トマス・アクィナス

イタリアの神学者、哲学者 (1225?-1274)

これはこのページの過去の版です。Berstwaves (会話 | 投稿記録) による 2011年5月16日 (月) 04:35個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

トマス・アクィナス: Thomas Aquinas, 1225年頃 - 1274年3月7日)は中世の神学者哲学者ドミニコ会士。『神学大全』で知られるスコラ学の代表的神学者である。カトリック教会聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人。イタリア語表記ではトンマーゾ・ダクイーノ (Tommaso d'Aquino)。

トマス・アクィナス
トマス・アクィナス像、15世紀、カルロ・クリヴェッリ作
教会博士
生誕 1225年
シチリア王国アキーノ
死没 1274年3月7日
シチリア王国・フォッサノヴァ
崇敬する教派 カトリック教会聖公会
列聖日 1323年7月18日
列聖場所 フランスアヴィニョン
列聖決定者 ヨハネス22世
記念日 1月28日
テンプレートを表示

生涯

1225年ごろ、トマスは南イタリアの貴族の家に生まれた。母テオドラは神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン家につらなる血筋であった。生まれたのはランドルフ伯であった父親の居城、ナポリ王国ロッカセッカ城であると考えられている。伯父のシニバルドはモンテ・カッシーノ修道院の院長をしていたため、やがてトマスもそこで院長として伯父の後を継ぐことが期待されていた。修道院にはいって高位聖職者となることは貴族の子息たちにはありがちなキャリアであった[1]

こうして5歳にして修道院にあずけられたトマスはそこで学び、ナポリ大学を出ると両親の期待を裏切ってドミニコ会に入会した。ドミニコ会は当時、フランシスコ会と共に中世初期の教会制度への挑戦ともいえる新機軸を打ち出した修道会であり、同時に新進気鋭の会として学会をリードする存在であった。家族はトマスがドミニコ会に入るのを喜ばず、強制的にサン・ジョバンニ城の家族の元に連れ帰り、一年以上そこで軟禁されて翻意を促された。初期の伝記によれば、家族は若い女性を連れてきてトマスを誘惑までさせたが、彼の決心はゆるがなかったという[2]

ついに家族も折れてドミニコ会に入会を許されるとトマスはケルンに学び、そこで生涯の師とあおいだアルベルトゥス・マグヌスと出会った。おそらく1244年ごろのことである。1245年にはアルベルトゥスと共にパリ大学に赴き、3年同地ですごし、1248年に再び二人でケルンへ戻った。アルベルトゥスの思考法・学問のスタイルはトマスに大きな影響を与え、トマスがアリストテレスの手法を神学に導入するきっかけとなった[3]。トマスは非常に観念的な価値観を持つ人物であり、同時代の人と同じように聖なるものと悪なるものをはっきりと区別するものの見方をしていた。あるとき、自然科学に興味があったアルベルトゥスがトマスに自動機械なるものを示すと、トマスは悪魔的であるとしてこれを嫌ったという。

1252年にパリに赴いて学位を取得しようとしたが、パリ大学の教授会が托鉢修道会に対して難癖をつけてきたため苦労して学位を取得し、パリ大学神学部教授となった。しかし、明晰なトマスはやがて1257年に教授会に迎え入れられ、そこで教鞭をとった。1259年にはヴァレンシエンヌでおこなわれたドミニコ会総会に代表として出席した[4]

その後、教皇ウルバヌス4世の願いによってローマで暮らすことになった。

1269年再びパリ大学神学部教授になり、シゲルスを中心とするラテンアヴェロエス派や、ジョン・ペッカムを中心とするアウグスティヌス派と論争を繰り広げる[5]。同時代の人々の記録によるとトマスは非常に太った大柄な人物で、色黒であり頭ははげ気味であったという。しかし所作の端々に育ちのよさが伺われ、非常に親しみやすい人柄であったらしい[6]。議論においても逆上したりすることなく常に冷静で、論争者たちもその人柄にほれこむほどであったようだ。記憶力が卓抜で、いったん研究に没頭するとわれを忘れるほど集中していたという。そしてひとたび彼が話し始めるとその論理のわかりやすさと正確さによって強い印象を与えていた。

1272年フィレンツェの教会会議において、トマスは、ローマ管区内の任意の場所に神学大学を設立するように求められ、温暖な故郷ナポリを選び、著作に専念して思想を集大成に努めるようになった[7]

1274年の初頭、教皇は第2リヨン公会議への出席を要請した。トマスは健康状態が優れなかったが、これを快諾し、ナポリからリヨンへ向かった。しかし、道中で健康状態を害し、ドミニコ会修道院で最後を迎えたいと願ったが、かなわずソンニーノに近いフォッサノヴァのシトー会修道院で世を去った。1274年3月7日のことであった。シトー会士たちは遺体をドミニコ会側に渡すまいと、棺を修道院内に隠す、頭を切り離す、骨だけにするために遺体を煮込むなどの暴挙をあえて行ったともいわれているが、教皇の命令により1369年になってようやく遺骨がドミニコ会に引き渡された[8]

