前坂俊之

これはこのページの過去の版です。202.178.85.179 (会話) による 2010年7月11日 (日) 08:08個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎ジャーナリストとして)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日 - )は、日本ジャーナリスト作家評論家である。静岡県立大学国際関係学部名誉教授

前坂 俊之
生誕 前坂 俊之(まえさか としゆき)
(1943-10-02) 1943年10月2日(80歳)
日本の旗 岡山県岡山市
教育 慶應義塾大学経済学部卒業
職業 ジャーナリスト作家評論家
代表経歴 『日本死刑白書』(1982年
『太平洋戦争と新聞』(2007年
『痛快無比!ニッポン超人図鑑―奇才・異才・金才80人』(2010年
『明治37年のインテリジェンス外交ー戦争をいかに終わらせるか』(2010年
肩書き 静岡県立大学国際関係学部名誉教授
公式サイト http://toshiyukimaesaka.com/
テンプレートを表示

株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学大学院国際関係学研究科教授などを歴任した。

概要

岡山市立内山下小学校、丸の内中学校、県立操山高等学校を経て慶應義塾大学経済学部に入学。大学卒業後の1969年4月、毎日新聞社に入社。

1993年4月に静岡県立大学国際関係学部教授に就任。1995年からは大学院国際関係学研究科教授兼務。2009年3月に定年を迎え退官。2009年、現在は首都圏を拠点に活動を行うジャーナリスト、ノンフィクション作家である[1]

来歴

生い立ち

1943年、岡山県岡山市に生まれる。近くに貸本古本屋「民衆文庫」があり、毎日通って漫画小説雑誌などを乱読し、生涯の古本マニアに育った。岡山市立内山下小学校、丸の内中学校、岡山県立操山高校を経て、1963年4月、慶應義塾大学経済学部に入学、野球ボクシングボディビルスポーツに熱中するも次々に挫折する。

ジャーナリストとして

著作家を志して1969年(昭和44年)3月卒業後、毎日新聞社に入社。73年(昭和48年)の毎日新聞呉支局時代に八海事件無期懲役になり出所してきた被告と知り合い、同事件の冤罪の構造を徹底して取材しサンデー毎日1977年9月4日)で【八海事件の全真相】(3回連載)で発表。

これをきっかけにして①日本の死刑制度の実態②刑事裁判における冤罪と誤判の構造の解明③明治以来の死刑誤判事件の歴史に迫る、をテーマに冤罪死刑3部作「日本死刑白書」(1982年三一書房)「冤罪誤判」(1982年、田畑書店)「誤った死刑」(1984年、三一書房)を発表した。

同事件を通して、正木ひろし弁護士の知遇をえて、戦時下の同氏の個人誌「近きより」による言論抵抗やその後の菅生事件、丸正事件などの冤罪事件の取り組みの超人的な活動に啓示を受ける。「国家犯罪としての戦争メディアの関係」に視点を移して、「戦争と新聞1926-1935 兵は凶器なり」(社会思想社1986年)「戦争と新聞1936-1945 言論死して国ついに亡ぶ」同、1993年)2冊を刊行し、全国紙(朝日・毎日)を中心とした「新聞の戦争責任」を初めて全面的に検証し、立花隆氏から評価された。これは内容を加筆、再取材して2007年(平成19年)に講談社学術文庫から「太平洋戦争と新聞」として刊行される。

毎日新聞では大阪本社阪神支局、京都支局を経て、1981年7月 毎日新聞東京本社調査部に勤務。新聞界で最古の歴史を持ち、写真、記事資料を1000万件以上保存する同調査部のデータを一般に提供する新聞界初の「情報サービスセンター」が開設され、その主任となる。新聞界初の歴史写真データべース「MAIHIT」を構築し、同社の大きな収益部門に育て上げた。同情報調査部副部長などを経て1993年4月、 静岡県立大学国際関係学部教授に就任。95年に大学院国際関係学研究科教授兼務。

研究者として

同大ではジャーナリズム論、メディア論、国際コミュニケーション論を3つを講義ジャーナリズム論では「戦争メディア」の視点から湾岸戦争とメディア、9・11以降はイラク戦争とメディアを集中的に研究、日本のジャーナリズムの特殊性を論じた。インターネット、IT情報革命の進展に合わせて、マルチメディアブロードバンドユビキタスデジタルコンテンツコンテンツビジネスWeb2.0のネット環境をメディア論では研究。 この間、毎日新聞出身の大学教授によるメディア調査団(代表・天野勝文元筑波大教授)の一員として、毎年アジア・中東各国の新聞、テレビメディア、政府のメディア政策について現地調査を行った。 これ以外にも独創的な日本人などの人物論、社会歴史戦争犯罪と幅広く研究。月刊誌歴史読本」に「世界が尊敬した日本人」を2005年1月から現在も毎月連載中。明治以降の人物で国内以上に世界的に評価されている日本人を発掘、紹介している偉人伝、人物論である。 超高齢社会の到来によって「センテナリアン」(百歳人)は4万人以上と増える一方だが、「百歳学」の創設をめざして「百歳学研究会」を組織、「晩年長寿の達人」(別冊歴史読本、2007年)、「百寿者百語」(海竜社、2008年)などを出版、研究している。

退官後

2009年3月末で静岡県立大学国際関係学部教授を退官。最終講義は「グローバリズムで沈没中のガラパゴスジャパンー2030年に日本は生き残れるか」。その後、名誉教授の称号を授与された[2]。以降は生涯一ジャーナリストにもどり、日本記者クラブ会員として、同記者クラブ(東京日比谷・プレスセンタービル9階)を拠点にして、国際関係政治経済、人物、昭和史まで幅広く、TV新聞雑誌単行本などに原稿を執筆。また、HP,ブログでは『日本興亡学入門』『日本リーダーパワー史』『歴史クイズ』『百歳学入門』『日本風狂人伝』『裁判員研修ノート』『辛亥革命百年孫文を助けた日本人』などを連載、定年後の「晩年悠々ライフスタイル」については毎週の鎌倉材木座海岸での「カヌーフィッシング(釣れなくてよい日記)」、「風ませ!海の上で昼寝・座禅・リラックス日記」などはブログで発信中。

