クマ・エルハジ・ババカル

セネガルのサッカー選手

これはこのページの過去の版です。Violachioma (会話 | 投稿記録) による 2010年10月26日 (火) 21:40個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (得点記録更新)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

クマ・エルハジ・ババカルKhouma Elhadji Babacar,1993年3月17日 - )はセネガルティエス出身のサッカー選手フィオレンティーナ所属。ポジションはフォワード

クマ・ババカル
名前
本名 クマ・エルハジ・ババカル
愛称 ババ(BABA[1]
ラテン文字 Khouma el Babacar
基本情報
国籍 セネガルの旗 セネガル
生年月日 (1993-03-17) 1993年3月17日(31歳)
出身地 ティエス
身長 191cm[2]
体重 85kg[2]
選手情報
在籍チーム Fiorentinaフィオレンティーナ
ポジション FW
背番号 9
利き足 両足[1][3]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2008
2008-2009
2009-
Pescara ペスカーラ下部
Fiorentina フィオレンティーナ下部
Fiorentina フィオレンティーナ
0- (-)
0- (-)
08 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年10月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

人物

フィオレンティーナの下部組織において特筆すべき活躍をし、国内外のスカウトの注目を浴びる選手[4]。イタリアのメディアからは新たなディディエ・ドログバとも呼ばれ[5]、フィジカルと身体能力の高さを活かし、豊富な得点パターンを持つセンターフォワードである[1]。両足を遜色なく使い、ポストプレーにも優れる[1][3]。本人も憧れているディディエ・ドログバヌワンコ・カヌのように強靭な体躯と高いテクニックを併せ持つが、同時にプランデッリ監督からは「少々ボールを持ちすぎる。」[6]と指摘されている。

来歴

下部組織

2005年に出身地ティエスを本拠地とするUSライユにてサッカー選手としてのキャリアをスタートする。2007年夏、ババカルが14歳のときにイタリアのクラブペスカーラに移籍するために渡伊。1年後の2008年7月にはフィオレンティーナの下部組織に移籍する[7]

フィオレンティーナ

移籍初年度の2008-2009シーズンにフィオレンティーナのアッリエーヴィにおいて全国大会で優勝し[8]レアル・マドリードFCバルセロナマンチェスター・ユナイテッドFCチェルシーFCのスカウト陣の注目を集める[4][5]。同シーズンはアッリエーヴィの1つ上のカテゴリであるプリマヴェーラにも15才ながら飛び級で所属し、掛け持ちで出場したトルネオ・ディ・ヴィアレッジョでは得点を決め、その活躍とプレースタイルからイタリアの全国スポーツ紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」には将来のディディエ・ドログバ、ヴィオラのマリオ・バロテッリ[9]と賞賛された。

2009年のプレシーズンに初めてトップチームの練習に参加。チェーザレ・プランデッリ監督やチームメイトのセバスティアン・フレイらに「下部組織に非常に興味深い選手がいる」と印象付ける。その後、16才でクラブとプロ契約を交わし、UEFAチャンピオンズリーグの登録メンバーにAリスト選手として選出される[10]。2010年1月14日に行われたコッパ・イタリアでの対ACキエーヴォ・ヴェローナ戦にて、16歳にしてトップチームデビュー及び、プロ公式戦デビューを果たす。デビュー戦の後半30分にはマヌエル・パスクアルが放った直接フリーキックがババカルに当たりコースが変わり得点も記録する。チームの3-2の勝利に貢献し、プレー内容とともに上々のデビューとなった。同年2月27日にはアウェイで行われた対SSラツィオ戦にてマリオ・ボラッティとの交代でリーグ戦に出場、16歳でセリエAにデビューを果たした[11]。続く3月13日のアウェイで行われた対SSCナポリ戦では途中出場ながら勝ち越し点の起点となり、さらに終了間際には相手ゴールキーパーのモルガン・デ・サンクティスが上がっているのを見逃さす、50メートルほど離れた無人のゴールにボールを流し込みステヴァン・ヨヴェティッチへのアシストを記録した[12]。初アシストを記録した翌試合の対ジェノアCFC戦では17歳と3日でセリエA出場2試合目にして初得点をあげる。3月20日に行われた同試合で終了間際の後半35分にアルベルト・ジラルディーノと交代で出場すると、その6分後である後半41分に後方からのロングパスを相手ディフェンダーと競り合いながらもキープし、ゴールキーパーとの1対1を制しコースを突くゴールを決めた[13]

2010年7月13日には、フィオレンティーナと2015年までの契約を延長することで合意した[14]シニシャ・ミハイロヴィッチが監督就任後は背番号9番を任された[15]

エピソード

  • 本人はイスラム教徒であることを公言している[16]が、トレーニングを行いながら実行するのは困難との理由でラマダーンは行っていないと話している。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
2009-2010 フィオレンティーナ 21 セリエA 4 1 1 1 - - 5 2
2010-2011 フィオレンティーナ 9 セリエA 3 0 1 1 - - 4 1
通算 イタリア フィオレンティーナ 7 1 2 2 - - 9 3
総通算 7 1 2 2 - - 9 3

経歴

獲得タイトル

外部リンク

脚注・出典

  1. ^ a b c d Khouma Elhadji Babacar "BABA" eufootballuniversity.com(イタリア語),2010-3-1閲覧
  2. ^ a b Giocatori - Khouma el Babacarフィオレンティーナ公式(イタリア語),2010-3-22閲覧
  3. ^ a b Khouma Babacar, el triunfo del trabajo y la humildadelmundodeportivo.es(2010-1-17)(スペイン語),2010-3-1閲覧
  4. ^ a b ババカル代理人:「フィオレンティーナが良い。」firenzeviola.it(イタリア語),2009-12-30閲覧
  5. ^ a b レアル・マドリードとマンチェスター・ユナイテッドが新たなドログバに注目goal.com(英語),2009-12-30閲覧
  6. ^ プランデッリ:「ババカルは無限の可能性を秘めている。」(イタリア語),2009-12-30閲覧
  7. ^ Bollini: "Babacar ricorda Weah ma deve ancora poter sbagliare"fiorentina.it(2009-12-22)(イタリア語),2010-1-14閲覧
  8. ^ CAMPIONATO ALLIEVI NAZIONALI 2008-09campionatoprimavera.com(イタリア語),2010-2-13閲覧
  9. ^ 1年毎に新しくなるヴィオラ(イタリア語),2009-12-25閲覧
  10. ^ Lista Uefaフィオレンティーナ公式(2009-8-10)(イタリア語),2010-1-13閲覧
  11. ^ Lazio-Fiorentina 1-1: a Siviglia risponde Keirrisoncorrieredellosport.it(2010-2-27)(イタリア語),2010-3-1閲覧
  12. ^ Lavezzi gol, Gila doppietta E la Fiorentina sbanca Napoligazzetta.it(2010-3-13)(イタリア語),2010-3-13閲覧
  13. ^ La Fiorentina non si ferma Tre gol anche al Genoagazzetta.it(2010-3-20)(イタリア語),2010-3-20閲覧
  14. ^ Comunicato Stampaviolachannel.tv(2010-7-13)(イタリア語),2010-7-13閲覧
  15. ^ Numeri di magliaviolachannel.tv(2010-8-6)(イタリア語),2010-8-6閲覧
  16. ^ フィオレンティーナ公式サイト内インタビュー動画(イタリア語),2009-12-30閲覧

この項目は、ウィキプロジェクト サッカー選手の「テンプレート」を使用しています。