける」というのは争点としてここに出しました、それとあなたの慣用句に対する悪魔の証明だのくだらない揚げ足取りのナンセンスさとは論点が異なります。あなたのPOVを出すのは構わない、しかしそれ以前に私のPOVを出した訳で、それに同調するコメントはすでにひとつあったわけですね。争点についてはおおいに議論してもらうのは本望ですが、言葉の正確さがどうだの、本論でないことはどうでもよいです。根拠を示せるのか?実態は存在するのか?と否定したいのであれば、そうすればよい、私は少なくともひとつ例をあげてそれについて実証的に説明しています。あとレスだのネラーまるだしの厨房みたいなやりとりは勘弁してもらえますかね?--Diverdown 2009年4月18日 (土) 14:04 (UTC)[返信]
「誰も半保護の方針を遵守するつもりもないように見受ける」という争点に対して「少なくともひとつ例をあげ」ただけで「実証的に説明」したつもりになっていらっしゃったんですか。でしたら、私は「議論の提起者が「誰も半保護の方針を遵守するつもりもないように見受ける」という争点に対して必要なだけの根拠を示せておらず、これ以上の根拠を提示するつもりもないようであるから、話にならない」という意見を提示し、ここからは離脱させていただきます。あとはよしなに。--co.kyoto 2009年4月18日 (土) 14:18 (UTC)[返信]
では、あなたのWikipedia‐ノート:半保護の方針#半永久的な半保護の方針追加についてにおける「現方針よりも現状の運用のほうが正しいという前提で、方針の改訂を考えるべきという主張 」なんてもんも、その前提となる「現状の運用」なるもんは実証的に定量的に示して、争点に対して必要なだけの根拠をあげた上で議論がはじまってるんですか?話にならないですね。あなたがいうところの「現状の運用」って一体なんですか?擦り合わせって何?しょせんPOVでしょう。こういう不毛な議論をしようと思ったら誰でもできるわけで、そういうのをくだらない揚げ足取りだと指摘しています。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 14:25 (UTC)[返信]

(報告)この節にさきほど出てきたLTA:FXSTにおいて、この節の徳川家康の不公正な半保護ルールの適用の当事者として名前がでた利用者:Chatama氏が私の利用者名をそのページに追加した行為について、いやがらせあるいは報復行為としてRVしておきました。念のため。--Diverdown 2009年4月18日 (土) 13:52 (UTC)[返信]

既にDiverdown氏は『FXSTのソックパペットの疑い』を理由に無期限ブロックされましたが、後で御覧になる方が誤解されぬよう、事実関係について指摘しておきます。Diverdown氏が自身で提示されたWikipedia‐ノート:管理者#2005年12月の編集保護で正に述べられている通り、2005年12月後半にはWikipedia:管理者およびWikipedia‐ノート:管理者は酷い荒らし投稿が数回に渡って行われています。ノートの半保護が未だに解除されていないのは確かに問題ですが、変動IPによる荒らしが続いていたのですから、この時点での半保護は適切な措置でした(今なら広域ブロックで対処したでしょう)。 -- NiKe 2009年4月19日 (日) 00:49 (UTC)[返信]

追記。Diverdown氏に言わせると「履歴をみてもまったく意味がわからない」そうですが、該当ページの履歴を見れば荒らし投稿とその差し戻しはすぐに見つかります。 -- NiKe 2009年4月19日 (日) 00:55 (UTC)[返信]

俺にはそのログを見る限りNiKe氏も編集合戦の片棒を担いでたとしか思えんな。そーゆー意味でDiverdown氏が「履歴をみてもまったく意味がわからない」っつーのは理解出来そうなもんだが。その状態で今なら広域ブロックで対処とか油を注ぐような発言はいかがなものかと。ブロックする前になだめるなり少しぐらい対話したりしたらどうかね?すぐさま保護・ブロックなんてサルでも出来よーに。
こーゆーところに新規ユーザ、IPユーザ軽視めいたものを垣間見るんだよな。他の議論じゃ学生差別めいたものもあるし、ここのユーザはいちいち人を下に見ないと自分を誇示できないのかね?--74cc1664d58f0ed3e0b34701b528e1ab 2009年4月24日 (金) 15:42 (UTC)[返信]

フクロモモンガダマシの履歴に関して

フクロモモンガダマシが英語版からの翻訳で、あまり意味が通った文章には思えなかったので、編集しようと思ったのですが、履歴[6]に疑問を持ちました。翻訳元とされる英語版を一応参照しようとしたのですが、

((en:Leadbeater's Possum 11:07, 17 January 2007 by Mokgen,Longhair,UtherSRGより翻訳))

参照元とされる、この版が見つかりませんでした。英語版の履歴[7]。ユーザーのMokgen氏、Longhair氏も見つからず。どのようにすればよいのでしょう?--Yabby 2009年4月18日 (土) 16:53 (UTC)[返信]

記事の内容が英語版を元にしたと思われる内容ならば、要約欄の記述不備(履歴不継承)でGFDL違反になるので、削除依頼が妥当かと。--EULE 2009年4月19日 (日) 07:37 (UTC)[返信]
en:Talk:Leadbeater's Possumの履歴の方を間違えて参照してしまったみたいですね。--Aotake 2009年4月19日 (日) 09:08 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/リードビーターWikipedia:削除依頼/フクロモモンガダマシおよび関連するノートなどを見ると、ややこしい経緯があるようです。--Ks aka 98 2009年4月19日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
なにぶん前のことでよく覚えていないのですが、ご指摘の削除依頼では、英語版に相当する版がないことに触れられた形跡がありません。そのことに私も含め誰も気がつかなかったのかもしれません。--Su-no-G 2009年4月19日 (日) 13:14 (UTC)[返信]
削除依頼に関する議論をフクロモモンガダマシのノートでした方がいいでしょうか?(削除依頼はしたこともヘルプを読んだこともありませんが...)
内容ですけれども、機械翻訳を使った疑いもあります。試しに履歴前後の日時の記事をネットで機械翻訳してみたところ、同じような翻訳ミスがありました。Mountain Ashをナナカマドと訳すなど(英語版をきっちり読めば、Mountain Ashはユーカリであることが分かります)
GFDL的に大丈夫な機械翻訳ソフトを使っているのかもしれませんが。--Yabby 2009年4月19日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
利用者:7777shark氏の編集を確認してみたのですけれど、フクロモモンガ科フクロモモンガフクロモモンガ属などでも、機械翻訳らしきものを使用した翻訳のようです(全く意味が通らない文章が多数)。意味の通った文章に直したいと思うのですが、直したところでのちのち「初版に著作権違反の疑い有り」- 削除、などとなっても嫌です。このようなのはどうしたらよいのでしょうか。--Yabby 2009年4月20日 (月) 10:57 (UTC)[返信]

(インデント戻します)当時の削除依頼に関わった者です。「フクロモモンガダマシは一度英語版からの翻訳によるGFDL違反で削除、英語版から翻訳されたと要約欄に記述がありかつ内容が重複していたリードビーターをフクロモモンガダマシに改名」したのだと思います。 私も追記を行いましたが、削除されるとのことであれば反対はありません。(リードビーターやフェアリーポッサムなどの有用性がないリダイレクト先になっているので、それらも含めての削除を希望)またフクロモモンガダマシについて記述された複数の書籍を所持しておりますので、仮に削除しても私が再作成することは可能です。ただ以前にフクロモモンガダマシが削除された際にも申し上げましたが、フクロモモンガダマシのノートにある議論はウィキプロジェクト:生物において記事名のガイドを改めるきっかけになった議論がありますので何らかの形で保存頂ければ幸いです。--Moss 2009年4月20日 (月) 16:17 (UTC)[返信]

フクロモモンガダマシに関しては「要約欄の記述不備(履歴不継承)でGFDL違反」で削除依頼、フクロモモンガ科フクロモモンガ属フクロモモンガの3記事に関しては、続行でいいのでしょうか?--Yabby 2009年4月21日 (火) 00:29 (UTC)[返信]
後者の3記事に関しては、あくまで翻訳機の問題だけであるなら、それを適切な日本語に直すだけで良いでしょう。フクロモモンガダマシに関しては、削除依頼を出して然るべき措置が行われた後に、新規記事として再作成(それを行うのはYabby氏かMoss氏かわかりませんが)。あとはMoss氏がおっしゃるように、ノートの内容をどこに残すかを議論すれば問題無いかと。--EULE 2009年4月21日 (火) 15:07 (UTC)[返信]
Wikipedia:翻訳のガイドライン#機械翻訳にはGFDLに適合しない場合がある諭旨が書かれていたので、不安がありました。削除依頼を出そうと思うのですが、その前に、Mossさんが書いておられる、ノートの保存の件ですが、これはフクロモモンガダマシが削除されると、一緒に削除されてしまうのでしょうか?--Yabby 2009年4月21日 (火) 21:49 (UTC)[返信]
記事が削除されてもノートが一緒に削除されるわけではありません。むしろ削除されるほうが稀です。そこは心配ご無用です。--Su-no-G 2009年4月22日 (水) 03:21 (UTC)[返信]
フクロモモンガ科フクロモモンガ属フクロモモンガ についてざっと眺めましたが、7777sharkさんのご投稿について機械翻訳とは感じられませんでした。生物学用語の日英対応は私には分かりませんので、専門用語の訳を得るにあたり翻訳サイトが使われた可能性はありますけれど、削除の方針に触れるレベルではないとみます。もしも不安であれば、現在の内容をまるで継承しない全面改稿を行っておけば、あとから問題になった場合でも改稿前の版を特定版削除するだけですみます(今回はその必要もないと思います)。--Su-no-G 2009年4月22日 (水) 03:21 (UTC)[返信]
機械翻訳と感じられなかった理由は「機械翻訳はもっともっとひどいです」ということに尽きます。今回は翻訳に慣れていない人力による翻訳と見えました。--Su-no-G 2009年4月22日 (水) 03:24 (UTC)[返信]
機械翻訳である誤訳がいろいろとあったので、疑問に思ってしまいました。読める形に改訂していきたいと思います。
いろいろとアドバイスありがとうございました。削除依頼似て、削除依頼を出しました。ヘルプを観ながらやってみましたが、なにぶん初めてですので、不手際がありましたら申し訳ございません。--Yabby 2009年4月24日 (金) 10:27 (UTC)[返信]
Wikipedia:削除依頼/フクロモモンガダマシ090424により、フクロモモンガダマシを削除しました。以後の執筆はよろしくお願いします。--Kinori 2009年5月7日 (木) 11:37 (UTC)[返信]

