五明 (ときがわ町)

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五明(ごみょう)は埼玉県比企郡ときがわ町大字2011年1月1日現在の人口は1041人[1]郵便番号355-0343。

五明
日本
都道府県 埼玉県
比企郡
市町村 ときがわ町
標高
94 m
人口
2011年(平成23年)1月1日現在)
 • 合計 1,041人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
355-0343

地理

ときがわ町北部、旧玉川村西部に位置する[2]。北で小川町下里、北東で田黒、東で玉川、南で本郷、西で日影と隣接する。南部および北部は外秩父山地尾根にあたり、中央部を東流する都幾川の支流雀川に沿って谷底平地が開け、人家が散在している[2][3]小字には中野・中ノ原・田中・堂ノ口・川原・比良などが挙げられる。また行政区として五明1区から五明4区に分けられている。

河川

山岳

  • 物見山

歴史

地内には縄文期中野原遺跡栗ヶ谷戸遺跡が見られ、縄文期より定住のあったことがわかる[2]室町期の創建とされる円通寺も見られる[2]

江戸期初めには天領慶安2年(1649年)に一部が円通寺領、明和元年(1764年)より天領分が三卿清水家領となり、寛政7年(1796年)に天領に復した。文政8年(1825年)に再び清水家領になったが、安政2年(1855年)に天領に復している[2][3][4]。村高は『武蔵田園簿』によれば246余、他に紙舟役永750、『元禄郷帳』では304石余、『天保郷帳』では301石余[2]文政10年(1827年)に指定された関東取締出役支配下の組合村においては近隣の村々とともに玉川寄場組合に属した[2]。用水は天水を貯めて灌漑を行っていた[2]。また、和紙小川紙の産地としても知られた[2][3]

1889年明治22年)の町村制施行により、玉川郷・田黒村日影村と合併し、五明村は玉川村の大字となった[5]。さらに2006年平成18年)玉川村の都幾川村との新設合併により、ときがわ町の大字となった[6]

地名の由来

新編武蔵風土記稿』によれば「村の形が扇に似ているのでかく呼べりと言えども、恐らく文字によって牽強せし説なるべし」とあり、三皇五帝のひとりが作ったとされる五明扇を源とする扇の異称からきたという説が唱えられているものの、村名ができた後に由来を唱えたのではないかという強い疑いが抱かれている[2][7]

沿革

交通

鉄道

JR東日本八高線が地内西側を南北に蛇行して通るが、は置かれていない。最寄駅は明覚駅になる。

バス

道路

施設

  • 玉川公民館五明第一分館
  • 六区文化会館
  • 五明地域運動場
  • 玉川カントリークラブ - ゴルフ場。敷地の北西の一部が五明地内になる。
  • ときがわ町五明増圧所
  • 円通寺 - 曹洞宗の寺院[2]。かつては天台宗の寺院だったが、慶長年間の中興の際に改宗した[2]
  • 十王堂
  • 白石神社

脚注

  1. ^ 町(丁)字別人口調査-ときがわ町、2011-09-26閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』、角川書店、1988年7月再版、P384,PP1348-1350
  3. ^ a b c 『日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名』、平凡社、2004年12月15日オンデマンド版、PP586-587。
  4. ^ 国立資料館本元禄郷帳では、旗本内藤領との記述がある。『日本歴史地名体系 11 埼玉県の地名』、平凡社、2004年12月15日オンデマンド版、P586。
  5. ^ 『埼玉大百科事典 第二巻』埼玉新聞社、1974年8月、P309。
  6. ^ ときがわ町誕生記念・2007ときがわ町勢要覧(1/2){{{1}}} (PDF) 、2011-10-13閲覧。
  7. ^ 『新編武蔵風土記稿巻之百九十二 比企郡之七』、「大日本地誌体系(九)新編武蔵風土記稿 第九巻」雄山閣、1957年10月再版所収。

関連項目

外部リンク