足利家氏

鎌倉時代中期の有力御家人

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足利 家氏(あしかが いえうじ)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府御家人足利泰氏の長男。尾張足利氏(斯波氏)の初代当主。

 
足利家氏
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 三郎、太郎
官位 中務大輔検非違使尾張
幕府 鎌倉幕府
主君 藤原頼経頼嗣宗尊親王
氏族 足利氏斯波氏
父母 足利泰氏北条朝時の娘
正室:北条為時の娘
義利貞数宗家
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寛元3年(1245年)、将軍近侍に任じられる。さらに正室北条時頼の姪を迎えていたこともあって北条氏から重用され、建長5年(1253年)に中務大輔に任官され、弘長元年(1261年)には検非違使、弘長3年(1263年)1月には御奉行に任じられた。以後の行方は、『吾妻鏡』の記述が途切れてしまうこともあり、不明な点が多い。

父が得宗家から正室を迎えたため廃嫡され、家督は弟の足利頼氏が継いだが、その死去(又は引退)の後、一門の重鎮として頼氏の子の足利家時の後見役を務めたともいわれる。

彼の子孫が後に斯波氏となったため、家氏は斯波氏の祖と位置づけられ、斯波家氏(しば いえうじ)と呼ばれることが多いが、鎌倉期においては家格の高さから足利一門でも別格の扱いであり、足利姓を通し、代々尾張守を名乗ったことから尾張足利家と称していた。なお、斯波氏の名称は、家氏が陸奥の斯波郡を領したことに由来するとされている。また、石橋氏も家氏の流れである。

参考文献

  • 小川信『足利一門守護発展史の研究』(吉川弘文館、1980年)
  • 今谷明藤枝文忠編『室町幕府守護職家事典〔下〕』(新人物往来社、1988年)
  • 七宮涬三『陸奥・出羽斯波・最上一族』(新人物往来社、2005年)
  • 『歴史と旅 増刊「守護大名と戦国大名」』(秋田書店、1997年)