引用・脚注エラーが出てしまいます

ページの中に引用・脚注タグを用いようとしたのですが、

引用エラー:
<ref> タグがありますが、<references/> タグが見つかりません

と云うメッセージが出て來て了い結局、引用を用いた編輯を諦めました。どのように記述したら上手く引用・脚注表示が出來ますでしょうか。(具体的なページは[[8]]です。)初歩的な問題かとは存じますがどうぞ、御教授戴けましたら幸いです。--Sandra-horn 2009年4月20日 (月) 04:52 (UTC)[返信]

そこに書かれたように、<references/>がないからです。適当な場所に==脚注==(ここで改行)<references/>などを挿入してください。 kyube 2009年4月20日 (月) 05:11 (UTC)[返信]
補足しますが、Help:脚注に詳しい脚注の記述方法がありますので、お読みください。--Shadow ump 2009年4月20日 (月) 05:15 (UTC)[返信]

インデントを戻します。無事に、解決致しました! ありがとうございます。--Sandra-horn 2009年4月20日 (月) 05:44 (UTC)[返信]

「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」の範囲について

ノート:マリア様がみてるで議論になっているのですが、フランス語の簡単な文法についての解説はWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料にある「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」に該当するのでしょうか。--Personofedo(会話/履歴) 2009年4月20日 (月) 10:03 (UTC)[返信]

当該の記事、ノートを拝見しました。独自研究云々は判断しませんが、純然たるフィクションにわざわざ「現実との相違点」という節を設けて文法上の誤りなんかを記述するのは、個人的には野暮の極みだと思います。その作品での用語と楽しめばいいんんじゃないかなと。フィクションでは造語や他国語言語としておかしい表現はいくらでもあります。架空戦記のようにある程度史実(現実)をベースにしたフィクションだと、「現実との相違点」という解説も有用かと思いますが。--光舟 2009年4月20日 (月) 10:46 (UTC)[返信]

該当ノート、拝見しました。フランス語の文法て、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」とはいえないと思いますが。無論、フランス語文法の解説と合わせて説明されてなお、理解できないと言うわけではありませんが、そうまでして『現実との相違点』とやらを追求してみたところで、作品の理解には寸毫も益のない事と思います。--61.124.7.200 2009年4月20日 (月) 12:09 (UTC)[返信]

歴代優勝者の記述について

各ゴルフトーナメントに於いて歴代優勝者の項目を見ていくと、第1回が下にもっていくような記述になっています。その一方で、競馬やマラソンなどほとんどのスポーツの項目では第1回を上にもっていくような記述となってます。ゴルフの項目でこのような編集を行ったGentle-teaさんの主張(利用者‐会話:Gentle-tea及び利用者‐会話:Mee-sanを参照)によると、英語版やLPGAの公式サイトでは第1回を下にもっていく記述をしているのでそのように変えたと言っています。確かに、これらを見た限りではそのようになっていました。しかし、ほとんどの項目で第1回が上にもっていく中で、ゴルフだけがそのような書き方になっているようでは違和感があります。第1回を上に持っていくか下に持っていくかは統一する必要があるように思いますがいかがでしょうか?--Juiceapple 2009年4月20日 (月) 12:05 (UTC)[返信]

こんばんは。私もGentle-tea氏がそのように仰っていたためそうなのかな、と思っていました。しかし、現在はGentle-tea氏は無期限ブロックされており、彼の意見を聞くことはできないのでここは他の利用者の皆様の意見に任せたいと思います。ただ、第1回目を上にもっていくと判断された場合にまた修正しなくてはならないのでその辺はどうなのかなとは思います。また私からも皆様に伺いたいのですが、ミズノクラシックなどでは優勝者の欄にいちいち賞金総額や優勝賞金を記載していますがこれは必要なのかどうなのかも判断して頂ければ幸いです。--Mee-san 2009年4月20日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
Help:表の作り方#再整列可能な表はいかがでしょうか。構造を統一したければテンプレートにするといいでしょう。--Selcitraxif 2009年4月20日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
Selcitraxifさん、ご教示いただきましてありがとうございます。結論が出次第、修正しようと考えております(ただ回数の浅い大会については使わなくても何とかなるとは思います)。--Mee-san 2009年4月22日 (水) 10:08 (UTC)[返信]

参考文献が挙げられている転載について

先日作成された生物関連の記事に参考文献が挙げられているものの、参考文献の記述を多々そのまま転記(私もその書籍を所持していたので転記だとわかりました、記事内には句読点や漢字、表現などがそのまま転記されている文が散見されます)されているのですが、こういった事例は著作権侵害にあたるのでしょうか?--Moss 2009年4月20日 (月) 16:17 (UTC)[返信]

見てみないとわかりませんが、その転記部分が、単純な事実の説明としてありふれたものだったりするのでなければ、別の書籍などからの転記であってウィキペディアへの投稿者によるものではないということが明らかにわかるようになっていなければ、類型的な著作権侵害となっていると考えられると思われます。--Ks aka 98 2009年4月20日 (月) 16:55 (UTC)[返信]
私が発見した例ではWikipedia:削除依頼/『日本合戦事典』からの転載が疑われる記事がありました。参考文献が明記されていたものの、その参考文献の当該記事のほぼ全文が転載されていたため著作権侵害の恐れは免れない状況でした。参考文献が明記されているかどうかに関わらず、ケースバイケースで判断されるべきものと思われます。--まさふゆ 2009年4月20日 (月) 20:34 (UTC)[返信]
著作権法との関係で一般的に認められる引用の範囲と考えられるのか、Wikipedia:引用のガイドライン/草案あたりも参考になると思います。(明瞭区別性)記事本文と被引用文を明瞭に区別して認識できることのように引用であると分かるように書いてくれればありがたいのですけどね。--Inoue-hiro 2009年4月20日 (月) 22:30 (UTC)[返信]
Mossさんのここでのご指摘の内容では著作権侵害が疑われても仕方が無いような記述のように拝見いたします。しかしながら、Ks aka 98さんやまさふゆさんのご指摘のように、明確な判断を下すには、具体的にその記事と参考文献を見比べる必要があると存じます。したがって、その疑いの程度によって、その記事のノートでの議論、Wikipedia:著作権問題調査依頼Wikipedia:削除依頼などで個別案件として検討すべきものと考えます。--Janus01 2009年4月20日 (月) 22:47 (UTC)[返信]
僕もいくらか発見してます。たとえば、オオノスリに含まれる文章の一部は「日本動物大百科 第3巻 鳥類Ⅰ」と同じ文章を含みます。参考・引用と言うよりは、文章の一部を抜き出して、コピーしているかんじです。ニホンイタチ(これは東海大出版の日本の哺乳類)、シロハラウミワシ(個人のサイトから)など多数あります。文章が全く同じにならないよう、気をつけている感はありますが、似ています。--Yabby 2009年4月21日 (火) 00:03 (UTC) 訂正--Yabby 2009年4月21日 (火) 00:32 (UTC)[返信]
オオノスリ、ニホンイタチ、シロハラウミワシおよび私がこの問題を提起するきっかけになったセーシェルチョウゲンボウ(参考文献だとセイシェルチョウゲンボウ)なのですが、全て同一ユーザーによって作成された記事でした。精査すればさらにあるのかもしれません。例としてセーシェルチョウゲンボウでは「幼鳥はメスに似るが、下面全体に黒褐色の縦斑がある。熱帯雨林、二次林、農耕地に生息する。メンフクロウに占拠されてしまい、教会の塔や人家の出窓などが主な営巣場所となっている。」などの記述(スペースの関係上、原文のままの記述を全て載せてはいませんし、2つの原文を繋いだような記述もあります)が本文のままです。--Moss 2009年4月21日 (火) 13:58 (UTC)[返信]
この件ですが...他の方の投稿でも、まずいんじゃないかと思われる記述が多数見受けられます。正直、精査すれば、かなりの量が出てくるんじゃなかろうかと思うんですが。
最近削除依頼を一件出しましたが、慣れない身にとっては、数者に渡る数件の著作権調査依頼、削除依頼などは、フクザツで戸惑っています。見なかったことにしようか...?--Yabby 2009年4月25日 (土) 10:08 (UTC)[返信]

協力者・社から買収した写真や項目等の著作権について

プロの写真家から著作権も何もかも全部丸々買い取った写真と、論文や報道記事からフィクションまであらゆる形式文を書きこなす才能ある知人のライターに作業料払って同じように買い取った項目は私の作品としてここで扱ったり、他の自作サイトなどで私の作品として紹介してもよろしいですね?--59.159.236.8 2009年4月21日 (火) 23:22 (UTC)[返信]

Wikipedia外についてはこの場では言及せず、またあくまで仮定の話としてコメントします。まず写真(画像)についてですが、著作者人格権は一身専属で、これには氏名表示権も含まれていますから、「自分のものとして」公表するのは控えたほうがよろしいかと思います。次にライターの書いた文章ですが、これはどちらかというとウィキペディアは演説をする場所ではありません検証可能性独自研究は載せないあたりの方が問題になるかと。即ち、Wikipediaが一次発信源となるような投稿は方針により排除されます。-- 2009年4月22日 (水) 00:06 (UTC)[返信]
ゴーストライターに書いてもらって本を出版する、というのはよくある話だと思います。そういった作品を自分の作品として、Wikipediaの記事内や自作サイトでご自分の項目で紹介・列挙する事自体は問題ないのではないかと思います。ただ、本の中身をつらつらと書いていいかというとそれは郁さんの指摘されている点で問題がありますので、控えた方がよろしいかもしれません、--草薙 2009年4月22日 (水) 01:47 (UTC)[返信]

商品名の説明に®は必要ですか?

