結城広綱

これはこのページの過去の版です。山崎屋 (会話 | 投稿記録) による 2011年10月23日 (日) 12:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

結城 広綱(ゆうき ひろつな、安貞元年(1227年)? - 弘安元年6月23日1278年7月14日)?)は、鎌倉時代中期の人物。結城氏の第3代当主。父は2代当主・結城朝広(広綱は長男)。弟に結城祐広白河結城氏初代)。子に4代当主結城時広結城宗重結城重広。上野介、三郎兵衛尉、のち七郎、中務大輔。

吾妻鏡によれば建長年間の記録に名が見え、別の記録においては文永年間に足利家氏斯波氏の祖)らとともに廷尉を務めたとされるが、詳細は不明である。広綱と子の時広、孫の結城貞広の時代の下総結城氏の活動の記録は乏しい。

墓所は父の朝広や祖父結城朝光、子の時広と同じ称名寺(結城称名寺)である。また、新福寺の寺伝によれば、文永年間に長楽寺(新福寺の前名)の開基となり、念仏宗に帰依し、没したとされている。法名は新福寺殿教阿弥陀仏と伝わる。


先代
結城朝広
下総結城氏当主
? - ?
次代
結城時広