アーサー・パーシバル
アーサー・アーネスト・パーシバル(Arthur Ernest Percival、1887年12月26日 – 1966年1月31日)はイギリス陸軍の軍人。陸軍中将。
経歴
軍人養成学校ではなく、一兵卒から将軍になった軍人である。第一次世界大戦には当初兵士として従軍したが、1916年のソンムの戦いの際に少尉に任官した。1917年に大隊長となる。すぐ後には旅団指揮を任されるにいたった。戦後はアイルランドの鎮圧で頭角をあらわす。サンドハースト、ロシア、ナイジェリアなどに駐在し、1936年英領マレー勤務。
1939年フランス派遣軍参謀長。第43師団長として1940年5月ダイナモ作戦に参加し、帰国後は第44師団長として英国本土の沿岸防備に専念。1941年4月イギリス極東軍(マレー軍)司令官。パーシヴァルはマレー駐屯軍の6個師団への増強と航空支援を要求したが、配下にあったのは訓練不十分な2個師団半のみであった。1942年2月にシンガポールが陥落し、山下奉文率いる日本軍に13万の残存兵と共に降伏、初めての軍司令官勤務で、初めて敗戦を経験した後、捕虜となり満州で抑留される。
1945年9月東京湾上の戦艦ミズーリ号での降伏文書調印式に出席した後、退役し、1949年に回顧録を著わした他は余生を本国で静かに暮らした。ロンドンで死去。
書籍
- John George Smyth: Percival and the tragedy of Singapore. MacDonald and Company, 1971