ガンビーノ一家
ガンビーノ一家(ガンビーノいっか、Gambino crime family)はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。ラッキー・ルチアーノによってニューヨーク・マフィアが五大ファミリーに再編されたときに旧アル・ミネオのファミリーを母体として誕生した。当初のボスはヴィンセント・マンガーノ、副ボスはアルバート・アナスタシアであった。
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1951年4月、マンガーノは恐らくはアナスタシアの仕業と思われる謎の失踪をとげ、アナスタシアが後継ボスの座についた。この事件の背景としては、ヴィト・ジェノヴェーゼに対抗するためフランク・コステロが盟友アナスタシアに暗黙の了解を与えたという説がある。
その後、ファミリーはジェノヴェーゼ対コステロの対立に巻き込まれる。コステロが暗殺未遂事件によって引退すると、ジェノヴェーゼはアナスタシアの報復を恐れ、アナスタシアの部下のカルロ・ガンビーノに跡目を条件としてアナスタシア暗殺を手配させた。実行犯は一般にプロファチ一家のガロ兄弟と信じられているが、フロリダのサント・トラフィカンテの一味という説もある。マフィア史上最も有名なアナスタシア暗殺事件はこうしてニューヨークのパーク・シェラトンホテルの理容室で発生した。
だがガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡にはおさまらず、子供同士が結婚して血縁関係にあるトーマス・ルッケーゼと組んで徐々にニューヨーク・マフィアの実権を握っていった。まず最大のライバル・ジェノヴェーゼをマイヤー・ランスキー、フランク・コステロらと組んで麻薬取引の罪で逮捕収監させる陰謀に成功し、さらにプロファチ一家のボスには傀儡のジョゼフ・コロンボを据え、ボナンノ一家の古くからのボス、ジョゼフ・ボナンノを引退に追い込んだ。そして1976年の彼の死までには、彼のファミリーはジェノヴェーゼ一家に代わってニューヨーク最強のファミリーとなっていた。
だが、ガンビーノが後継に副ボスの実力者アニエロ・デラクローチェではなく、いとこのポール・カステラーノを指名したことから、ファミリーの運命には翳がさすようになる。カステラーノはファミリーの合法ビジネスの進出に力を注いだが、デラクローチェを頂点とする武闘派グループと対立するようになり、1985年12月2日のデラクローチェの死を契機に粛清を恐れた武闘派グループの筆頭格のジョン・ゴッティはカステラーノを暗殺し(同年12月16日)、ボスの位に就いた。
その後ゴッティはもっとも有名なマフィアのボスとしてメディアを賑わせたが、1990年に逮捕・収監されて2002年に獄死、その上副ボスのサルヴァトーレ・"サミー・ザ・ブル"・グラヴァーノなどの官憲への内通者も出すに至ってファミリーの統制は地に堕ちた。現在では再びジェノヴェーゼ一家に最強のファミリーとしての地位を譲っていると思われる。
ちなみに、現在のボスはジョン・ゴッティの弟で、2002年に就任したピーター・ゴッティ( Peter "One Eye" Gotti)。副ボスは2005年に就任したジャッキー・ダミルコ(Jackie 'Nose' D'Amico)である。