カップヌードルのページの本文説明に「カップヌードル®(Cup Noodle)とは、日清食品株式会社1971年(昭和46年)9月18日から発売しているカップ麺の名称」とあるのですが、この「®」は必要でしょうか? もし登録商標ということで必要ということであれば、他の商品名を定義解説したページもそれにならわなければならないと思うのですが、諸兄のご意見をお聞かせください。218.222.80.182 2009年4月22日 (水) 20:02 (UTC)[返信]

商標の表記に関する日本語版での取り決めは無いと思います。英語版には en:Wikipedia:Manual_of_Style_(trademarks) というスタイルマニュアルがあり、文脈上で一般名詞等と区別する必要がある場合を除き、「R」や「TM」は表記しないことになっています。この基準に倣うならば、カップヌードルの冒頭文には特に必要無いでしょう。- NEON 2009年4月23日 (木) 02:40 (UTC)[返信]
Wikipedia:免責事項に「R」や「TM」は省くことが書かれています。--Afaz 2009年4月23日 (木) 03:18 (UTC)[返信]
免責事項の記述には気付きませんでした。ありがとうございます。- NEON 2009年4月23日 (木) 05:34 (UTC)[返信]
Wikipedia:免責事項はウィキペディアのコンテンツの利用者に向けた文書であり、執筆者側のリスクを軽減する目的があるにすぎないものですから、商標表示を不要とする根拠を免責事項に求めるのは危険であると思います。免責事項には、記事の正確性を保証しない旨の記述がありますが、執筆者としては記事の正確を期さなければならないことは言うまでもありません。--ZCU 2009年4月23日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
他の方が回答されているように、「R」マークは不要だと考えます。そもそも、商標登録制度は国ごとに存在し、その商標が登録されているか否かは、国ごとに異なる事情です。したがって、特定国中心の記載をしないウィキペディアの原則にたてば、冒頭文には記載すべきではない情報ということになるでしょう。
ただし、商標を、普通名称であるかのように誤認させるような表現は絶対に避けるべきです。場合によっては、商標権者から修正の依頼が来ることも(世の中では)あります。商品名であれば商品名であることを文中で明記するか、文脈上それが明らかとなるような表現を工夫することが必要でしょう。--ZCU 2009年4月23日 (木) 13:49 (UTC)[返信]
質問をした者です。回答を下さった方、ありがとうございます。みなさん、「不要」という意見なので、該当ページからその部分を削除しました。なお、該当ページにこの商品名が登録商標であることは記事中に明記されていたので、「®」の削除は問題はないと判断しました。218.222.43.89 2009年4月23日 (木) 18:14 (UTC)[返信]
皆さん今日は、私も218.222.80.182様がお持ちだった疑問と少し似た経験があり、以前に他の記事名で「®」が使われていて、その時から気になっていました。この項を読んで必要性を感じ、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ8#トレードマーク、商標で考慮すべきガイドラインに加えるよう提案しました。ご意見がございましたら、そちらに戴きますようお願いします。--Tosaka 2009年4月23日 (木) 20:50 (UTC)[返信]

Need a Japanese Graphic Lab

 
日本語版利用者のみなさん、私たちは日本語版のGraphic labが必要だと考えています。どうか、立ち上げを手助けしてください!
コモンズのGraphic Labか、英語版のGraphic Labからソースコードをコピーしてもいいです)
 

要するに、東アジア/日本は唯一ウィキの活動が活発な地域でGraphic labが無い地域です。漫画好きの日本語版利用者は良い新しい手助けができるかもしれません :]、なのでお願いです、日本語版にGraphic labをつくってください!! Yug (talk) 2009年4月24日 (金) 20:22 (UTC) (翻訳)--Widehawk 2009年4月30日 (木) 21:17 (UTC)[返信]

Graphic labは日本語に訳すと画像製作所や画像製作室といったところでしょうが、訳がここで固定されないようにあえて英語のままにしました。不自然な訳があれば修正してかまいません。--Widehawk 2009年4月30日 (木) 21:17 (UTC)[返信]

本人からの抗議により削除された項目や記事を中心とした上に、他人の投稿や2chからの転載を付け足したGFDL違反サイト作成

Category:ジャニーズ事務所Category:ジャニーズJr.Category:過去のジャニーズ所属者ジャニーズ事務所 過去のバックバンドにおいて 引退した人物を数多く含む、タレント・ジュニア・バックバンドのメンバーとして一時期でもジャニーズに在籍した 多数の人物の項目において、引退後に関する記述、本人が公表していない記述などに関する、情報源なきプライバシー侵害や誹謗中傷記事を投稿。 ジャニーズ事務所 過去のバックバンドにおいてはジャニーズのバックバンドやメンバーの現在進行形の情報を執筆し、 元タレント本人の抗議で項目や履歴ごと削除されるも、それらの項目を含めて全て個人サイトに転載。 その上、そのサイトがGFDLにも違反している事についてご意見をお願いします。

しかもwikipediaにおける、前述の項目の編集の大半、豊川誕の項目の9割以上がRaaichy氏による執筆。 元タレントから抗議を受け、項目を編集履歴ごと削除されるも、削除された項目を全て無断で復帰。 再び削除された後、wikipediaでアカウントRaaichyを永久ブレイク宣言。 その後、その人物が執筆した、多数の元ジャニーズ在籍者およびジャニーズバックバンドの項目における誹謗中傷・プライバシー侵害記事も削除。 その直後も、過去に削除された自分の投稿を、IP投稿や単発アカウントで数回投稿するも、再度削除される。 その後、Raaichy氏が熱心に編集していた項目の編集がほぼ途絶え、 編集履歴の大半、IP投稿や単発アカウント投稿もRaaichy氏によるものであると判明。

そして、wikipediaの編集が難しくなったRaaichy氏は、かつて自分がジャニーズ関連の項目に投稿して削除された記事をそのまま 転載した個人サイト『ジャニーズOB事典』を作成。 履歴ごと削除され、本人しか全文転載不可能な豊川誕の項目が完全に復帰されており、 何度削除されてもRaaichy氏が執拗に執着して投稿していた、情報源の存在しない多数の記述も全て掲載。 その上、『ジャニーズOB事典』と銘打っておきながら、ジャニーズ事務所 過去のバックバンドにおいて 過去だけでなく現在進行形のジャニーズのバックバンド情報を熱心に書き込むという、 wikipediaにおけるRaaichy氏の編集姿勢と同様の記述。 サイト作成者がRaaichy氏と同一人物なのは明白です。

しかも自分の執筆した記事だけでなく、自分のアカウントブレイク後にwikipediaに投稿された記述(削除されたものや、私の投稿も含まれています)や、 2ちゃんねるから転載した記述を無差別に混ぜた記事を多数掲載ているため、GFDLにも違反しています。 もちろん変更履歴のコピーの明記も、Raaichy氏本人による改訂データを追加した改訂履歴の明記も、サイトのどこにも存在しません。 この場合、どう対処したらよろしいのでしょうか。


『[ジャニーズOB事典 http://w3.funsrv.com/~cake158/index2.html]』

Wikipedia:削除依頼/豊川誕

Wikipedia:削除依頼/豊川誕20071223

利用者‐会話:通#豊川誕の項目について

Wikipedia:コメント依頼/Raaichy

--以上の署名のないコメントは、Vy会話投稿記録)さんが 2009年4月25日 (土) 10:41 (UTC) に投稿したものです(PALNASによる付記)。[返信]

基本的にはウィキペディアとは無関係なサイトであって、当該サイトが、事務所などに対して起こす問題や、(事実関係は確認していませんが、そうであるとして)OBと謳いながら現在のグループも取り上げていること、2ちゃんねるから転載した記述を無差別に混ぜていることなどについての閲覧者からの批判などは、運営者の責任として対処してもらうしかないでしょう。ウィキペディアにこだわるのではなく、独自にサイトを運営していただくのが、双方にとってもよいことだと思います。著作権者自らがGFDLに拠らず別の場所で投稿・公表することは違反とはなりません。
編集履歴の大半、IP投稿や単発アカウント投稿などほとんどがRaaichy氏による執筆であるということですが、個々の記事・記述について、著作物と言うに足りるだけの創作性がある加筆をしていたものが当該サイトに転載されているということであれば、著作権者として、当該サイトへ苦情を言うこと、あるいは訴えることも可能です。--Ks aka 98 2009年4月25日 (土) 11:18 (UTC)[返信]
私も含め、Raaichy氏以外の執筆者による投稿も(削除したものも含めて)、Raaichy氏作成のサイトに勝手に掲載されています。
また、書籍や付録の小冊子からの無断転載が理由でwikipediaから削除された年表や文章も、そのサイトに掲載されています。--Vy 2009年4月25日 (土) 12:28 (UTC)[返信]
複数のフェイズが異なる問題をいっしょくたにして扱っているように思います。まずあなた自身が、個々の問題のフェイズを把握し理解することが先決ではないだろうかと思います。
かなりはしょりますが簡単に説明します。
基本線として、「一義的に著作権侵害について苦情を申し立てられるのは、著作権者である」ということをおさえて下さい。著作権者以外が苦情を申し立てることにあまり意味はありません(Wikipedia上で著作権侵害が問題とされるのは「後日苦情が申し立てられた場合にそれ以降の編集がまとめて失われることになるのを懸念しての自己防衛的な考え方による」のであり、「著作権者になりかわって第三者が苦情を申し立てることができる」って話じゃありません)。
「Wikipedia上で、他の編集者によって編集された部分が、そのまま使われている」ということが事実であるとするならば、その点ではWikipediaは関係してきますし、ここで話題にする意味はあります。この点については、著作権侵害として苦情を申し立てたり訴えたりすることは可能です。ただし、あなたが抗議したり訴えたりするとして、第二段落で説明した理由から、あなたが編集した部分に限っておいた方がいいでしょう。他の転載された部分の編集者が問題にしようと思うかどうかはわかりませんし、その人が問題にしようと思わないのならば、あなたが著作権者の意思に反してそれを問題だと主張することはできません。
Wikipedia上で無断転載を理由として削除された部分について、それを問題とできるのは、第二段落で説明したとおりで、一義的には当該書籍・書籍付録小冊子の著作権者です。Wikipedia上では自己防衛的観点から著作権侵害部分は削除されますが、外部サイトでそのサイトの責任者が自身のリスクに基づき著作物の再利用を行うことについて、Wikipedia内部で問題にすることはありません。
個人的には、該当者が、自身のリスクフルな「ジャニーズ事務所所属タレントに関していろいろ書きたい」という欲求を、Wikipediaから出て行って外で実現しようと思ってくれたのならば、多少のGFDL的問題点には目をつぶり、ありがたいことだと受け止めておけばよろしいのじゃなかろうかと思います。立腹した著作権者がいればその立腹した著作権者が自分でなんとかするでしょうし、ジャニーズ事務所的にまずいようなら、それはジャニーズ事務所が自力でなんとかするでしょう。--Nekosuki600 2009年4月25日 (土) 13:49 (UTC)[返信]
私自身がwikipediaに執筆した(現在はwikipediaでは削除されているものもあります)記事のサイト掲載を止めることは可能でしょうか。
余談ですが「ジャニーズ事務所所属タレント」ではなく、既にジャニーズ事務所を辞めた、芸能界を引退した人物が主に掲載されているサイトです。--Vy 2009年4月25日 (土) 14:14 (UTC)[返信]
あなたが編集した(執筆した)部分について、あなたが掲載を止めるよう求めることは可能ですし、お願いから法的措置までさまざまな手段があり得ます。ただし、最終的に掲載を止めることが可能かどうかは、やってみなければわかりません。--Nekosuki600 2009年4月25日 (土) 14:42 (UTC)[返信]
私が執筆した箇所の掲載を止めるには、具体的にどういう方法を取ればいいのか見当がつきません。対応する方法や手段や掲載されているURLなどを教えてくださればありがたいのですが。--Vy 2009年4月30日 (木) 08:03 (UTC)[返信]
確実に止める方法はないのですよ。相手がまともなひとなら「お願いする」「抗議する」で十分かもしれませんが、まともじゃないひとならそんな方法は通用しませんし。法的措置を検討するのならば弁護士に相談するのがいいでしょうが、簡単なことではありませんし、費用もかかるでしょう。様態によっては刑事事件化も可能かもしれませんしその場合には警察に相談ということになりますが、この程度だと警察が動く可能性はほとんどないように思います。ま、手軽なところでは、市町村特別区などが主催する無料法律相談にでも行ってみてはいかがでしょうか。--Nekosuki600 2009年4月30日 (木) 08:29 (UTC)[返信]

その抗議なるものが本人によって為された証拠はあるんですか? イオンド大学の一件の轍を踏む事になりますねぇ。--220.100.60.225 2011年3月27日 (日) 05:47 (UTC)[返信]

重複になるのか否か?