著作

主著

単著

共著

編著

論文

  • HP 地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える」で「百歳学入門」(20回連載)2010年1月―2月掲載,

<内容は「超高齢社会の現実と過去と未来」「半世紀前までは人生わずか50年だった日本」「徳川歴代将軍の年齢と実力調べ」 「創造力年齢に関係なし、世界の天才の年齢調べ」「日本の天才長寿脳はだれなのか」 「明治以来の日本の代表的長寿経営者は一体誰だ」「最後までリーダーパワーを発揮した長寿政治家は誰か」 「高度経済成長の立役者は長寿経営者たち」「知的巨人たちの往生術から学ぶ」「百歳元気健康長寿者200人リスト」> <「日本リーダーパワー史では「日本インテリジェンスの父・川上操六」「海軍の父・山本権兵衛」「巨人・西郷従道」 『辛亥革命百年ー孫文を助けた日本人・梅屋庄吉宮崎滔天秋山定輔犬養毅頭山満ら」大アジア主義者について連載中>

<山川出版社Mook2「坂の上の雲日露戦争>に収録 2009年11月 

<このうち「周恩来」「毛沢東」の2人の最期を執筆>

<このうち「高橋是清」「鈴木貫太郎」「西園寺公望」「藤田嗣治」を執筆>

  • 日本戦争』『別冊歴史読本』No50、2006年12月刊、新人物往来社(173P)

<このうち第5章謀略の満州事変84-97Pを分担執筆>

  • 『事典にのらない・日本史有名人の結婚事情』『別冊歴史読本』40号、2006年7月 

<このうち板垣退助高橋是清西園寺公望を執筆>

<このうち『憲法改正とその舞台裏』『わずか1週間でGHQが作った憲法草案』 『戦争・戦力放棄』の発案者は一体誰なのか』『珍談、奇談、エピソード憲法史』93-123Pを分担執筆>

  • 満州建国メディア』歴史群像シリーズ84号「満州帝国」2006年4月刊、学習研究社
  • 『事典にのらない・日本史有名人の苦節時代』『別冊歴史読本』2006年1月 27号

<このうち「藤田嗣治」「野口英世」「豊田佐吉」「横山大観」を分担執筆>

後藤新平』『泉重千代』『野口英世』『藤田嗣治クーデンホフ光子』『前田光世』 『豊田佐吉』『山田寅次郎』『三浦環』『宮崎滔天』『金子堅太郎』『薩摩治郎八』 『早川雪洲』『杉原千畝』『淵田美津雄』『沢村栄治』『新渡戸稲造』『今村均』『岡倉天心』『南方熊楠』『荻野久作』『平櫛田中』 『林忠正』『西竹一』『豊田喜一郎』『尾崎行雄』『白洲次郎』『北大路魯山人』 『三船敏郎』『金子直吉』『安達峰一郎』『嘉納治五郎』 『白瀬矗』『御木本幸吉』 『出光佐三』『岡村昭彦』『岡崎嘉平太』『松永安左エ門』『水野広徳』『イサム・ノグチ』 『安藤百福』『吉田茂』『沼田恵範』『原敬』『幣原喜重郎』『正木ひろし』『田中正造』『松旭斎天勝』『福沢諭吉』『佐々井秀嶺』『本田宗一郎』『井深大』『鳩山和夫』『梅屋庄吉』『バロン滋野』『犬養毅』『黒澤明』 『川上操六』『高峰譲吉』『吉田松陰

  • 『事典にのらない・日本史有名人の子ども』『別冊歴史読本』 2004年7月 88号

<このうち「山本五十六」「西園寺公望」「吉田茂」「近衛文麿」を執筆>

  • 『日本史を変えた大事件前夜・そのあと歴史が動いた』『別冊歴史読本』No84、2004年5月刊(175P) 

<このうち「組閣前夜の東条内閣」140-143Pを執筆>

  • 『事典にのらない・日本史有名人の晩年と死』『別冊歴史読本』2004年2月 74号

<このうち『児島惟謙』『若山牧水』『杉原千畝』『吉田茂』『横山大観』を執筆>

  • 『事典にのせない・日本史有名人の父たち』『別冊歴史読本」2003年7月 51号

<このうち「副島種臣」「林董」「鈴木貫太郎」「石原莞爾」「南方熊楠」を執筆>

  • 『事典にのせない・日本史有名人の兄弟』『別冊歴史読本」2002年7月 

15号 <このうち「西園寺公望」「鈴木貫太郎」「南方熊楠」を執筆>

<このうち『阿部定』『比嘉和子』を10Pを分担執筆>

  • 『IT革命で社会の仕組みはどう変わるか』 『季刊桜門春秋』 2001年冬号
  • 『事典にのらない・日本史有名人の晩年』『別冊歴史読本』 2001年8月 82号

<このうち『西園寺公望』『尾崎行雄』『宇垣一成』『鈴木貫太郎』『木戸幸一』を執筆>

 「日韓併合米騒動」「関東大震災」「金融恐慌」「満州国建国」を執筆>

脚注

  1. ^ 前坂俊之アーカイブス
  2. ^ 「名誉教授の称号授与」『はばたき』111巻、静岡県立大学事務局広報室、2009年10月、6頁。

関連項目

外部リンク