トマスは会う人すべてに強い印象を与えている。彼はパウロアウグスティヌスと並び立つ人物といわれ、「天使的博士」(Doctor Angelicus)と呼ばれた。1319年にトマスの列聖調査が始められ、1323年7月18日アヴィニョンの教皇ヨハネス22世によって列聖が宣言され、聖人にあげられている[9]

1545年トリエント公会議。議場に設けられた祭壇の上には二つの本だけが置かれていた。一つは聖書、そしてもう一つはトマス・アクィナスの『神学大全』であった[10]

思想

概要

トマスの最大の業績は、キリスト教思想とアリストテレスを中心とした哲学を統合した総合的な体系を構築したことである。かつてはトマスは単なるアリストテレス主義者にすぎないという見方もあったが、最近の研究ではそのような見方は否定されている[11]

トマスはアヴィケンナアヴェロエスアビケブロンマイモニデスなどの多くのアラブやユダヤの哲学者たちの著作を読んで研究し、その著作においても度々触れている[12]。そこから、トマスは単なる折衷家にすぎないとの見方も根強いものがあったが[13]、現在では、「存在」(エッセ)の形而上学がトマス的総合の核心であり、彼独自の思想である点に見解の一致があり、その存在をどのように解釈するかによって様々な立場に分かれるとされている[14]

全体的にみれば、トマスは、アウグスティヌス以来のネオプラトニズムの影響を残しつつも、哲学における軸足をプラトンからアリストテレスへと移した上で、神学と哲学の関係を整理し、神中心主義と人間中心主義という相対立する概念のほとんど不可能ともいえる統合を図ったといえる。

トマスの思想は、その死後もトマス主義として脈々と受け継がれ、近代の自然法論や国際法理論や立憲君主制にも多大な影響を与えただけでなく、19世紀末におきた新トマス主義に基づく復興を経て現代にも受け継がれている。

トマスとユダヤ・イスラム思想

トマスは多くのアラブやユダヤの思想家たちの著作を読み研究していた。哲学者であるアリストテレスの註釈家と呼ばれていたアヴィケンナアヴェロエスとは、キリスト教の真理を弁証する護教家として対立する必要に迫られていた[15]

また、『神学大全』にも彼自身が言及するアビケブロンのみならず多くのユダヤ人哲学者の影響が読み取れる。トマス自身は世界の永遠性という説を積極的に否定していたが、この説がアリストテレスに由来するという問題があった。そこでトマスは『神学大全』(1:45)においてなんとかこの矛盾を回避すべく、アリストテレスと「世界の永遠性」の結びつきを否定しようとしている。その論述においてトマスはマイモニデスの『迷えるものへの手引き』を引用している。

法・政治論

トマスは、神の摂理が世界を支配しているという神学的な前提から、永久法の観念を導きだし、そこから理性的被造物である人間が永遠法を「分有」することによって把握する自然法を導き出し、その上で、人間社会の秩序付けるために必要なものとして、人間の一時的な便宜のために制定される人定法から啓示によって与えられた神定法という二つの観念を導きだした[16]。その詳細は以下のとおり。

永久法とは、この宇宙を支配する神の理念であり[17]、そのうち、理性的被造物たる人間が分有しているものが、自然法である[18]。そして、自然法のうち、人間が何らかの効用のために特殊的に規定するものが人定法であり[19]、人間がより強く永久法に与れるように、神から補助的に与えられたものが神定法である[20]。すなわち、人間の能力には限界があるために、人々は永久法から与った自然法にもとづいて適切に人定法を制定するということができず、また、様々な意見の対立が生じるので、それを補うために神から与えられたものが、神定法である。ここで、神定法として念頭に置かれているのは、旧約聖書新約聖書において命じられている事柄であり、前者は旧法(lex vetus)、後者は新法(lex nova)と呼ばれる[21]。永久法は、のうちにある最高の理念であり[22]、あらゆる法 の源泉である[23]。このような永久法の一部である自然法は、あらゆる人定法の源泉であり、その妥当性の基準となるとして、トマスは、永久法・自然法・人定法の階層構造を認めたのである[24]

著作

分類と解説

トマスの著作は、大きく以下の5種類に分類できる[25]

  1. 神学に関する総合的・体系的著作
  2. 討論
  3. 聖書注解
  4. アリストテレス及びその他の権威ある著作の注解
  5. その他の小著作。

第一のカテゴリーに分類されるものには、『命題論集注解』及び『対異教徒大全』のほか、もっとも有名な『神学大全』が含まれる。

第二のカテゴリーには、様々な題のついた「定期討論集」(正規の授業で行なわれた討論を集めたもの)と「任意討論集」(復活祭と誕生祭の前の週に行なわれた討論を集めたもの)がある。

定期討論集は以下のとおり

  • 『悪について』
  • 『神の能力について』
  • 『真理について』
  • 『徳一般について』
  • 『霊魂について』
  • 『霊的被造物について』

第三のカテゴリーは、旧約聖書や新訳聖書の注解である。

旧約聖書の注解は以下のとおり

  • 『ヨブ記注解』
  • 『詩篇注解』
  • 『イザヤ書注解』
  • 『エレミヤ書注解』
  • 『エレミヤ悲歌注解』

新約聖書の注解は以下のとおり

  • 『マタイ福音書注解』
  • 『ヨハネ福音書注解』
  • 『カテナアウレア』(1475年)。これは四福音書への注解である。この福音書注解はどちらかというと教父たちの注解を引用して集成したものといえる。

