ムタラ3世

これはこのページの過去の版です。Law soma (会話 | 投稿記録) による 2009年10月9日 (金) 06:46個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎脚註: 即時削除によりlk修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ムタラ3世Mutara III, ルダヒグワ、Rudahigwa; 1912年? - 1959年7月25日)は、ベルギー信託統治領ルアンダ=ウルンディ (Ruanda-Urundi時代のルワンダのムワミ (Mwami、在位:1931 - 1959年)。

身長は6,8フィートあったという。洗礼名はシャルルでシャルル・ルダヒグワ・ムタラ3世と呼ばれる場合もあった。ムタラ3世は洗礼の波の中で最初にカトリック改宗したムワミとして知られ、「王であるキリストがベルギーの植民地支配におけるよい統治の科学に神聖な光を当てる」[1]ようにとこれ見よがしにベルギーの支配者たちのために祈願した。

1959年7月25日ブジュンブラベルギー人医師によるワクチン接種を受け、ベルギー人役人と帰宅途上に死亡し、ルワンダのツチはこれを暗殺であると考えた。弟のジャン=バティスト・ンダヒンドゥルワが、キゲリ5世 (Kigeri V) として王位を継承。1994年4月22日、ムタラ3世の妻ロザリー・ギカンダルワンダ虐殺時、イデルフォンス・ニゼイマナ (Idelphonse Nizeyimana大佐とピエール・ビジマナ少佐の命令により殺害された。

脚註

  1. ^ Kalibwami, Justin. Le catholicisme et la société rwandaise: 1900-1962
先代
ユヒ5世
ルワンダ王
1931年 - 1959年
次代
キゲリ5世