軍令承行令

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軍令承行令(ぐんれいしょうこうれい)とは1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦以前大日本帝国海軍で作戦上の指揮権の継承序列を定めた法令である。

軍医中将が砲術、水雷等担当の兵科少尉候補生に服従せねばならない」「下士官兵から叩き上げの特務大尉が兵学校出の少尉に服従せねばならない」といった風に特に昭和期以降は用兵上の様々な弊害の元凶として扱われることが多く、ハンモックナンバーと並び日本型組織としての海軍の限界を示す材料として幾らかの曲解も含め多くの文学、映像作品で登場している。

太平洋戦争開戦後の1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)にかけて機関科の権限拡大を初めとする大改正が行われこれに合わせ諸学校制度なども1945年の敗戦に至るまで各種の改正が進められた。

諸外国海軍の軍制に合わせた現代化が日本海軍内部で考えられなかった背景に「軍神」とされた東郷平八郎元帥の特に「釜焚き風情が贅沢抜かすんじゃない!」という機関科蔑視の「鶴の一声」があったとされるがこれには疑問も呈されている。