二つの団体があり、その団体が共同して同じことをしている場合、それぞれの記事に、その行為を記載することは「重複」となるのか否か、ご意見をいただければ幸いです。--Dondokken 2009年4月26日 (日) 14:28 (UTC)[返信]

一般論的なご質問には回答を差し上げにくいので、2つの団体の具体名、およびそれらの団体が共同で何をしているかについて、明らかにしていただけると助かります。
また、念のためですが、「『重複』とならない」という結論が得られたとしても、記載してよいとは限らないと考えます。「『重複』とならない」ことは、記載するための必要条件に過ぎないからです。--ZCU 2009年4月26日 (日) 15:07 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。こちらの記事にありますように大阪の二つの教育委員会が共同ではやくから国籍条項を取り払い外国籍の教師を採用してきた活動が伝えられています。これをそれぞれ両委員会の記事に記載した場合、それはこちら(Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください )の「重複」に当たるか否か、ということです。また万が一「重複」となるならば、どのような対処法があると思われるか教えていただければ幸いです。--Dondokken 2009年4月26日 (日) 15:40 (UTC)加筆--Dondokken 2009年4月26日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
記述内容としてはそう膨れる物では無いのでここで言う重複には当たらないと考えます。例えば府の方なら「市教委と共同で外国籍の教師を採用してきた」程度(ないし、まあ、補足があるとして2,3文でしょう)で、市なら、上記文の市教委のところを府教委に変えて記載すれば良いだけです。もし、2,3文で終わらないなら、逆に言えば、それだけ書く内容があるということですから、独立記事にしても良いかもしれません(私は、今回の内容についてはそこまでする必要性は感じませんが)。--EULE 2009年4月26日 (日) 16:53 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。より詳細に記載し、重複になる可能性もあるので、一方の方を、もう一方へ誘導するスタイルで「重複」の可能性を避けようかと思います。--Dondokken 2009年4月26日 (日) 20:58 (UTC)[返信]

自著を出典と示して編集することについて

私は、思うところあって、インターネット上では実名を使っています。最近になって、ウィキペディアの編集に参加しはじめました。 具体的にはバレンタインデーの記述について、自分が過去に学術論文として発表した(ただし、勤務校の紀要であり、査読論文とはいえない)内容と関係する記述で、誤りを発見したのですが、直接編集することは「独自研究は載せない」に抵触するように思いましたので、とりあえず、ノートに、具体的な誤り(と私が信じる事項)を説明する文章を書き込みました。 私としては、ノートの記述に客観性を認める第三者が現れて、それに沿って編集をしてもらえればよいという期待からそのようにしていますが、こうした場合の対応として、これでよかったのか、まだウィキペディア編集の初心者なので、今ひとつ確信がありません。

また、このケースには当てはまりませんが、「独自研究は載せない」との関係では、いくつか判断がつかない例も想定されるように思います。 たとえば、査読制度のある学術誌に掲載された論文であれば、自著であってもそれを出典として編集はできるのでしょうか? 「独自研究は載せない」の「専門家の役割」には次のようにあります。 「一方、専門家が自分の研究の成果を何らかの評判の良い媒体において発表済みであるなら、この成果を中立的な観点の方針に従い、その出典とともに記すことができます。しかし、第三者の媒体による信頼できる情報源を明記しなければならず、検証不可能である未発表の知識は使用してはなりません。」 これを見ると、査読論文は自著でも出典とできるように読めますが、「第三者の媒体による信頼できる情報源を明記」というのは、何を指しているのか、よくわかりません。

いずれにしても、曲がりなりにも「専門家」として「自分の研究の成果」をウィキペディアの記述の向上に役立てたいと思っていますので、こうした場合の適切な方策について、ご助言をいただければありがたく存じます。--山田晴通 2009年4月28日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

要するに、「勤務校の紀要」が「第三者の媒体による信頼できる情報源」と言えるかどうかの問題ですが、私の感覚では、少なくとも他に適当な情報源がない場合には、「勤務校の紀要」であっても「第三者の媒体による信頼できる情報源」と認める余地があると思います。
ただし、バレンタインデーの事例では、山田晴通先生の論文[9]そのものを情報源としなくても、論文で情報源として挙げておられる文献(「小笠原(1998, p96)」、「The Japan Advertiserの1936年2月12日付」、「翌年刊行の『50周年誌』やその後の原の諸著作」)を出典とすれば、充分対応可能なような気もします。--Dwy 2009年4月28日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
はじめまして、あるふぁるふぁと申します。山田晴通さんのご参加を歓迎いたします。
さて本題ですが、全体として山田晴通さんの諸方針のご理解は大きく間違っていないと思います。蛇足ながら一点だけ申し上げると、前半の部分の「ノートの記述に客観性を認める第三者が現れて、それに沿って編集」することが「Wikipediaの記事のノートだけを出典として編集すること」であれば、それが誰の編集であれWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:信頼できる情報源の点から許容されないと考えます。ただ、バレンタインデーの件についてはDwyさんの仰るようにノートで提示されている他の文献を出典とすることで記述可能だと思います。
後半の部分は、「査読論文は自著でも出典とできる」というご理解でよいと思います。「第三者の媒体による信頼できる情報源」とは、自費出版や個人のWeb上の記述などを排除しているものと理解しています。--あるふぁるふぁ 2009年4月28日 (火) 15:15 (UTC)[返信]

Dwy さん、あるふぁるふぁ さん、ご教示ありがとうございました。とりあえず、バレンタインデーの記述は、拙稿で典拠としている文献を示しながら編集しようと思います。今後ともよろしくお願い致します。--山田晴通 2009年5月1日 (金) 16:55 (UTC)[返信]

虚無を数学的に定義する提案

「0」は「無]、「∞」は「無限大」では「虚無」は数学的に考えると「0-∞」と定義できないでしょうか? --小一 2009年4月29日 (水) 01:28 (UTC)[返信]

また、ニールス・ヘンリック・アーベルが「1/0=∞」と記法とWikipedia上にあります。

これを「1=∞×0」とおき結合すると「1=∞×0=∞×(0×0)=(∞×0)×0=0」となり「1=0」となってしまいます。

そこで「0×0=0」は本当かとの疑問がわきあがります。

はたして「1/0=∞」が間違いなのか? 「0×0=0」が間違いなのか? --小一 2009年4月29日 (水) 03:02 (UTC)[返信]

「虚無の数学的な定義」というものに信頼の置ける出典があって検証可能であれば記事はつくれます。出典がなく、ご自分の新しい考えやアイディアを発表したいのであれば、できません。どうしても記事を作りたければ、「通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版してください。それが人類の知識の一部となった時、ウィキペディアはあなたの業績について報告することになるでしょう。もちろん、査読がきちんと行われない雑誌から情報を持ってきてはいけません」(Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説をする場所ではありませんより)。
査読を通ることが出来ない(または、査読にかけるつもりがない)けれど、自分の新しい考えを発表したいというのであれば、そうしたことはウィキペディアでははっきりお断りしています。--ikedat76 2009年4月29日 (水) 03:45 (UTC)[返信]
1/0=∞と定義するのであれば、代数学的には0×0=0とは置けない。1/0=未定とするなら別の解が見えると思います。(意見は、Ikedat76氏と同じです。ここは学術研究の議論場所ではないでしょう)--Inoue-hiro 2009年4月29日 (水) 03:58 (UTC)[返信]
分配法則を適用する前に右辺の「∞×0」を「∞×0×0」にするには当然左辺にも「1×0」という乗法操作をしないと等式が成立しませんが端折ってませんか?つまり左辺は「1×0」で値は0です。--あら金 2009年4月29日 (水) 14:42 (UTC)[返信]
両辺に0をかけたのではなく、0×0=0という関係を用いて0を0×0に置き換えただけでしょうから、そのご指摘は当たらないでしょう。小一さんの書き込みには、∞という数でないものをあたかも数のように扱ったことと、ウィキペディアの目的外使用であること以外は間違いはないかと思います。--122.29.83.144 2009年4月29日 (水) 18:40 (UTC)[返信]

正式な表記に「」を含むもののカテゴリについて

現在、RPGのシリーズであるテイルズオブシリーズノートページにて、シリーズの名称が含まれている記事名、カテゴリ名の統一を図るために、シリーズの正式名称に対する見解の統一を図るための議論を行っています。

公式に最も用いられている表記は「テイルズ オブ」シリーズという鍵括弧つきの表記なのですが、Wikipedia:カテゴリの方針#カテゴリの名称によると括弧書きはなるべく避けるようにとされており、この括弧書きには鍵括弧も含まれるのか、含まれるとしたら正式な表記であっても鍵括弧を省いた方が望ましいのか、と言うことの判断が付きません。ノート:テイルズオブシリーズでは「鍵括弧は無いほうが良い」という意見が多数なのですが、現状議論の参加者が少なくカテゴリ名のつけ方について明るい方がいらっしゃらないので、ご意見を賜れれば幸いです。エルスール 2009年4月29日 (水) 02:37 (UTC)[返信]

坂の上の雲の長岡外史の取り扱いの提案

坂の上の雲の記事の中の登場人物の中で、長岡外史の取り扱いが政治家になっています。しかし日清・日露戦争の時には現役軍人だったので、陸軍関係者の欄に移しては如何でしょうか?--ドラネコ 2009年4月29日 (水) 18:17 (UTC)[返信]

そのような内容はここではなくノート:坂の上の雲 (テレビドラマ)でどうぞ。--122.29.83.144 2009年4月29日 (水) 18:31 (UTC)[返信]
長岡は主に参謀本部次長としての出演でしょうから、カテゴリーを政治家から陸軍軍人へ移動致しました。序列等で問題があればご調整下さい。--yasumi 2009年4月30日 (木) 10:29 (UTC)[返信]

