木下順庵

日本の儒学者

これはこのページの過去の版です。210.162.154.201 (会話) による 2005年11月29日 (火) 09:54個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

木下順庵(きのしたじゅんあん:1621年6月4日-1698年12月23日)は、江戸時代前期の儒学者。名は貞幹。字は直夫。号は、順庵のほか錦里・敏慎斎・薔薇洞。京都の出身。

儒学松永尺五に学び、一時江戸に出たこともあるが、帰洛後、加賀国金沢藩前田利常に仕えた。1682年(天和2年)幕府の儒官となり、5代将軍徳川綱吉の侍講をつとめた。その間、「武徳大成記」をはじめとした幕府の編纂事業にたずさわり、林鳳岡や林門の儒家たちとも交流している。朱子学に基本を置くが、古学にも傾倒した。教育者としても知られ、新井白石室鳩巣雨森芳洲祇園南海榊原篁洲南部南山松浦霞沼三宅観瀾服部寛斎向井三省ら「木門十哲」と呼ばれる優れた人材を輩出した。

著書に「錦里先生文集」がある。