岡本秀寛

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岡本 秀寛(おかもと ひでひろ、1983年4月19日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する野球選手投手)。

岡本 秀寛
東京ヤクルトスワローズ #26
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 (1983-04-19) 1983年4月19日(41歳)
身長
体重
177 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2008年8月13日
年俸 800万円(2010年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

アマチュア時代

1999年徳島県立鳴門第一高等学校に進学した。在籍時は一つ上の学年に藤田一也(現横浜)がおり、甲子園出場はならなかったが、四国大会出場に貢献している。

2002年に川崎製鉄水島に入社し、翌2003年JFEホールディングスの経営統合に伴ってJFE西日本へ転籍した。2004年にはドラフト指名資格が解禁となった。チーム内でも貴重な左腕ということもあって、大事な試合を任される機会が増えた。しかし当時は安定感を欠いており、プロからの声はかからなかった。

2007年のシーズンは主力投手として重用され、チームの2年ぶりの都市対抗野球出場の原動力となった。11月19日のドラフト会議において、4巡目で東京ヤクルトスワローズから指名を受ける。11月30日に推定契約金5000万円、年俸1000万円で仮契約を行い、12月6日に入団が発表された。社会人2年目に結婚しており、プロ入り時は2児の父親であった。

プロ入り後

2008年春季キャンプは一軍スタートだったものの、練習試合では押し出しを含む与四球が多く、キャンプ最終クールから二軍に合流した。そのまま開幕は二軍で迎え、イースタン・リーグ公式戦では中継ぎとして起用された。8月3日に、北京オリンピック野球日本代表招集に伴う宮本慎也青木宣親の抹消にあわせて、自身初の一軍登録が公示されている。

シーズン終了後のチームファン感謝デーでは、チームメートの青木宣親川島慶三とともにヒット曲である羞恥心を熱唱した。

投球スタイル

最速140km/h超の直球と、カーブチェンジアップが武器である。

人物

実父の岡本尚史はJR四国で選手としてプレーし、その後も2007年までコーチ・監督を務めていた。このため、当初はJR四国に入社希望だったというが、「親子で一緒のチームだとろくなことがない」という尚史の意向もあり、川崎製鉄水島への入社となった。

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2008 ヤクルト 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 0.0 3 0 1 0 0 0 0 0 3 3 ---- ----
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 1.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:2年 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 7 1.0 4 0 1 0 0 1 0 0 3 3 27.00 5.00
  • 2009年度シーズン終了時

個人記録

  • 初登板:2008年8月13日、対横浜ベイスターズ16回戦(横浜スタジアム)
  • 初奪三振:2009年9月13日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム) 8回裏に山井大介から

背番号

  • 26 (2008年 - )

関連項目

外部リンク