スキー場の特筆性

スキー場の記事をいくつか作成していたのですが、月山スキー場の記事を新規作成したときにWikipedia:特筆性を貼り付けられました。スキー場の記事は短い記事も長い記事も数多く存在していたので、作成することに特に疑問も持たずに作成していました。スキー場の記事を作成する場合、公式HP以外において特筆性を証明する情報が必要となるのでしょうか?その場合、現存する多くのスキー場の記事が特筆性がない可能性も出てくるんですが。みなさんのお考えをお聞かせください。--Toto-artist 2009年4月30日 (木) 08:02 (UTC)[返信]

  コメント「積雪量が多すぎるため冬にスキーが出来ず、春(4月上旬)から夏(7月頃)にかけて営業するという珍しいスキー場である。」で十分特筆性。参照出典セクションを作ってそこに公式HPのリンクを記述すれば、一次情報で十分。利用者‐会話:Youichikun1968を見ればどういう事かわかる。異論を唱えてきたらここのリンクを提示すべし。以上のことからテンプレは削除可。自信を持って記事を書くことを希望する。--118.243.87.19 2009年4月30日 (木) 08:23 (UTC)[返信]

ありがとうございます。月山スキー場に関しては特殊なスキー場ですので、これで問題ないようですね。ただ、どの程度のスキー場が執筆に値するのか疑問に思ったので、改めてWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト スポーツ施設#スキー場の記事作成についてにて質問させて頂きました。(初めからウィキプロジェクトスポーツ施設で質問すればよかったのかも知れませんが、その存在に気付きませんでした。申し訳ありません。)--Toto-artist 2009年5月1日 (金) 01:55 (UTC)[返信]

ブロックされた利用者の投稿記事に関して

本日、Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Haruno Akihaにて、無期限ブロック中の利用者:Haruno Akiha会話 / 投稿記録 / 記録さんご本人のブロック破りによるものと思われる投稿が行われました[10]。Haruno Akihaさんは1月にはソックパペットを使用してわたし、男子校出身です。を新規作成されています。ソックパペットは発見され次第、即時ブロックされるべきものですが、既に投稿されてしまった記事はどう扱えばよろしいのでしょうか?先日、Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/どとうとしやを作成した際に、やはり無期限ブロック中の利用者:どとうとしや会話 / 投稿記録 / 記録さんのブロック破りによる新規作成記事が大量にあることに気付いたのですが結局そのままになっています。ブロックされている利用者には参加資格が停止されているのだから、ブロック破りによってなされた投稿は全て差し戻し(新規作成記事は削除)されるべきなのではないかと考えますがいかがでしょうか?現状でも一応、{{sd-banned}}というテンプレートは作成されてはいるものの、追放の方針はまだ草案段階ですので、ブロック破りによってなされた新規作成投稿は削除されないままです。見方によってはブロック破りを黙認しているようにも思えてしまいます。最近ではもつ煮で似たような問題が起こっているようですので、他の利用者の方々のご意見を伺いたいと思います。--まさふゆ 2009年4月30日 (木) 11:03 (UTC)[返信]

ブロックされたアカウントには発言権や編集権がありませんので新規作成投稿は削除されなければなりません。なお、ブロックされたアカウントには発言権や編集権がないにもかかわらず、それを容認する利用者や、知っていて幇助する利用者がいますのでご注意ください。--hyolee2/H.L.LEE 2009年4月30日 (木) 11:34 (UTC)[返信]
  • (コメント)ブロック逃れであるなら明確にWikipediaで規定するところの「荒らし」であるわけですから、WP:VANDを根拠に差し戻せばいいと考えます(「以下に定義するような荒らしを発見したら、差し戻してください。」と該当方針に明記してあります)。荒らしかどうか判断に迷う場合に関しては、ノートで該当の記述の扱いを検討すればよろしいのではないでしょうか。--かげろん 2009年4月30日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
  • (質問)「新規作成投稿は削除されなければなりません。」のガイドラインはどこでしょうか?
    「それを容認する利用者や、知っていて幇助する利用者がいます」
    の方はいけないことをしているのでしょうか?
    「荒らしかどうか判断に迷う場合」普通の編集者はそんなこと常日頃から考えませんから、幇助してしまう可能性があるのですが、この場合自分も皆さんにソックパペットと疑われCUされるのでしょうか?--118.243.71.20 2009年4月30日 (木) 18:03 (UTC)[返信]
    • ブロック逃れであることを知っていながらブロック逃れを容認する利用者や、知っていて幇助する行為は荒らしに餌をやっているのと同じことです。知らなかった場合はしょうがないです。--hyolee2/H.L.LEE 2009年4月30日 (木) 23:52 (UTC)[返信]
    • まず、ブロック逃れのソックパペットによって初版が立項された記事は、即時削除で対処できると考えます。Wikipedia:即時削除の方針には「荒らしに分類される投稿」は即時削除の対象になる旨が記されています(実際にどう運用されているかは、私よりベテランの方がよくご存じでしょう)。あと、そこまでCUを恐れるのが、私にはわかりかねます(まあ、長期荒らしのソックパペットとほぼ同じ行動をとれば「模倣」という理由でブロックされることはあり得ますが、CUを経ずとも一般管理者が「模倣」でブロックすることもあります)。言うまでもありませんが、普通の編集・対応をしてる限り、CUされたところでなんら問題というか負い目はないはずですが。(ノートや履歴の確認を習慣付けておけば、ソックパペットのほう助は避けられるでしょう。万が一、知らずにほう助してしまった場合は会話ページなり、ノートで指摘が来るでしょうから、事情を知らなければそこで事情を理解してその旨を伝えるなりすれば問題ないと思います)。--かげろん 2009年5月1日 (金) 13:14 (UTC)[返信]
  • しょうがないとは?どちらの立場での言葉ですか。いわれもない嫌疑をかけられチェックユーザされてコミュニティに晒されたのに、その後疑いがなかった場合に謝罪をしている場合はほとんどないと思いますよ。現にここでも「ご本人のブロック破りによるものと思われる投稿」という思われるという理由でIPユーザですが井戸端で晒されています。hyolee2さんの利用者ページに「ブロックは死刑です(ブロックは最後の手段)」よいう韓国版へのリンクがありますがどのような内容が書かれているのですか?--203.189.50.114 2009年5月1日 (金) 00:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)ご意見ありがとうございます。私が井戸端でこの問題を取り上げた直後にわたし、男子校出身です。が即時削除[11]されたことは全く予想していなかったことで少し戸惑っております。当該記事はソックパペットによって初版が投稿され、その後もソックパペットによる加筆はあったものの、他の利用者による有意な加筆はなかったと思うので、はるひさんの即時削除の判断にあえて異議を唱えることはしません。実は私自身もブロックされているユーザーのブロック破りとは知らずに結果的にほう助してしまったことがあります。去年の10月にWikipedia:削除依頼/ロリータ・コンプレックスを提出した時のことで、この削除依頼の審議で(コメント&報告)をしているIPユーザーは次の日にLTA:41としてブロックされていますが[12]、当時は長期荒らしについてよく分からなかったために結果的に荒らし行為をほう助する形になってしまいました。--まさふゆ 2009年5月2日 (土) 06:07 (UTC)[返信]
    • ソクパペの干渉許すまじというルールは理解できるものであり、それを根拠に「明らかにソクパペによる」と判断できる記事が即時削除されることは妥当でしょう。しかしながら、未見の編集者による新規記事作成を目にするたびにソックパペットを疑い即時削除の対象かどうかを検討し、それから加筆にかかるなどというのはおよそ現実的ではありません。新規参入者がソックパペットだと判断されるまでに1か月とかかかっているケースもありますから。ソックパペットによると最終的に判断された記事に対して加筆を行っていたからといって、その加筆者が直ちにソックパペットほう助とみなされることもないと思いますので、そこはあまり神経質になる必要はなかろうと思います。現にのちにソックパペットと判断された編集者により立項された記事にhyolee2さんが加筆された例もありますが、問題視されている様子はありません。記事自体が異常であれば当然削除ですが、そうでなければ現実的には第2加筆者が現れたことでその記事の存在は容認されたとみなすしかないのではないでしょうか。--Kojidoi 2009年5月2日 (土) 07:43 (UTC)[返信]
  • (コメント)執筆者がブロック破りであった場合、記述内容が百科事典として適切であっても記述自体を差し戻すというルールは、投稿ブロックの方針ではなく追放の方針にあるので、追放の方針が現時点では草案である以上、根拠として使えません。ブロック破りユーザの記述であれば、内容がまともであっても排除したいのなら、追放の方針を正式化すべきです。--203.181.27.193 2009年5月7日 (木) 06:21 (UTC)[返信]
    • (コメント)追放の方針にとらわれ過ぎです。Wikipedia:荒らしWikipedia:即時削除の方針といったれっきとした方針で述べられていますので、根拠としてはそれで十分でしょう(Wikipedia:追放の方針が正式化されれば、その点も補強されるので正式化されるのに越したことはありませんが、そうでなくても別の方針から対処は可能です)。--かげろん 2009年5月7日 (木) 15:11 (UTC)[返信]
      • (コメント)上記で例示された方針や多重アカウント内には「ブロック逃れ利用者の記述は、内容にかかわらず差し戻す」といった記述はないので、内容に問題がなく、執筆者がブロック逃れではなかったとしたら残しても構わない記述まで差し戻す根拠は、現時点では見当たりません。従って、既存の方針を改定するか、新たな方針を正式化する必要があるのではないでしょうか。--122.249.76.43(昨日の203.181.27.193と同一人物) 2009年5月8日 (金) 02:15 (UTC)[返信]
        • (コメント)Wikipedia:荒らし#荒らしに対処するにはでは、すでに記したように今現在で「以下に定義するような荒らしを発見したら、差し戻してください。」と明記されています。さらに、その後に続く荒らしの定義中の「ソックパペット」の節では「例えば、多重投票、自作自演による議論の攪乱、ブロック逃れなどに用いることは荒らしです。」と明確に記されています。ブロック逃れはWikipediaでいうところの荒らしとはっきり示されていますから、根拠が見つからないというのは明確な誤りであると指摘しておきます。--かげろん 2009年5月8日 (金) 11:52 (UTC)[返信]
          • (コメント)Wikipedia:多重アカウント/英語版20061130版#方針逃れにあるように、ソックパペットについての記述が既に追放の方針がある英語版の翻訳そのままなので、追放の方針が正式化されていない日本語版に、ソックパペット関連にだけ、追放の方針が議論もないまま組み込まれています。それで、現状のブロックの方針だと「人にかけるのではなくアカウントが対象」とあるのに、多重アカウントのガイドラインでは、「方針は人にかけるものである」と記述は矛盾しています。内容にかかわらずブロック破りによる記述を差し戻したいのなら、まず各方針の矛盾を修正すべきです。--118.243.85.166(一昨日の122.249.76.43と同一人物) 2009年5月10日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
  • かげろんさんに質問ですが、ブロックは「人」にかけるのか「アカウント」にかけるのかどちらだと思いますか?--121.1.195.234 2009年5月9日 (土) 15:02 (UTC)[返信]
    • (コメント)ソックパペットでなく荒らしにに該当しないアカウントに対するブロックであればアカウントでしょうが、被ブロックアカウントの中の人が多重アカウントなどを使って「荒らし」と定義される行為をした場合は人単位に変更でしょうね。--かげろん 2009年5月10日 (日) 13:42 (UTC)[返信]
      • Wikipedia:多重アカウント「この文書はウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。」とありますが、それでもかげろんさんは「人にかける事」に拘られるのですか?一部どうしようもないブロック破りの多重アカウントを行っている方がいるのは事実でしょうが、大多数の編集者はそんなことをしていないでしょう。このような一部の方の為にガイドラインなどを拡大解釈する事の方が危険な発想に思えます。--110.4.172.137 2009年5月10日 (日) 14:02 (UTC)[返信]
  • こういう場で「こうも解釈できる、ああも解釈できる」と分かったような分からないような自論を振りかざすよりは、追放の方針の草案のノートで草案を正式な方針化する努力をしたほうがいいと思う。--220.150.133.157 2009年5月23日 (土) 04:03 (UTC)[返信]
  • (コメント)方針同士の矛盾を修正する為、Wikipedia‐ノート:荒らし#荒らし類型の一部削除提案を出しました。この形での修正に反対の方は、追放の方針を正式化すればいいと思います。--人魚 2009年5月26日 (火) 09:03 (UTC)[返信]

