スボティツァ
セルビアの都市
スボティツァ(Суботица)は、セルビアの都市。ヴォイヴォディナ自治州に属する。人口は約10万人(2002年)。
スボティツァ Суботица Subotica | |||||
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位置 | |||||
セルビアでスボティツァの位置 | |||||
座標 : 北緯46度5分 東経19度39分 / 北緯46.083度 東経19.650度 | |||||
行政 | |||||
国 | セルビア | ||||
郡 | North Bačka | ||||
基礎自治体 | スボティツァ | ||||
市長 | Saša Vučinić | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
基礎自治体域 | 1,008 km2 (389.2 mi2) | ||||
人口 | |||||
人口 | (2007年現在) | ||||
基礎自治体域 | 148,401人 | ||||
市街地 | 99,981人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||||
市外局番 | +381 24 | ||||
ナンバープレート | SU | ||||
公式ウェブサイト : http://www.subotica.rs/ |
地理
ハンガリー国境に近い街で、国境まではおよそ10キロ程度。近隣の都市としては、約95キロ南にノヴィ・サド、40キロ北東にハンガリーのセゲドが位置している。ハンガリー系住民が多い。国境に妨げるものがないハンガリーとの交易に従事する住民が多いが、ハンガリーのシェンゲン協定実施によりビザ発給が厳しくなり状況が変化する可能性がある[1]。
歴史
中世よりハンガリーの統治下にあった。16世紀、オスマン帝国によって征服されるが、17世紀後半よりハプスブルク家の統治下に入る。この際に街の名前はマリア=テレジオーペル(Maria-Theresiopel)と改名された。オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配を経て、第一次世界大戦後にセルヴ・クロアート・スロヴェーヌ王国(のちのユーゴスラヴィア)領となり、現在のスボティツァに名称を戻す。ユーゴスラヴィアの解体後はセルビア領に帰属。
スポーツ
FKスパルタク・スボティツァ(ФК Спартак)が、スボティツァを本拠地とするサッカークラブ。かつてジェフ市原(現在のジェフ千葉)に在籍していたネナド・マスロバルが在籍していた。
主な出身者
脚注
- ^ 「朝日新聞」2008年1月31日朝刊、9面。
外部リンク
- スボティツァの公式サイト(英語)