大仲清治
日本の元プロ野球選手・元俳優
人物
高校卒業後に阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)に入団しプロ野球選手となるが、1954年に退団し手塚勝巳が設立した東宝の野球部に移籍する。
その後宝塚映画での俳優活動をきっかけに東宝専属となり、以降ジャンルを問わず数多くの映画に出演している。
『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』では、183㎝の長身からミニラと共演するシーンでのゴジラのスーツアクターとして抜擢される。しかし撮影の合間キャッチボールをしていた際にボールを拾おうとしてマンホールに指を挟んで怪我をしてしまい、ゴジラ役を降板。急遽関田裕が代役として起用されたというエピソードがある。
普段から「俺は野球のために東宝に来たから、役者はあんまり向いていない」と言っており、専属俳優制度が危うくなった際には真っ先に東宝系列のボーリング場への異動願を提出し、俳優を引退した。その後「みんなも大仲を見習ってほしい」という上層部の声や異動先で係長に出世した大仲の姿を見て、異動を決意した俳優も多かったという。
主な出演作品
- 空の大怪獣ラドン(1956年 本多猪四郎監督):若い男
- 大安吉日(1957年 筧正典監督):椎名一郎
- ガス人間第一号(1960年 本多猪四郎監督):鑑識課員
- キングコング対ゴジラ(1962年 本多猪四郎監督):パシフィック製薬社員・大安丸船員 [2役]
- 太平洋の翼(1963年 松林宗恵監督)
- 無責任遊侠伝(1964年 杉江敏男監督)
- ホラ吹き太閤記(1964年 古澤憲吾監督):今川家の武将
- 三大怪獣 地球最大の決戦(1964年 本多猪四郎監督):円盤クラブ会員・上野公園の記者・松本の観光客 [3役]
- 大冒険(1965年 古澤憲吾監督):名古屋署の警官
- 怪獣大戦争(1965年 本多猪四郎監督):自衛隊員
- フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966年 本多猪四郎監督):海上保安部職員
- ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年 福田純監督):赤イ竹隊員
- クレージーだよ天下無敵(1967年 坪島孝監督):凸凹ブラザース
- キングコングの逆襲(1967年 本多猪四郎監督):輸送船船員
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年 福田純監督):ゴジラ
- 怪獣総進撃(1968年 本多猪四郎監督):統合防衛司令部の将校・月基地の技師・記者 [3役]
- クレージーの大爆発(1969年 古澤憲吾監督):進歩的文化人団体員
- 緯度0大作戦(1969年 本多猪四郎監督):宇宙船回収船の船員