第四のカテゴリーは、アリストテレスやその他の権威ある人の注解である。

アリストテレスの著作への注解は以下のとおり

  • 『感覚と感覚されるものについての注解』
  • 『記憶と想起についての注解』
  • 『形而上学注解』
  • 『自然学注解』
  • 『生成消滅論注解』
  • 『天体宇宙論注解』
  • 『分析論後書注解』
  • 『命題論注解』
  • 『倫理学注解』
  • 『政治学注解』

アリストテレス以外の権威ある者の著作への注解は以下のとおり

  • 『原因論注解』
  • 『ディオニシウス注解』
  • 『ボエティウス・デ・ヘブドマディブス注解』
  • 『ボエティウス三位一体論注解』

第五のカテゴリーには、『世界の永遠性についてーつぶやく者に対して』など論争的著作や『存在するものと本質について』など特定の主題についての論文が含まれる。

トマスは著作を自ら筆記せず、口述したものを弟子たちに書き取らせた。トマスは悪筆で有名で、初期の伝記作家によればトマスは複数の筆記者のそれぞれに異なった事柄を話し、あたかも「神からの真理の巨大な奔流が彼のうちに流れこんでいるかのようだった」という。このような伝説的な逸話は別としても、近代の研究者も写本の研究から、トマスが覚書を手にして読み上げながら、自分が読み上げた文章を必要に応じて修正し、他の著作を引用するときはその書物を取り出して読んでいたのであろうと推測している[26]

その著作において、トマスはドゥンス・スコトゥスらと違い、読者にも自らの思想の軌跡を懇切丁寧に追体験させるような表現をせず、権威を持って教えるという形にしている。これは彼が啓示を受けて著作したというスタンスに立っているためであり、そのためトマスの著作は現代のわれわれの視点からはやや物足りないという感を与えるものになっている。

著作(主な邦訳)

  • 高田三郎山田晶稲垣良典他訳、『神学大全』、創文社、1960~(全45巻予定)
    半世紀を経て2011年3月に第21巻(第2部)が出版され第1・2部は完結し、全体の約5分4が刊行。ただし2008年以降の巻は「連番」となる巻があり、全冊数は未定。
  • 長倉久子訳、『トマス・アクィナス 神秘と学知-『ボエティウス三位一体論」に寄せて 翻訳と研究』 創文社、1996
  • 上智大学中世思想研究所編、『トマス・アクィナス 中世思想原典集成 第14巻』平凡社、1993
     ※『兄弟ヨハネスへの学習法に関する訓戒の手紙』、『形而上学注解』、『使徒信条講話』、『種々の敬虔な祈り』、『聖書の勧め』、『聖書の勧めとその区分』、『存在者と本質について』、『知性の単一性について―アヴェロエス主義者たちに対する論駁』、『ボエティウス三位一体論注解』,『ボエティウス・デ・ヘプドマディプス注解』、『命題論注解』、『離存的実体について(天使論)』の12編(全編初訳もしくは新訳)を収める。
  • 柴田平三郎訳、『君主の統治について 謹んでキプロス王に捧げる』
     慶應義塾大学出版会、2005→岩波文庫、2009

脚注

  1. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.85-96
  2. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.111-112
  3. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.113-121
  4. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.122-163
  5. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.192-219
  6. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.192
  7. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.220
  8. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、p234
  9. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.233-235
  10. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.482
  11. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.55-56。
  12. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.59
  13. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.54。
  14. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.72
  15. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.59
  16. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.430-433
  17. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第1項
  18. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第2項
  19. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第3項
  20. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第4項
  21. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第91問題第5項
  22. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第1項
  23. ^ トマス・アキナス『神学大全』第2部の1第93問題第3項
  24. ^ 高坂直之『トマス・アクィナスの自然法研究ーその構造と憲法への展開ー』創文社、昭和46年、p.36.
  25. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.240-258。
  26. ^ 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、pp.144-146。

参考文献

  • 稲垣良典、『トマス・アクィナス』、講談社学術文庫、1999
    初出は『トマス・アクィナス.人類の知的遺産20巻』、講談社、1979
  • 長倉久子、『トマス・アクィナスのエッセ研究』、知泉書館、2009

推薦文献

  • 高坂直之、『トマス・アクィナスの自然法研究―その構造と憲法への展開』、創文社、1971
  • 山田晶、『トマス・アクィナスの〈エッセ〉研究』、創文社、1978年
  • 渡部菊郎、『トマス・アクィナスにおける真理論』、創文社、1997
  • 水田英実、『トマス・アクィナスの知性論』、創文社、1998
  • 稲垣良典、『トマス・アクィナス哲学の研究』、創文社、2007

関連項目

外部リンク

Template:Link GA Template:Link FA Template:Link FA Template:Link FA Template:Link GA Template:Link GA