多言語への翻訳・項目拡大方針についての質問

多言語へ翻訳できる力を持っているとき、
(他言語版のWikipediaに項目が無いのを確認した上で)
日本語版にしか無い項目を多言語に翻訳するのは、
どこまでやってもいいのでしょうか?
そういったことを定めた方針が掲示されていますか?--Tipiqing 2009年4月30日 (木) 23:38 (UTC)[返信]

  コメント 基本的には自由です。ただし当然ながら最低限の文章力が必要でしょう。方針は、各言語版ごとに異なりますので、翻訳したい先のルールを参照することになります。例えば英語版は日本語版よりも記事の特筆性(その出来事をウィキペディアに掲載するに足るだけの理由があるか)に厳しいようです。なお、Tipiqingさんが日本語ネイティブであるなら、まずは日本語版ウィキペディアで経験を積まれることをお勧めします。慣れない言語であまりルールから外れたことをやると、最悪、投稿ブロックされるかもしれません。--Freetrashbox 2009年5月1日 (金) 00:01 (UTC)[返信]

ありがとうございました -Tipiqing 2009年5月1日 (金) 00:50 (UTC)[返信]

外部リンクの選び方、ドメイン名の取得正当性について。

ある編集において編集者の投稿が差し戻しされましたが、理由として「不正競争防止法 ドメイン名の不正取得が疑われるサイトへのリンク」を要約欄に書き込んで、wikipedia:外部リンクの選び方を提示しております。一般的にドメインの取得は早い者勝ちであり不正取得とならないとようですし、この解釈は独自研究に当たると思います。なお、不正競争に当たるかは調査しないと分かりません。このような場合どう解釈すればいいのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせ下さい。--124.155.111.176 2009年5月1日 (金) 05:36 (UTC)[返信]

  • それ以前に記事に関係のないリンクだと思いますが(Wikipedia:削除の方針ケース E: 百科事典的でない記事(完全に異質な記事))。もっとも削除依頼にもとづき「版の削除」をするまでもないと思いますが、普通はいたずら扱いでリバートされてもおかしくないような・・。どうしてもリンク先「恥デジカ」を記事に反映したい理由でもあるなら別ですが、ちょっと理解できません。--大和屋敷 2009年5月1日 (金) 06:22 (UTC)[返信]
  • 大和屋敷さんへ 3つほどいいですか。ドメインの不正取得なの・記事に関係ないというリンクがもう5つもある・それなのにいたずら扱い、というのはどうしてなのですか?どうしても記事に反映させたいとしたら理由をしりたいですね。差し戻しした編集者さんはどうして不正取得と疑ったのでしょうね。--124.155.111.176 2009年5月1日 (金) 06:53 (UTC)[返信]
  • この記事[13]を見て「不正取得」と短絡したんじゃないでしょうか。本当に不正取得しているのかどうか、この記事だけでは判然としませんね。つぎに「地デジカ」の記事に、いたずらWEBページ「恥デジカ」(著作権侵害?)が必要ですかね?ちょっと理解できませんね。--大和屋敷 2009年5月1日 (金) 07:34 (UTC)[返信]

利用者への情報リテラシー注意喚起

つぎの理由で、ページ先頭への情報リテラシーの注意喚起をする記述の掲載を提案します。

 昨年出された、ピエール・アスリーヌ他『ウィキペディア革命-そこで何が起きているのか?』(岩波書店)には、ウィキペディアは、情報ソースの確認が歴史・科学・ジャーナリズムそしてあらゆる研究の基礎であるという視点を省いている。さらにそうして書かれた記事を学生達が無批判的に使っている、という批判があります。この認識は妥当なものだと思います。

 実際には、ウィキペディアは、ページによっては、詳細な注を付けて記述したり、資料の原文等といった情報ソースを引用してまとめており、その視点を保持しているものもあるわけですが、しかし、まだ徹底されていないと思います。情報ソースの引用をもとに記述するのは時間がかかるため、徹底は物理的に限界があるわけです(わたしもできてません)。

 しかし、上の批判は無視できないと思います。そこで、たとえば歴史関係ページなら、その先頭に、「歴史記述は、文字資料、伝世文物、考古遺物をその根本的根拠とするものであって、それらの引用・写真掲載等がありかつその解釈説明が客観的論理的である時にはじめて、実証的なものとなります。したがって、それらの引用・写真掲載等をもたない記述については、参考資料とはできても、それを根本的根拠として、別のことを論じることはできず、自身で確認作業をとる必要があります。」と記し、利用者への注意喚起をすることで、批判にあるような問題をとりあえず解決できると思います。--Mydher 2009年5月1日 (金) 07:16 (UTC)  [返信]

その機能はWikipedia:免責事項が果たしていると思います。まあ、どんなに注意してもその警告を読まずに、記事の表っ面を読んで踊る人もいれば、どんなに丁寧に出典を明記してなお自分の価値観を絶対視して記事を否定する(結果的に破壊する)ことを目的化する人もいて、その読者のメディアリテラシーの無さや未熟さに関しては、Wikipediaやそこに記事を書いた側には責任がないことだと思います…中にはアンサイクロペディアの記事を本気に(?)して、企業ブログの記事を書いちゃう人とか、氷の角でタンコブ作る人もいるくらいですから。--夜飛/ 2009年5月1日 (金) 08:04 (UTC)[返信]
読者についてはおっしゃるとおりだと思います。ただWikipediaが読者の未熟さに対して積極的に教育する態度をもっととってもいいとかとおもいます。Wikipedia:免責事項のページへのリンクを各記事の冒頭につけてもいいかもしれません。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
「メディアリテラシーの無さを教育すること」は百科事典の仕事ではないと感じます。まあ、百歩譲って百科事典一般ではなくWikipediaの仕事の範疇に含めるか否かに関しては、読者の全てがメディアリテラシーの欠落した者ではないし、記事記述者の全てがメディアリテラシーを必要十分なほど持っている訳でもないため、余り積極的にその方面に対して「教育的になること」を推進しても、冗長なだけの気がします…多過ぎる情報は無意識にフィルタリングされるノイズになりかねず、その意味では付け足すことで「混乱を生むだけで得るところが少ない」な事態になりそうです。ただ、今これを書いていて思ったところとして、サブカルチャー分野やオカルト・サイ科学(類:似非科学)のような、実際的に理知的な裏付けによらない概念を説明する記事においては「この記事は○○的視点(○○には「サブカルチャー」や「疑似科学」など該当分野が入る)に立つ事物の説明をしています。Wikipediaは百科事典として対象事物の観念を説明するに留めます。妥当性の判断は読者各自でお願いします」的な{{医療}}{{性的}}みたいなお知らせテンプレートがあっても良いかも?な気もしますね。--夜飛/ 2009年5月1日 (金) 13:36 (UTC)[返信]

数学や物理などは、学校教育において、実験や証明という、結論が出されるまでの手順を教える一方、文系の科目の場合は、研究者が出した結論部分が、日本史教科書や、古文の活用形表、といったものにまとめられたのを勉強するのみで、どのようにしてそれらが導かれるのか、ということをあまり教えない傾向にあります。その結果、数学や物理等に関しては、実験や証明というものの存在が、一般に認識されているため、わざわざ注意喚起をする必要はないかもしれませんが、文系の分野については、記事が完成されていない限り、記事内容の適切性の判別方法を示すのは、少なくとも無駄ではないと思います。テンプレートを利用することにします。--Mydher 2009年5月2日 (土) 11:41 (UTC)[返信]

正確性が疑問なら{{正確性}}を使えばいいことだろ。情報リテラシーうんぬんの注意はWikipedia:免責事項で無保証を明記している以上、屋上にさらに屋根を追加するのと同じことだ。--Ginz 2009年5月2日 (土) 13:04 (UTC)[返信]
以下は話を進めたいと思って書くわけではありませんが、一応の説明で書かせてもらいます。現段階での{{正確性}}の記述では、個々の分野に関して、何が正確で何が不正確かが具体的にわからないため、正確性をまともに問題にするには、より具体的に書かれる必要があるということになるでしょう。上の書き込みは分野間の違いも考えて述べていることです。また、『ウィキペディア革命-そこで何が起きているのか?』にも言われていることですが、ウィキペディアの利用者はグーグルから直接個々のページを閲覧する場合が少なくなく、しかもWikipedia:免責事項は、トップページに行かないと目に触れられないという欠点があります。そういうウェブの構造上の問題があるといえます。--Mydher 2009年5月3日 (日) 09:59 (UTC)[返信]
「免責事項」へのリンクは各ページの下部にありますよ。インターネットのサイトの免責事項へのリンクは大体この位置にあることが多いと思うので、問題は無いと思うのですが。--Widehawk 2009年5月3日 (日) 13:03 (UTC)[返信]
元々述べようとしていたことは免責の問題ではなく、また、免責事項のページの関連でいえば、それ自体は一般論が書かれているものなので、それに応じた各分野の具体的な事柄の話に当たると思いますが、教えていただきありがとうございます。--Mydher 2009年5月5日 (火) 13:16 (UTC)[返信]
「裏付けを取る」というのはWikipediaに限らず「情報リテラシー利用のイロハ」だと考えますが。マスメディアをにぎわす事件でも裏をとらなかったばっかりに面目を失ったり、巨額の損害賠償や慰謝料を払う羽目になる話はよく聞く話だと考えます。「裏付けを取る」というのはWikipediaの中で治まる話ではないので免責事項以前の問題と考えます。(私の話も引用するならちゃんとウラを取ってくださいね)。--あら金 2009年5月1日 (金) 09:09 (UTC)[返信]
Wikipediaの中で治まる話かということを考える場合には、裏をとった記述をWikipediaの中で必ずしもし尽くせないため、記事を批判的に読む必要性は明示すべき、ということになると思います。その明示を各記事において行えば、責任はとったことになろうと思います。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
そんな文書を載せるくらいなら、出典の記述をもっと広めた方が健全だと思いますよ。英語版みたいに出典のない記述はリバートとか。--ゆきち 2009年5月1日 (金) 09:23 (UTC)[返信]
出典の記述が増やされるのが理想ですが、そういう記述がない状態で放置されているページが大量にあるので述べたことです。--Mydher 2009年5月1日 (金) 13:11 (UTC)[返信]

