アルフォンソ1世 (アストゥリアス王)

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アルフォンソ1世(Alfonso I de Asturias, 693年 - 757年)は、アストゥリアス

アルフォンソ1世像

アルフォンソ1世はカンタブリア公の息子として生まれ、その領地を相続していた。またバスク人の首領としての地位を相続していたという説もある。

アルフォンソ1世はアストゥリアス王国を建てたペラーヨ王の娘と結婚していたとされ、そのためペラーヨの死後国を継いだ長男ファビラが739年に没した後に王国を相続した。

ペラーヨとファビラの実在については今なお議論の余地があるが、アルフォンソ1世については存在が確実視されている。彼もまたペラーヨ王のようにムーア人に対するレコンキスタに明け暮れた。740年にガリシア地方を、754年にレオン地方を取り戻す。

その後イスラームとの緩衝地帯を設けるため、ドゥエロ川からアストゥリアス山脈までの居住者を多く山脈北側へ移住させたようだ。このためこの移住のあった一帯は人口が激減しドウロの砂漠と呼ばれるようになった。

イスラム側ではこのアストゥリアス王国やその後継であるレオン王国などを「アルフォンソの一族」などと呼んでおり、これら王権がアルフォンソ1世からはじまったと解釈していたようである。