寺倉正三

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寺倉 正三(てらくら しょうぞう、1889年(明治22年)10月14日 - 1964年(昭和39年)7月7日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

岐阜県出身。農業・寺倉祐九郎の二男として生れる。中学済々黌中退、名古屋陸軍地方幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第59連隊付となる。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を優等で卒業した。

1920年(大正9年)4月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員、陸軍歩兵学校付(ドイツ出張)、ドイツ駐在、歩兵第37連隊付などを経て、1925年(大正14年)8月、歩兵少佐に進級し歩兵第8連隊付となる。軍務局課員(軍事課)、兼参謀本部員、歩兵第61連隊付、参謀本部員などを歴任し、1933年(昭和8年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵学校研究部主事となった。

1934年(昭和9年)年4月、独立歩兵第1連隊長に就任し、陸軍省副官を経て、1937年(昭和12年)8月、陸軍少将に進級し下志津陸軍飛行学校付となる。1938年(昭和13年)3月、第1飛行団長に就任し、次いで陸軍航空士官学校長となり、1939年(昭和14年)10月、陸軍中将に進んだ。1941年(昭和16年)10月、留守第2師団長に就任し太平洋戦争を迎えた。

1943年(昭和18年)6月、第42師団長に親補され仙台に駐屯。翌年3月、第27軍司令官となり千島列島の防衛を担当した。1945年(昭和20年)2月に参謀本部付となり、3月に予備役編入。同年4月に召集を受け東京師管区司令官に就任。東部軍司令部付、東京防衛軍司令官を歴任し、1945年10月に召集解除となった。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。