逮捕された著名人の個人情報

本名や年齢、居住地などの個人情報を非公開にしていた著名人が逮捕されて、それらの個人情報が新聞テレビ等で報道された場合、それらの個人情報をウィキペディアに記載してよろしいものなのでしょうか。218.222.67.148 2009年5月1日 (金) 13:51 (UTC)[返信]

著名人にも私生活があり、この私生活は積極的に公開しているものならいざ知らず、当人がつまびらかにしていない場合は、余人がこれを乱すことは不適切であると考えられ、よって「公開している個人情報」(当人の意思が介在する)は兎も角として、「公開されてしまった個人情報」(当人の意思は関係ない)はプライバシー保護の観点から、掲載すべきではないと考えます。なお、この問題に関してはWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関しても参考になるでしょう。まあ、個人的には著名人の説明には「どんな活動をしているか」が重要なのであって、個人情報なんかを掲載しないでも、過不足なく説明が可能で、掲載したところで無価値かつ社会的道義からしたら有害な情報だと思いますがね。--夜飛/ 2009年5月1日 (金) 14:03 (UTC)[返信]

「得点力学習DS」と「得点力学習DSシリーズ」の統合の提案

「得点力学習DS」と「得点力学習DSシリーズ」を「得点力学習DS」に統合することを提案します。 その際に、「得点力学習DS 小学校要点まとめ」の項目を追加したいのですが、持っていないために書けません。 どなたかもっておられましたら、追加いただけないでしょうか。 --hamuichiro 2009年5月2日 (土) 06:40 (UTC)[返信]

統合提案はWikipedia:統合提案に記載した上で、ノート:得点力学習DSもしくはもう一つのページのノートで行ってください。また加筆の依頼はWikipedia:加筆依頼で行ってください。--春日椿 2009年5月2日 (土) 07:00 (UTC)[返信]

引用元のブログが削除されたとき

存命人物の記事について一般的な質問です。Wikipedia:存命人物の伝記では、"出典無き批判は除去"とあり、また"信頼できる情報源"として本人のブログが挙げられていますが、ブログを出典とする批判的内容がウィキペディアに掲載された後に、ブログが消されてしまった場合はどのような対応をとるべきなのでしょうか。--サイフォン 2009年5月2日 (土) 06:46 (UTC)[返信]

本人のブログが信頼できる情報源として扱えるのは、その本人のことに限られます。
そのブログで他者を批判していた場合は、信頼できる情報源とはなりません。
本人のブログで、自らが自己批判していたのであれば、出典情報のところで、閉鎖の告知や報道があればそれを情報源として閉鎖の旨を加筆、なければ、いつ確認したら閲覧できなくなっていたかを書くことになると思います。ただし、その内容自体がどれほど重要か、ということも考慮して、記述するかどうかを考える必要はあると思います。
本人のブログで書かれたことに対して他者からの批判があり、本人のブログに何が書かれていたかということの情報源として、そのブログが示されていたということであれば、問題となるのは「他者からの批判」についての情報源の信頼性ですから、ブログが削除されたことは影響しません。--Ks aka 98 2009年5月2日 (土) 07:24 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。存命人物の公式サイト・ブログでの言動が、正しい形の引用のもと批判的な文脈でウィキペディアに反映されたという前提で、質問しました。
ブログでの言動が特筆性に値するか否かについては別次元の問題として、ウィキペディアへの投稿時点で閲覧できていたブログのエントリーについては、その後削除されたとしても信頼できる情報源として有効なのでしょうか。また、引用元が削除された後に閲覧するユーザー・管理者にとって、出典がリンク切れでは確認しようがありませんが、デッドリンクを出典とする批判的内容が、除去すべき独自研究と看做されることがないと捉えてよいのでしょうか?--サイフォン 2009年5月2日 (土) 08:22 (UTC)[返信]
重要な情報源であれば{{リンク切れ}}テンプレートを貼付しておいて下さい。URLなどの情報が分かっていればウェブアーカイブなどの手段で参照できる可能性があります。そのブログを引用している他の情報源を見つけることも可能です。ただ、情報が散逸していて探しても見つからないという状態になれば、検証不能な記述として除去されるかも知れません。 --Yhiroyuki 2009年5月2日 (土) 08:56 (UTC)[返信]
◆情報源が信頼できる情報源とした上で、一般のインターネット上の情報源については、その閲覧日も付記しておくことで、それが削除された後であっても、確認できないという理由で即削除される理由にはなりません(これは別にウィキペディアのルールではなく論文とかそう言った物全般に言えることです)。情報源を確認できないことは望ましくないので、別の情報源や新たな情報源を用いた方が良いのは言うまでもないことですが、情報源が削除されているからといって、それを理由に該当する記述を問答無用で削除するることはできません。--EULE 2009年5月2日 (土) 09:53 (UTC)[返信]
◆仮にInternet Archive等にアーカイブが残っていた場合は、検証可能性を満たすためにアーカイブへのリンクを記載しておくのも有効策かと思います。日本語版にはありませんが、英語版のTemplate:Cite webには、アーカイブへのリンクを記載する項目があります。--Mugu-shisai 2009年5月2日 (土) 14:52 (UTC)[返信]
◆基本的に、リンク切れでも「検証可能性」は満たすと捉えることはできると思います。代替する情報源があればそれを加え、リンク切れであってもURLは情報として残すのが好ましいと思います。ただ、最初からリンク切れとして加筆されたような場合や、加筆からあまり時間が経過していない、他者の編集がほとんどないような場合は、虚偽である可能性を検討する必要があると思います。
「公式サイト・ブログでの言動が、正しい形の引用のもと批判的な文脈でウィキペディアに反映された」というのは、その批判自体の信頼できる情報源が必要となります。批判の対象となる「公式サイト・ブログでの言動」が存在したということについては、本人のブログは信頼できる情報源となるでしょう。それが批判の対象となるべきことかどうか、その言動への批判があることは百科事典として必要かどうかについて、Wikipedia:存命人物の伝記#批判、あら探しWikipedia:中立的な観点に沿って判断・記述することが求められます。
本人のブログが信頼できる情報源となるのは、本人ならば当然知っている事実や、ある情報を自ら公開していること、ある意見を述べていることについては、信頼できる情報源とみなされますが、それ以外の文脈では個人のブログの記述に過ぎず、信頼できる情報源とはみなされません。
先に書いたように、自分自身への批判的な言辞があるような場合でなければ、削除・閉鎖などによるリンク切れとなったかどうかを問わず、そのブログを情報源として批判的内容を書くことはできません。たとえば、漫才コンビやバンドのメンバー間での批判など、批判の内容そのものが重要ではなかったり、批判されている行為などについては別に信頼できる情報源があるのだけれど、批判者とその対象の関係性から、批判があったことが重要となるようなこともあるかもしれません。また、その個人がある情報を自ら公開していることを示すための情報源、または、ある意見を述べていることについての情報源として用いられているのであれば、閉鎖なり削除なりの経緯や内容を考慮する必要があるでしょう。
そうした場合は、既にみなさんが挙げているように、対応の仕方は複数あるのですから、重要性や、批判の深刻さ、情報が存在していたことの確かさ、などを考慮して最善と思われるものを選ぶことになると思います。--Ks aka 98 2009年5月2日 (土) 17:11 (UTC)脱字挿入--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。アーカイブが残っているならまだしも、第三者には検証不可能なデッドリンクが出典として有効であるということは個人的に釈然としないものの、そのような慣行があるということを教えていただきまして、ありがごうとざいました。--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
一応、私の意見に関しては一般論であって、ウィキペディアには検証可能性のルールがあるので、これを否定するわけではありません。ですから、削除できないのであって、ある程度の猶予期間を設ける、ノートでの議論など、適切な手段を経れば削除したって問題は無いと考えます。もし、それが百科事典に有用な情報であるならば、リンク切れ程度で完全に消滅してしまう代物ってことは無いと思いますし。--EULE 2009年5月4日 (月) 00:06 (UTC)[返信]
えとさー。
なくなっちゃえばまあまあわかりやすくて鮮やかなんだけどさ、もっとめんどくさいのが「書き換えられてしまったとき」とかだったりして。「どのような対応をとるべきなのでしょうか」というところを出発点として「情報の信頼性担保ってどうやりゃいいのか」みたいなことを考えてみるのも楽しく有益なことなんじゃない? 憂鬱なことかもしれませんが(=^_^;=)。
まあここらへんなんだ。書籍とかでも改版を明示せずにつっこまれたところを黙って修正するような著者だって珍しくはないわけで「情報の信頼性」って話全体に及ぶことのような気もするんだけどね。--Nekosuki600 2009年5月2日 (土) 15:08 (UTC)[返信]
「情報の信頼性担保」という切り口としては、悪意ある編集者がリンク切れを悪用して、既に閲覧できなくなったテキストを歪曲して引用ないし、出典としてウィキペディアに反映するリスクも考えるべきでしょうか。--サイフォン 2009年5月3日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
私の意見に関せば「その閲覧日も付記しておくこと」が重要なことです。例え、削除でなく改変であろうと「その閲覧日」の情報は改変後の物ではないので。そしてサイフォン氏のおっしゃるリスクは当然、存在しますが、リンク先の削除だろうが改変だろうが、あるいは悪意ある編集者であろうが、先にも述べたように、編集内容と出典に差異が感じられたら、それを理由に即削除するのではなくて、まずノートなどで指摘してみることが重要かと思います。--EULE 2009年5月4日 (月) 00:06 (UTC)[返信]

