木下順庵
日本の儒学者
木下順庵(きのしたじゅんあん:1621年6月4日-1698年12月23日)は、江戸時代前期の儒学者。名は貞幹。字は直夫。号は、順庵のほか錦里・敏慎斎・薔薇洞。京都の出身。
儒学を松永尺五に学び、一時江戸に出たこともあるが、帰洛後、加賀国金沢藩主前田利常に仕えた。1682年(天和2年)幕府の儒官となり、5代将軍徳川綱吉の侍講をつとめた。その間、「武徳大成記」をはじめとした幕府の編纂事業にたずさわり、林鳳岡や林門の儒家たちとも交流している。朱子学に基本を置くが、古学にも傾倒した。教育者としても知られ、新井白石・室鳩巣・雨森芳洲・祇園南海・榊原篁洲・南部南山・松浦霞沼・三宅観瀾・服部寛斎・向井三省ら「木門十哲」と呼ばれる優れた人材を輩出した。
著書に「錦里先生文集」がある。