ダグ・デシンセイ

アメリカの元プロ野球選手

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ダグ・デシンセイDouglas Vernon DeCinces1950年8月29日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手。日本ではヤクルトスワローズに在籍。ポジションは内野手。右投右打。

来歴・人物

1970年ボルティモア・オリオールズからドラフト指名され入団、1973年にメジャー初昇格。1976年に三塁手のレギュラーに定着、1979年にはワールドシリーズに出場し第1戦で本塁打を放つ。

1982年カリフォルニア・エンゼルスにトレードされるとこの年打率.301、30本塁打、97打点と活躍しシルバースラッガー賞を獲得。翌1983年にはオールスターゲームに出場した。以後、1987年(シーズン途中に解雇されセントルイス・カージナルスに移籍)までエンゼルスの正三塁手として活躍、通算1649試合に出場し打率.259、237本塁打、879打点を記録した。

1988年にヤクルトに入団。来日時すでに38歳と年齢的な衰えは隠せなかったが、それでも東京ドームの公式戦第一号や、史上初の2試合連続逆転サヨナラ本塁打を放ち存在感を示した。また、堅実な三塁守備にも定評があった。この年限りで現役を引退。名前も含め、記録より記憶に残る選手だった。

引退後は実業家兼代理人となる。また、ジャック・ハウエルの代理人も務めた。また、1993年にはレオン・リーと共に映画「ミスター・ベースボール」のテクニカルアドバイザーも務めた。

日本での成績

試合84 安打71 打率.244 本塁打19 打点44 三振63

年度別打撃成績(メジャーリーグ)
































O
P
S
1973 BAL 10 18 2 2 0 0 0 3 0 0 1 5 .111 .158 .111 2 0 0 0 0 0 0.269
1974 BAL 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .500 .000 0 0 0 0 0 0 0.500
1975 BAL 61 167 20 42 6 3 4 23 0 1 13 32 .251 .306 .395 66 0 2 2 1 3 0.701
1976 BAL 129 440 36 103 17 2 11 42 8 4 29 68 .234 .284 .357 157 3 1 1 2 11 0.641
1977 BAL 150 522 63 135 28 3 19 69 8 8 64 86 .259 .339 .433 226 0 5 6 2 14 0.772
1978 BAL 142 511 72 146 37 1 28 80 7 7 46 81 .286 .346 .526 269 0 2 2 2 12 0.872
1979 BAL 120 422 67 97 27 1 16 61 5 3 54 68 .230 .318 .412 174 0 5 5 3 11 0.730
1980 BAL 145 489 64 122 23 2 16 64 11 6 49 83 .249 .319 .403 197 4 4 5 3 20 0.722
1981 BAL 100 346 49 91 23 2 13 55 0 3 41 32 .263 .341 .454 157 1 2 2 1 12 0.795
1982 CAL 153 575 94 173 42 5 30 97 7 5 66 80 .301 .369 .548 315 4 9 7 1 18 0.917
1983 CAL 95 370 49 104 19 3 18 65 2 0 32 56 .281 .332 .495 183 1 8 2 0 13 0.827
1984 CAL 146 547 77 147 23 3 20 82 4 1 53 79 .269 .327 .431 236 0 12 4 0 16 0.758
1985 CAL 120 427 50 104 22 1 20 78 1 4 47 71 .244 .317 .440 188 5 7 11 2 18 0.757
1986 CAL 140 512 69 131 20 3 26 96 2 2 52 74 .256 .325 .459 235 2 4 4 2 19 0.784
1987 ※1 137 462 66 108 25 0 16 64 3 4 70 89 .234 .335 .392 181 2 3 6 2 10 0.727
通算 15年 1649 5809 778 1505 312 29 237 879 58 48 618 904 .259 .329 .445 2586 22 64 57 21 177 0.774
  • ※1=カリフォルニア・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)→セントルイス・カーディナルス

関連項目

エピソード

  • ジャック・ハウエルには1987年に三塁の定位置を奪われ、シーズン途中に解雇されることとなったが、のちにハウエルの代理人を務めている。
  • その1987年には、シーズン残り7試合でカージナルスと契約。地区優勝を争っていたカージナルスはジャック・クラークの故障で四番打者不在となり、急遽獲得した。チームは地区優勝を果たしたが、プレイオフ出場資格がなかった(プレイオフに出場するためには8月31日までに契約し、チームに帯同していなくてはならない)。

外部リンク