レッテル

編集ロック、人物記事に関する名誉毀損等の警告表示が、テーマに対するレッテルのようになっていませんか。wikipediaに興味のある方同士で、表示の是非について議論を深めてほしい。 --以上の署名のないコメントは、125.203.192.215会話/Whois)さんが 2009年5月3日 (日) 08:23 (UTC) に投稿したものです。[返信]

あなたがトヨタ関連の編集をしておられるIPユーザーの方であるという前提でお話いたします。
あなたの編集における問題は、名誉棄損がどうだとかそういったものではなく、あなたが書きこんだことが真実であるとは到底考えられない、つまり、それがあなたが作りだしたトヨタを貶めるための虚偽であるようにしか考えられないということです。Wikipediaに書かれるべきことは真実のみですので、出典、すなわちそれが真実である証拠を提示していただけるのならば、あなたの書きこんだことがらは受け入れられます。--TTTNIS (会話 | 投稿記録) 2009年5月9日 (土) 06:30 (UTC)[返信]

日本語での対話が困難かもしれない編集者様へのお願いについて

IP:123.202.86.130会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois様、また編集の対象としている記事・編集傾向(内容)が酷似しており、またwhoisも香港のIPであることから同一人物ではないかと思われるIP:59.149.102.181会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois様に会話ページを読んでいただくためにはどうすればよいでしょうか。

123.202.86.130様の会話ページおよび59.149.102.181様の会話ページより。どちらも現在の編集傾向には問題があるように感じられます。しかし前述のとおり香港から接続されており123.202.86.130様の編集に関するコメント依頼で、様より「非日本語話者の可能性」が指摘されています。もし日本語での対話が困難な方ならば、取り消しの際に要約欄で理由を提示しても、すぐに完全に同様の編集を繰り返される事も、会話ページに返答がいただけない事も仕方がないかもしれません。かといって、このままでは不必要な編集とその取り消しの繰り返し、いわゆる編集合戦状態であり何とかしなければならないと思います。

両者ともに連続投稿も激しいので、方針文書の熟読を要する方として投稿ブロックでの対処をお願いしたほうがよいのかとも思いました。しかし「ノートを読んでくださいね」とブロックをしていただけたとしても、ノートの内容を理解できない方では解決にはなりません。しかし恥ずかしながら当方の語学力では中国語・英語での指摘・説明は不可能です。このような場合はどうすればよいのでしょうか。調べましたが記事に対するを翻訳依頼はあっても、会話ページの翻訳はないようでした。一方で一部の編集内容を見ると日本語を母語としている、あるいは母語に近いレベルで理解しているように感じられる部分もあり困惑しています。他力本願で申し訳ありませんが、ご確認いただき、ご助言をいただければと思います。よろしくお願いいたします。--Taomao ys 2009年5月3日 (日) 11:09 (UTC)[返信]

すみません、便乗させていただきます。利用者:Saudijp会話 / 投稿記録 / 記録さんというアラビア語しか理解しないと思われるユーザーさんもいます。Wikipedia:コメント依頼/Saudijpで対応について話し合っていますが、アラビア語でコミュニケーションできるかたも限られているので、対応ができません。--Widehawk 2009年5月3日 (日) 12:17 (UTC)[返信]

準備中のウィキプロジェクトの正式始動について

現在、自ら立ち上げたウィキプロジェクト(草案段階)があるのですが、草案段階のウィキプロジェクトを正式始動させるためには何をしなければならないのでしょうか?--Kingofclub13 2009年5月3日 (日) 14:00 (UTC)[返信]

具体的に示されていないので、アバウトな答えになってしまいますが、そのプロジェクトで扱うジャンルの上位もしくは同類のものがすでに存在している場合には、そのプロジェクトのノートページで、それがない場合には井戸端やしかるべきノートにおいて、始動に関する意見を募集するのが良いと思います。またいずれの場合もWikipedia:お知らせなどで全体的な告知を行うのが良いでしょう。またその際に、「プロジェクトが必要だとされた根拠となる議論」と「利用者サブページなどに示した具体的な草案」も示すと良いでしょう。--春日椿 2009年5月3日 (日) 15:50 (UTC)[返信]

(インデント戻し)春日椿さん、ご回答いただき本当にありがとうございます。--Kingofclub13 2009年5月3日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

(*1960年)(+1960年)といった表記について

などの記事で、

といった表記が用いられています。これは、「茨木のり子は1926年生まれである」「茨木のり子は2006年に死亡した」という意味の表記です。

2年ほど前、Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド1月1日12月31日のスタイルを規定しているようです)で(1926年生)(2006年没)といった表記に変えるべきではないか、という趣旨の提案をし、反対のご意見をいただかなかったので([[Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド#(*1948年)(+ 1948年)→(1948年生)(1948年没)はどうでしょう|]])、スタイルガイドの変更を行いました[14]

その後、12月(事情があって4ヶ月ほどWikipediaにアクセスする時間がありませんでした)(botを使うべき作業でしたが)手作業で1月1日から編集をしていましたら、下総大納言さんから、スタイルガイドを元に戻すべきであるという趣旨のご提案をいただきました(Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド)。その後、紆余曲折を経て(1926年 - )( - 2006年)年の形にしようという話になり、スタイルガイドを改訂しました(今振り返ってみてみると、合意形成ができているのかというと怪しいものがあります)

で、

  • 紀元前1年2009年
  • 訃報 2005年訃報 2009年についても昨年末(昨年は個人的な事情でWikipediaにアクセスする時間がありませんでした)スタイルの変更を提案し、賛成のご意見も反対のご意見も全くいただきませんでした。

最終的に、竹麦魚さんから、「一記事の問題と言うよりはいくつかの記事にまたがる記載の問題」であるとのご意見をいただき、こちらで皆さんのご意見をうかがってみようと思いました。

私が(*1926年)(+2006年)といった表記を改めるべきであるとする理由は以下の通りです。

日本語圏であまり見かけない
日本語圏では、Wikipedia以外でこういった表記を見たことが一度もありません。(これは、私の見聞が狭いからかもしれません。もしそうでしたら申し訳ありません。)少なくとも、日本語圏の人々には馴染みのあまりない表記ではないでしょうか。利便性を考えると、こういった表記は改めるべきであると思います。なお、
キリスト教を元にしている表記である
+のほうは、†の代用として使われているようで、十字架のように見えることから没年を表すようです(短剣符参照)。しかし、十字架と死を結びつけるのはキリスト教(?)に基づくイメージであり、見方によってはNPOVに反すると思います。(*については突き詰めてみるとよく分かっていませんでした。すいません。(キリスト降誕時に東方の三博士が目標とした星を表すとどこかで聞いたことがありますが、真偽は定かではありません。)には"The asterisk is derived from the need of the printers of family trees in feudal times as a symbol to indicate date of birth."(2009-04-27T10:25:28(UTC)より引用)(ふわふわ試訳:アスタリスクは、封建時代(中世?)に、家系図を書くときに用いる、生まれた日を示す記号としてつくられた)とあります。)

Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド#スタイルマニュアルの生没年表記の差し戻しを提案しますで一番活発な議論があっていましたので、その中であった意見をまとめておきます。Wikipedia‐ノート:各日のスタイルガイド2008-12-29T05:24:54(UTC)版より引用・要約)

  • botで作業する上で問題はないようだ。(ふわふわ:bot作業依頼でお訊きしました)
  • 一般的な表記法 (表記法に関する書籍等で確認できるもの) として根拠があるか、†の代用として + が適切かという2点を検討するべきだ。『Oxford Style Manual』(ISBN 9780198605645)は参照記号とした上で、それ以外の用途として英語で故人の人名に前置 (ドイツ語で後置)、ただしキリスト教徒との関連でのみ用いる、としている。日本エディタスクールの『日本語表記ルールブック』(ISBN 4888883599)では *、†とも参照符としてのみ挙げている。これらからすると、一律†を用いることには問題があるし、日本語の表記として一般的であるとまでは言えない。(Jmsさん)
  • *や+から生や没の表記に代わるのは美観的によくない。特に(330年頃生)(1506年?生)といったものになると据わりが悪い。*や+を使い続けるかどうかはともかく、文字よりは記号の方がよい。(下総大納言さん)
  • (- 1919年)の表記がよいのではないか。(Jmsさん)
  • (1991年 -)(- 1991年)という表記は、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)での生没年月日の表記方法とも整合する。NPOVの観点からみても、特定の宗教に由来する「+」や「†」よりも適切なのではないかと思う。英語版でも「†」ではなく「d.」を使っている(ふわふわ註:生年は「*」ではなく「b.」を使っています)。キリスト教徒が少ない日本語版ユーザーにとっては、「+」には十字架ではなくプラスのイメージが強く、生年と誤認する恐れがある。(Gughさん)

以上、皆さんのご意見やご指導をいただけませんでしょうか。よろしくお願いします。--ふわふわTalk 2009年5月4日 (月) 07:58 (UTC)[返信]

わかりやすさという点では「○○年生」「××年没」が良いと思います。一方、「○○年頃生」「××年?没」のすわりが悪いというのも理解できるので、統一するならハイフンでの表記とするのが良いでしょう。完全に統一しなくともよいなら、生没年が確定している場合は「○○年生」「××年没」、確定できていない場合は「○○年頃 -」「- ××年?」などとハイフンを用いるか、または、「○○年頃に生まれたといわれている」「××年に没したと考えられている」などと文で書く、という手もあろうかと思います。--Jms 2009年5月4日 (月) 19:12 (UTC)[返信]
*、+を生没年の代替記号として用いるのは、日本語環境では一般的ではないと思います。日本語でしたら、漢字である「生」、「没」の表記を用いる事が一般的と考えられます。逆を考えてみますと、いくら日本語で「生」、「没」が一般的な表記だと言っても、英語環境でJohn Doe (1900生)とするのは非常に不自然に感じられると思います。それと同じ事ではないでしょうか。また、ポータルではカテゴリページへのリンクの語尾に「*」を付けて一般記事と区別する場合がありますが、ページ内にそれを示した注を付しています。一般的でない記号を使うのであれば、そういう事が必要だと思います。ですからたとえばスタイルマニュアルへの誘導を各ページに導入して説明するつもりなどがなく、生没年を何かしらの形で表示したいのであれば、やはり漢字を使うか、Jmsさんの仰るようにハイフンを用いる方が注をつける必要もなく、より適切であろうと思います。
ただ、誕生の節に没年の情報、死去の節に生年の情報を書こうとしなければ、そもそもこういう問題は起こらないのだろうなというのが感想です。--草薙 2009年5月12日 (火) 01:27 (UTC)[返信]