オー・カナダ

カナダの国歌

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オー・カナダ英語: O Canadaフランス語: Ô Canadaイヌクティトゥット語: ᐆ ᑲᓇᑕ!)はカナダ国歌

O Canada
Ô Canada
ᐆ ᑲᓇᑕ!
和訳例:オー・カナダ

国歌の対象
カナダの旗 カナダ

作詞 アドルフ=バジル・ルーチエ(フランス語)
ロバート・スタンリー・ウィア(英語)
作曲 カリサ・ラヴァレー1935年
採用時期 1880年(事実上)
1980年(法律上)
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1880年6月24日ケベックの建国記念日の式典に向け愛国歌としてカリサ・ラヴァレーCalixa Lavalléeケベック州作曲家)が作曲アドルフ=バジル・ルーチエSir Adolphe-Basile Routhier、ケベック州の判事)がフランス語作詞。式典で初めて歌われた。 英語訳詞1906年迄現れる事は無く、2年後の1908年に現行の歌詞の元となるものがロバート・スタンリー・ウィアRobert Stanley Weir、ケベック州の法律家)によって書かれた。

1968年には、上下院特別合同委員会の勧告により、英語版の歌詞が若干変更されたが、フランス語版の歌詞は変更されていない。 この曲の「カナダ人」はフランス系カナダ人をしめすことであり、フランス系カナダ人を象徴する曲であったが、「カナダ」という単語が今のカナダ連邦を意味する単語に変わり、1世紀後1980年7月1日、「カナダの日」の祝典に国歌として際し、法制化された。

また、Vice Regal Saluteとして、カナダの王室歌である『女王陛下万歳』の冒頭6小節とオー・カナダの冒頭4小節、末尾4小節を利用して編曲された。

O Canada English Weir 1928.ogg


歌詞に対する議論

歌詞に含まれるTrue patriot love in all thy sons command「汝の息子全ての中に流れる真の愛国心」という一節は男性のみを指しており男女差別だという意見が以前からあった。

ウィアによって英語の歌詞が作られたのはオリジナルから26年後の1908年のことだが、当時はsonsという単語は含まれておらず、やや古風なthou dost in us command「我ら~」を用いており宗教的な言い回しはなかった。

その後第一次世界大戦の影響からかthou dost in us commandall thy sons commandに改め、宗教的な言い回しになったとされる[1]

2010年バンクーバーオリンピックで国歌が度々演奏されたが、同国が金メダルを取った14種目のうち6種目は女性選手であった。カルガリー大学リズベス・ドナルドソン名誉教授が「女性たちが名誉ある表彰台でin all thy sons commandと歌うのは目に余る」とったメールをスティーヴン・ハーパー首相宛に送ったところ首相も同感し国歌修正案を国会に提出。しかし国民から批判が殺到したためすぐさま撤回した[2]

カルガリー大学で政治学を教えるトム・フラネガン教授は、この問題を取り上げることはほかの全ての問題を噴出させることになると警告した。 「ひとたび国歌の論争を始めれば、無神論者は“God”を削除せよと主張し、平和主義者は“stand on guard”に異議を唱え、先住民は“native land”とは誰の土地だと言い出して収拾がつかなくなるだろう。」

ちなみに原詞であるフランス語版は至ってジェンダーな歌詞である。

歌詞

NHLの試合にて、モントリオールでは2/3をフランス語で、1/3を英語で、オタワでは最初の1/3を英語で、次の1/3をフランス語で、最後の1/3を英語で歌う等、英語とフランス語を交ぜて歌う事もある。

脚註

外部リンク

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